国籍【こくせき】
英語では、nationality。米語では、citizenship。
たまたま、昨日、アムステルダムの珍客こと、ネット友達の、健さん(リンク集参照)の所に遊びにいった。
偶然、近所の日本人男性の、Kさんという人が、アメリカ人の夫人を伴って来ていた。
国際結婚をした、日本人男性が、一挙に3人も、一堂に会することは、非常に珍しい。
話題は、やはり国際結婚やら、料理、文化、異国暮らしの楽しみかた(健さんの夫人は、台湾の人だし、私の場合は、妻がドイツ人である事を考えると、オランダという第三国にいるのは、不思議といえば、不思議だし、あまり必然性はない)、国籍の話など、多岐に渡り、楽しかった。
健さんの、娘さんは、L.A.で生まれたので、米国籍を持っている。
ってことは、彼女は、日本人の父、台湾人の母を、持ちながら、K夫人と、同じ国籍の人になっちゃうのだ。
奇妙な事に、台湾や韓国なんかは、父系主義の国籍法があるため、生みの母と同じ国籍を持っていない。
そんな、状況を目の当たりにして、「国籍」とはそもそも、なんだろうと、考えた。
国境を越えて、人があちこちに移り住む、現在、世界中を往来する時に、使うパスポートの発行元という程度の定義づけしか、出来ない。
それまで、国籍というのは、なんとなくその人が、国際社会に出たときの、アイデンティティーに一致するような、ものだと認識していたが、時代と共にどんどん、別なものになってくると思う。
私の子供たちも、二重国籍を所有している。彼等は、日本人であり、ドイツ人である。
こんなケースは、一昔はごく希な、状況だったのだろうが、インターネットを見渡せば、国際結婚をしている人は、山ほどいるし、日本に限らず陸続きのヨーロッパなんかは、王室から庶民に至るまで、歴史的に国際結婚を繰り返している。
現に、私の妻も、オランダ人とフランス人の血を引いていると言う。
ドイツで、政権与党が保守派のCDUから、中道左派のSPDに昨年、変わった。
新与党のSPDの政策目標の一つに、二重国籍の容認と制度化があるので、私の子供たちが、大きくなる頃には、旅行先によって、パスポートを使い分けるように、なるだろう。
子供達には、国籍がどうのこうの、こだわらない、地球人として育って欲しい、とおもっています。