庭仕事のススメ
今回家を買って、初めて自分の庭なるものを持った。
前に住んでいた借家の時も、庭は付いていたが、全く愛着もなく、放ったらかしにして、草ボーボーでした。
今の家の、前の持ち主は、東洋大好き嗜好のドイツ人とオーストリア人の夫婦だった。
香港や日本に仕事で駐在していた人で、庭を日本庭園に改造し、家の中も京都で買った立派な和箪笥がデーンと置いてあった。
ドイツ人のご主人が、仕事の都合でウィーンに転勤になり、家を売る事にしたとの事。
妻は、大理石をふんだんに使った内装に、私はこの日本庭園が気に入り、よし、買おうと、意見が一致。
但し、我々以外にも、この家を買いたいという人が3人いて、入札する事になった。
値段の相場がよくわからないので、売り出し価格通りの値段で、不動産屋を通して、購入の意思を伝えた。
実は、他の人達は、我々より高い価格を提示したらしい。しかし、我々のプロフィールを聞いた、持ち主は、「日本人とドイツ人の夫婦だったら、値段は安くても、是非買ってもらいたい」という事になって、目出度く我々のマイホームとなった。
条件は、「この日本庭園を、大事にしてくれ」という事でした。
以来、庭の手入れは、私の聖域となった。
いままで、庭弄りなんてのは、年寄りの暇つぶし程度の認識でいたが、なかなか体力のいる仕事である。
そんなに大きな庭ではないが、植木の刈込、枝はらい、秋になれば枯葉の掃除、草むしりと、やることは多い。
徳富蘆花の名著に、「自然と人生」という本がある(たしか、岩波文庫で読んだ)。高校の頃に読んだので、中身はよく覚えていないが、武蔵野の美しい自然の風物詩である。
その中で、蘆花は、自分の庭は小さなもんだが、膝をいれるには充分の広さだ。四季折々の変化を見せてくれて、楽しい事きわまりない。というような事を書いていた。
私の庭も、そんな庭です。
また、手を掛ければ、どんどん愛着が湧いてくるものである。今年は、「青じそ」の栽培に成功した。自家製の青じそで作るスパゲティーは、また格別である。
来年は、長芋に挑戦したいと思う。
庭の手入れをしていると、季節の変化に対して誠に敏感になる。
枝葉の付き方、色の代わり具合で、毎日表情が変わるのがわかるようになる。
雨と晴天が、交互に続くと雑草はどんどん育つ。草むしりに、熱中すると、改めて自然の力とその恩恵を感じる事が出来る。
こうした感動は、小学校の頃、ベランダの植木鉢で朝顔を育てて観察したとき以来だ。ずっと忘れかけていた、朝顔観察日記を思い出した。
植物も、生き物である。手入れを怠ると枯れてしまう。日照りが続けば、水もやらなければならない。植木だって、枝はらいをしておかないと、その部分は枯れてしまう。
先般、ようやく、たまごっちの実物を見た。ヨーロッパにも上陸し、子供たちの間でブームになっている。
あんなもの(といったら、バンダイに怒られるかな)を子供に買い与えるくらいなら、自分の子供には、植物を育てる喜びを、教えてやりたい。
なぜなら、たまごっちよりも、もっとダイナミックだから。雑草に養分を取られないように、草むしりをして、水をあげ、日々成長していく植物は、自然界のひとつのライフサイクルを教えてくれる。
野菜や、果物なら、食べる事も出来る、種をとってまた増やす事も出来る。
樹だったら、いつかは自分の背丈より大きくなる感動がある。
花を育てれば、季節を理解する事が出来る。
でも、自然は、たまごっちより厳しい。枯らしてしまったら、リセットボタンでリプレイする事は出来ない。
でも、逆に枯れたと思っても、根が残っていて翌春に芽を出したら、こんな嬉しい事はない。
もし、子供に、たまごっちをねだられたら、是非、植物の種を買い与えて欲しいな、と思います。庭がなかったら、ベランダの植木鉢だって、充分。絶対この方が為になると、思う。
©1997
copyright Hiroyuki Asakura