八重洲
Feb.4.99

八重洲【ヤエス】


八重洲と言えば、東京駅の前、大丸百貨店のあるあたりの、一等地。

実は、この八重洲というのは、オランダにゆかりのある、地名だという事は、あまり知られていない。 なんとなく、昔川があって、入り組んだ中洲みたいのが、あったのかな?という想像をしがちだが、実は、まったくの当て字なのです。


Jan Joosten van Lodenstijn(ヤン ヨーステン ファン ローデンスタイン)

16世紀から、17世紀に活躍した、オランダの貿易商。
1600年(丁度関ヶ原の戦いの頃ですね)に、東インド会社のリーフデ号(オランダ語で、恋人の意味です。なかなか、ロマンチックな名前をつけますよね)にのって、航海中に、豊後の、臼杵に漂着し、そのまま日本に居着いてしまう。

「SHOGUN」のモデルになった、三浦按針ことWillam Adamsと共に、徳川家康に仕えた、初めての西洋人。

ヤン ヨーステンが、呼びにくかったのか、ヤンヨースとか、ヤヨスと呼ばれるようになる。

家康は、彼に、屋敷と家来を与え、その地を八重洲河岸と名づけた。

地理的にご存知の方は、すぐわかると思うが、今の皇居のすぐ近くにあり、当時から、いわば江戸城わきの、一等地であるから、 かなり、厚遇されていたのではないだろうか。

家康に忠誠を誓った、ヤヨスは、将軍家から、朱印状を、与えられ、公認貿易商として、日蘭貿易に従事した。

三浦按針に比べると、注目度も文献も少ないが、彼の数奇な運命は、私の、興味を引いた。

私がいる街から、すぐの東インド会社の拠点があった、古都デルフト市出身だというから、もし機会あれば、彼のルーツを調べてみたい。

1623年に、航海中、南シナ海で船が難破し、溺死した。
生年が定かでないが、その頃既に、65歳前後だった筈なので、大した人物だ。

ジャイアント馬場ですら、61歳で現役生活にピリオドをうったのに、その年で、帆船にのって、現役の商人として、海原を駆け巡っていた、ヤンヨーステンの、姿に、憧れを感じる。

余談になるが、東京駅には、八重洲以外にも、オランダにゆかりがある。

八重洲ではなく、反対側の丸の内側の建物は、明治時代に作られた、赤煉瓦のエレガントな、面影を残しているが、実は、このモデルになったのは、アムステルダム中央駅です。

実物を両方みた事が、ある人なら、納得するでしょう。そっくりなんだから。