惜敗【bitter defeat】
今日、サッカーのクラブチーム欧州選手権の決勝戦があった。
折悪しく、仕事で夜の会食があり、ミシュランの三つ星のレストランだったが、当方は気もそぞろ。
折角の高級料理だったが、早く抜け出してテレビを観戦したかった。
ようやく終わって、近くのバーでテレビが見れるところにいこうかと思ったが、とりあえず帰宅してチャンネルを合わせた。
英国のManchester United対、ドイツのBayern Muenchenの決勝戦、終了10分前。
私は、それほどの熱狂的なサッカーファンではないが、一流レベルの試合を見逃すわけには行かない。
1981年、学生時代にドイツを旅行した時に、初めて本場のサッカーの試合を見て、そのレベルの高さに驚いた。
バックパックを背負って、ケルンからミュンヘンに向かう列車に乗ったら、同じ客室に乗っていた乗客3人が、一所懸命サッカー談義をしている。
最初は、なんとなく耳を傾けているだけだったが、時間が経つにつれ、私もその三人組みと打ち解けてきて、話に加わった。
当時は、サッカーの事なんぞ全然しらなかったが、その3人は、ミュンヘンまで、Bayern Muenchenのサッカーの試合を応援に行くんだと言う。
私が、サッカーの試合も見たことないし、Bayern Muenchenも知らないといったら、三人とも、私を宇宙人でも見るような顔つきで、信じられないという表情をした。
結局、ミュンヘンに着くまでには、彼等は、私を説得し、一緒に試合を見に行こうという事になった。
どうせ、当てのない、流れ旅だったので、私も段々興味が湧いてきて、試合が見たくなってきた。
ミュンヘンに着くと、彼等と同じホテルにチェックインして、早速スタジアムに向かった。
彼等は、ダフ屋に交渉してくれて、私の為に当日券を入手してくれたので、たっぷり観戦できた。
試合は、ドイツブンデスリーガのBayern Muenchen対イタリアセリエAのAS Romaだった。
確かこの時は、Muenchenが勝って、その後、彼等とバーをハシゴして、深夜まで飲んで歩いた。
これ以来、なんとなく私の贔屓のチームは、Muenchenになった。
私の好きな選手に、ローター マテウスがいる。
現在38歳で、尚現役を続けている。90年のW杯で、ドイツが優勝したときの、キャプテンだ。
勿論、98年のW杯にも出場している。キャプテンの座は、後輩のクリンスマンに譲ったが、ドイツチームの重鎮だ。
もう、選手としての盛りは過ぎて、若い選手のように、走り回る事は出来ないが、それをカバーするだけの、いぶし銀の技術で、後方から、攻めあがって見事なパスを出す華麗なプレーを見せてくれる。
クリンスマンが、引退した後でも、まだ現役にこだわり、今期も国内リーグでMuenchenを首位にした原動力でもある。
引退を囁かれながらも、マテウスがビッグタイトルで、唯一取り逃がしているのが、この欧州選手権だった。
本人も、それだけに、今日の試合への意気込みは、強く、私もこの試合で優勝杯をとって、彼が引退をするのではないかと、懼れていた。
試合残り2分前、もう誰もがミュンヘンの勝利を疑わなかったが、マンチェスターが猛烈な反撃に出て、連続2得点を奇跡的に決め、時間切れ。
躍り上がって、狂喜するマンチェスターの選手の後ろで、ミュンヘンの選手は、グラウンドに倒れたまま、ショックで起き上がれない。
表彰式で、準優勝メダルを首にかけられた、マテウスは、表情をゆがませて、すぐさま自分で外した。
試合後の、インタヴューで、マテウスが、「引退」を口にするのでは、と私は気が気でなかったが、表情をかえずに、"Ich will weiter spielen(俺はまだプレーするぞ)バイエルンミュンヘンとの契約は、一年更改だから、どのチームでやるかわからないけど"と、きっぱりと引退を否定した。
チーム会長の「帝王」ことベッケンバウアーも、「彼がやる積もりなら、まだまだやらせてみたい」とコメントしていたので、嬉しかった。
今の私を知る人に、話すと「へぇー、意外」と言われるが、私は、大学では、勉学はそっちのけで、体育会のフェンシング部で主将をやっていた、フィジカル人間だった。
引退試合となる最後のリーグ戦で、ぼろぼろに負けて、主将である自分が、チームの足を引っ張る結果となって、情けなく自責した。
「俺は絶対このままでは、引退する訳にはいかない。社会人になっても、トレーニングを続けて、全日本選手権に出場できるまでやる」と決め、クラブチームに入って、平日も週末もひたすら、時間さえあれば、体力づくりと練習して、二年後に目標を果たした(全日本大会の一回戦で、負けちゃったけどね)。
いまでは、筋肉が贅肉に変質し、不健康な生活をしている私にも、そんな時代があったなぁと、今晩思い出しました。