年賀状
Dec.23.98

年賀状というものを、過去11年間書いていない。
日本にいないから、当たり前だが、日本にいるときは、あれが面倒で嫌だった。
でも、書かない相手から貰うと、やっぱり心苦しいし、最低限は書いていたが、どうも、いやいやノルマをこなしているようで、楽しかった事はない。
反面、年賀状のいい点は、長年音信不通の相手でも、なにか一言伝える、口実になる。

普段、用も無く、とつぜん手紙を出すのも、憚られる。
一応年に一回、年賀状でも書いておけば、相手が引っ越したかどうかも、確認できる。
何時頃から、始まった習慣かは、判らないが、定着したのは、郵便制度が整備された、明治以降の事だろう。
今や郵政省の歳入の、重要な一つになっているのだろう。
まぁ、運ぶ方も大変だから、最終損益でどのくらい儲かるのかは、別として、普通の人は、少なくても20枚近く使うだろうし、多い人は数百枚にわたる事だろう。

ヨーロッパに来ると、似たようなもので、クリスマスカードってものがあるが、日本みたいに定型化は、進んでいなくて、官製の専用カードまではないし、お年玉なんかも、ついていない。
おまけに、はがきよりも、封書が主流だ。はがきだと、サラサラっと簡単に済まそうと思うが、封書だと、なんとなく何か書かなきゃな、、、と思い、また大変になる。
ただ、貰うクリスマスカートを見れば、殆どはサインしてあるだけのが、多いから、やはりこちらでも、いやいや書いている人が多いんだろう。

もっとも、年賀状みたいに、元旦まで郵便局あずかりにして、どーっと一斉に配られるものでなくて、12月の二週めくらいになると、パラパラと届くので、受け取る人も結構じっくり見てしまう。
日本の年賀状だと、元旦にヨーイドンで、受け取った中に、自分が出していない人がいると、「あ、負け」だ。
慌てて返事を書いても、もう相手にはばれてしまうから、一斉配達というのは、酷なものである。
じゃぁ、逆に、自分が書いた相手から来ていないと、「お、勝ち」と嬉しくなるわけではない。なーんだ、私の事など覚えていないのか、とがっかりする。

もうひとつ、困った事は、自分が誰に出したか、リストを作り忘れたとき。
「あれ、この人に出したかなぁ?念のために、返事出しておこう」。と出して、二度受け取った人は、これまた「俺も、軽く見られたもんだ」と気分は良くない。

多かれ少なかれ、「もうこんな、面倒くさい悪習は、止めよう」と思ったことはあるでしょう。
でも、なかなか止めるのにも、勇気がいるんですよね。

先月、日本に行ったとき、実家に帰ったら、両親が、ブランクの年賀状を重ねて待機していた(ちゃんと、インクジェット専用の用紙である)。
私の両親は、昨年PCを習得していらい、着実に、使いこなしている。

Emailは、ポンポンと送ってくるし、私のHomepageもチェックしている(だから、やたら悪口は、書けない)。
さすがに、「これのときは、これを押す」式の、一方通行の覚えかたであり、イレギュラーな事があると、その度に、義兄(情報処理関係の仕事をしている、いってみればプロである)が、呼び付けられて、トラブルシューティングをしている。
もう、一体何回、そうやって義兄が呼ばれたか、数え切れず、PCを導入させた張本人としては、良心の呵責を感じつつある。

今回は、一念発起して、PCで年賀状を自作したい、と言う。見上げた心がけだ。
早速PCに入っている、ソフトを見ると、ベストセラー「筆まめ」が入っていたが、新郵便番号に対応していない、5桁バージョンだ。
ホームページを検索して、調べると、アップグレード版が出ているというので、早速買ってきて、インストールしてみた。
使い始めると、これは便利だ。オリジナルのデザインが、簡単に作れるし、宛て名書きが、非常に楽だ。
一度入れてしまえば、その住所録は毎年使えるし、プリンターから、ポンポン吐き出される毛筆体は、肉筆かと見まごう程、奇麗に出ている。

この年賀状ソフトは、大当たりだそうだ。
やっぱり、世の中、年賀状書きにうんざりしている人が、如何に多かったかを物語っている。