今週は、会社は、休みでないが、私は休暇を取得して、ドイツに遊びにきている。
いろいろと、年末までにしなければならない、懸案事項はあるには、あったのだが、そういう事を気にしていると、いつまでも休みは取れない。
1月は、すでにアポイントや、出張がいっぱい入ってしまったので、今しかないと思って、休んだ。
会社の電話機に、自動転送機能というのが、あるのを発見して、自分の携帯電話の番号に、セットした。
更に、4年前に、秋葉原で買ったノートPC(まだ、Windows95が出る前に、買って、自分でアップグレードしました。CPUは、75Mhz、メモリーは、なんと8MBという、化石のようなPCです)を今回は、持参しました。
これで、Win95を動かすと、PCが、メモリー不足で、カラカラカラと、カワイイ悲鳴を上げますが、気長に待っていると、一応使えます。
これを、Emailに、ファックス用に使っていると、なんとか仕事は出来ます。
情報通信の革新というのは、確かにすごいもんです。
3年前には、想像つかなかった環境です。
こうしていると、会社に私がいると思って、電話をくれる人は、すぐ私の携帯電話に、繋がるので、私が事務所にいると思い込んで話をしてきます。
ノートPCのお陰で、Emailも同様にやり取りできるし、ファックスも送れる。
普段と違う環境で、仕事をするのも、新鮮な発想が、出来たりして、結構いいもんです。
今まで、考えても見なかったが、やり用によっては、事務所でやっている仕事の、かなりの部分は、どこにいても出来る事に気が付いた。
じゃぁ、私がそれを望むか、と言うと、やはりそれは嫌だ。
どんなに、仕事がOA化で、合理的になっても、仕事を頼んだり、頼まれたり、或いは、会議で議論するのは、ハートがモノを言うものだと、思っています。
特に、時限が決まっている仕事を、他人に頼むとき、相手の表情や、目つきを見ながら、私は判断しています。
日本の会社社会と違って、いろんな国の人と、一緒に仕事をすると、一番頭を痛めるのが、期限通りに約束の仕事が、仕上がっていない事が頻繁にある事です。
どんなに、後で間に合わなくなって、相手をなじってみても、平均的なヨーロッパの人であれば、何故間に合わなかったか、という説明を、とうとうと聞かせてくれるだけで、そのリスクは最終的には、自分で負わなければ、なりません。
だから、私は人に何か、頼む時には、必ず相手の目を見据えて、(相手が、美女であると、その時間は3秒くらいで、おっさんだと、0,1秒くらい)「これは、1日遅れるな」とか、「これは、間違いなく予定どおりに、いい内容のレポートが来るだろう」と、見極める事にしています。
それ以来、頼み事、頼まれ事は、面と向かってやるべきだという、信念を持っています。
Emailで、相手の都合も聞かずに飛び込んでくる、頼み事は、だから嫌いです。