ドイツ語【Deutsch】どどいつより、習得は、むずかしい
1月11日の、朝日新聞(asahi.com)の天声人語に面白い、話が載っていた。
著作権を恐れず、転載してしまおう。
■《天声人語》
ご近所同士が道で出会って、しばらく立ち話するのは、ドイツでも珍しくない。そんな時の相づちの一つに、ダス・イスト・ローギッシュというのがある。
直訳すれば「それは論理的ですね」となるが、実際には、それは、そうよねぇ、ぐらいの軽い意味だ。それにしても、日常のおしゃべりに「論理」が出てくるところがドイツ的だが。
一方で日本語の「なつかしい」にあたる単語がドイツ語にはない。旧知と会ったり、故郷を久しぶりに訪れたりしたとき、日本語の上手なドイツ人なら、わぁ、なつかしい、と思わず日本語が口をついて出たりする。
ドイツ語に限らず外国語にはそれぞれ、日本語にない発想や感覚があふれている。同時に外国人から見た日本語にも、独特の個性があり、それが研究者の興味をそそる。お互いに外国語を学ぶことで、より深く自国語を知る。
東京にあるドイツ日本研究所は10年前に、ドイツ政府が海外にもつ学術研究機関の一つとして設立された。経済成長を遂げた日本を人文、社会、経済など多角的に調べている。その研究活動の一環として、新たに和独大辞典を編さんすることが昨年末に決まった。
編集者の一人ユルゲン・シュタルフさんによると、ドイツの研究者たちに最も愛用されてきたのは木村謹治編の『和独大辞典』だ。しかし、昭和12年(1937年)の初版で、現代用語の理解には役に立たない。新しい辞書もあるが、語彙(ごい)が不十分だそうだ。
新辞書は明治初期から現在までの用語を網羅し、約10万の見出し語を立てる。それぞれに新聞、雑誌、広告のコピー、文学作品などから集めた用例をつける。独日の学者ら100人が執筆にあたり、5年後の完成をめざす。
いい辞書ができれば、日本学科の学生たちの勉強が進む。ひいては海の向こうに日本を知る若い友人がふえる。辞書は、相互理解の土台でもある。
成る程、今まであまり気にしていなかったが、確かに、ドイツ語の Das ist logisch.(もしくは、Logischだけでも)とうフレーズは、よく使う。別に論理展開をしていなくても、そういう。
オランダ語だと、Dat klopt.なんて言う。直訳すると、「それは的を得ている」くらいなんだが、そんな大げさな意味はなく、使う。
英語だと、(もっとも、私が付き合っているのが、平均的英国人かどうか、わからんが)良く、Sounds reasonable(利にかなっているね)とか、It makes sence(意義ある)なんて、大げさな表現を良く聞く。
言葉は、常に背景に文化を持っている。だから、単語を覚えるだけでは、使えない。
言い回し、を覚えるのは、日本人は苦手とする所。単語を覚えるのは、得意なんだけどね。
確かに、「懐かしい」に相当する、ドイツ語も、思い当たらない。
無いのだ。
nostalgischという、形容詞はあるが、「懐古的」という程度の意味で、人間関係には使われない。
無理して、表現するならば、schon lange nicht gesehen(長い間見かけませんでしたね)くらいになって、一語で表現できない。
オランダ語だと、同じ意味の heel lang niet gezienとなり、英語だと long time no see (文法的には、変だと思うんだが、結構使われている表現だ)あたりだろう。
やはり、西欧で使われている、インドヨーロッパ語族の、言語は、この変の感覚が、共通項が多い。これも、文化的背景が、似通っているからだと思う。
たまにこういう同意語の、言語比較をやってみると、結構面白い。
ドイツ語を使っていて、良く困惑したのが、"Vernunft"という単語。上のLogischと同じで、日本語にすると、「理性、分別」という意味の、哲学的な用語だ。
エマニュエル カントの名著「純粋理性批判」の、理性は、この"Vernunft"だ。
形容詞が、vernunftigになるのだが、ドイツ人は、たいした意味もなく、この単語を使う。
人の性格から、食事や建物に至るまで、「理性的」と呼ぶ。意味合いとしては、「まっとうな」「まあまあ、いける」程度なんだが、最初にこの言葉を聞いたときには、困惑した。
出張先のホテルの話を、していて、ドイツ人の同僚から、
「それは、vernunftig/理性的なホテルか?」
と聞かれ、私は、サロンで大学教授かなんかが、本を抱えて、シャワーのお湯の温度を、形而上学的唯物論で検証しようと、談話しているシーンを想像した。
要するに、まともな朝食が出て、静かで、安眠できる環境か、という程度の意味なんだが、自信たっぷりに
「違う、商業的なビジネス向けのホテルだ」と、ちんぷんかんぷんな、返答をして、恥じをかいた覚えがある。
そんな、思いをしないですむように、上記の辞書の完成を心待ちにしたい。
蘭学者を自称しつつも、今日は独学者になってしまった。