万年筆【Fountain pen】
万年筆とは、いい名前を考えたもんだ。インクの補充で、いくらでも使える。
私は、万年筆が好きだ。
しかし、鉛筆とならんで、ここ10年で、これほどすたれてしまった、筆記具はないのではなかろうか?
鉛筆は、シャープペンシルに代用され、万年筆は、ボールペンと水性ペンに取って代わられた。
学生の頃から、私はノートは、万年筆で取っていた。
なぜかというと、私は、悪筆なのだが、殴り書きが常です。同じ大きさに、文字をそろえて描けない。
丁寧に文字を書くことが、どうしてもできずに、結局後で見ると、自分でも読解できない。
こうした、殴り書きは、ボールペンだと、本当に判らないのだが、万年筆の筆跡だと、判別可能なのだ。
理由は、よく判らないが、万年筆の場合、ペンが辿った跡や、筆圧による濃淡が、読み取れるからだと思う。
また、筆圧が私は、強いらしく、弾力のない、ボールペンで文字を書き続けると、指がつりそうになる。
きれいな文字は、それだけで知性を感じさせる。私の筆跡は、残念ながら、知性のかけらもない文字で、見ていて嫌になる。
文字が下手なのは、仕様がない。読みにくい文字ならば、せめて判読しやすい、万年筆で書こうと思い、手紙は必ず万年筆でしたためる。
業務文書は、極力パソコンで打つが、職場のPCは、日本語ソフトが入っていないので、(というか、私が日本語ソフトを、拒絶していれさせないのだが)どうしても、日本語で文章を書かざるを得ないときは、手書きだ。
なぜ、日本語のPCを拒絶しているかというと、日本語の文書を作ってしまうと、それをいちいち、自分で翻訳しないと、同僚に説明できない。そんな時間の無駄をかけたくない。
だから、徹底して、日本語で書類を作る事を、避けているのだ。
でも、どうしても日本語で、書かざるを得ないときは、下手な字を晒さねばならない。
こんなとき、ああ、万年筆があればなぁ、と思うのだが、職場には持ってこない。
皆さんも、経験があるだろうが、職場における、筆記具の紛失と、所有権モラルというのは、ひどいもんである。
同じボールペンを、インクが切れるまで他人に取られることなく、(もしくはどこかに置き忘れてしまって、誰かが勝手に使う)持ち続ける事は、不可能に近い。
だから、大切な万年筆を、そんな野蛮な環境に持ってくる事は、憚られる。
現在の、愛用品は、(もちろん自宅でしか使わず、絶対持ち歩かない)モンブラン。
いろいろ試してみたが、人により、書き方には癖があり、私の場合は、モンブランが一番相性が良い。
しかし、本当に万年筆の利用者は、減っているようだ。補充インキが、なかなか簡単に入手できない。
異なるインキを混ぜたりすると、目詰まりを起こしたりするので、モンブランの純正インクしか使わないのだが、専門店まで足を運ばないと、結構無かったりする。
私が、使っているのは、カートリッジ式でなく、昔ながらのクラシックな、吸引式だ。
靴のような、形をした硝子の、インキ瓶に、ペン先を突っ込んで、中軸をまわすと、インキが吸い上げられる旧式のやつだから、なおさら入手しにくい。
昔は、新入学の贈り物といえば、万年筆、腕時計と相場がきまっていたが、いまでもそうなんだろうか?