教育

Jun.1.99

教育【蘭opleiding/獨Ausbildung/英education】


ドイツのデュッセルドルフで、馴染みの寿司屋、「もり久」に昼を食べに行った。

この店に来ると、私は気分がよくなり、お江戸の若旦那風に、「今日一番旨いネタで、適当にどんどん作って」とお勘定も気にせずに、贅沢する。

今回は、あわびのオリーブオイル和え、牛タン焼きとルコラサラダの盛り合わせ、にぎり寿司と、アルトビアー、フランケンワインを飲み、満足でした。

カウンターが、すぐいっぱいになってしまう、小さな店で、店のご主人と客との会話を聞いているのも、楽しい。

今日は、家族連れで来ている人がいた。

私と同様、日本人の男性とドイツ人夫人、男女二人の子供の構成だった。

子供二人は、日本語を理解しているようだったが、ドイツ語しか喋れない。

父親が、やはり子供に、ドイツ語で話し掛けていた。これが原因だろうか。


うちは、そうならないように、私は理解するしないに関わらず、子供に対しては日本語100%をいまでも、変らず続けている。

相変わらず、息子の日本語は、たどたどしいもんだが、なんとか根気良く、続けていこうと思う。

以前は、子供がドイツ語で話し掛けてくると、理解できない振りをして、日本語が出てくるまで待っていたが、これは、良くないと思ってやめた。

相手が、子供であっても、やはり、判っているのに、判らない振りをするのは、相手を欺くような事なので、あまり気持ちが良くない。

それに、子供が発しているメッセージを受け止めてあげないのは、態度としてとるべきでないと、自分で思った。


子供を持ってみて、いろいろと考えるが、教育するってのは、なかなか大変な作業である。

私が就職して、経済的に自立し、姉が結婚したときに、母が、「これでようやく子育てから解放されて、自分の生活が楽しめる」と、ライフスタイルをがらりと変えた。

そのときは、「そんなに、俺は面倒かけてきた覚えはないけどなぁ、随分大袈裟な事を言う」と思ったが、実際に自分も子供を持ってみて、この二人を、まともな人間に育てて、世の中に出す事を考えると、その意味がだんだん判ってきた。

これから、まだまだ学校に上がって、進学して手を離れるまでに、長ーい年数が待っている。

私見だが、教育は親の責任、学校は単なる知識の習得の機会を提供してくれる場所と考えている。

私なりに、子供達には、こうあって欲しいという姿はあるのだが、どうせその通りには育たずに、頭を抱えるんだろうな。そんなもんです。