ドイツ語
Jan.12.99

ドイツ語【Deutsch】どどいつより、習得は、むずかしい


ヨーロッパにいると、結構使い甲斐のある言葉。中東欧でも、結構通じる。 母国語として、使用する人数は、実は日本語よりも少ない。
ドイツ統一ブームに湧いた10年前は、結構学習する人が増えたそうだが、最近は減少傾向にある。
少し古い資料だが、ランキングを列挙しよう

  1. 北京語
  2. 英語
  3. ヒンドゥー語
  4. スペイン語
  5. ロシア語
  6. アラビア語
  7. ベンガル語
  8. ポルトガル語
  9. マレー語
  10. 日本語
  11. ドイツ語
  12. フランス語
の順だ。

1月11日の、朝日新聞(asahi.com)の天声人語に面白い、話が載っていた。
著作権を恐れず、転載してしまおう。


■《天声人語》

 ご近所同士が道で出会って、しばらく立ち話するのは、ドイツでも珍しくない。そんな時の相づちの一つに、ダス・イスト・ローギッシュというのがある。

 直訳すれば「それは論理的ですね」となるが、実際には、それは、そうよねぇ、ぐらいの軽い意味だ。それにしても、日常のおしゃべりに「論理」が出てくるところがドイツ的だが。

 一方で日本語の「なつかしい」にあたる単語がドイツ語にはない。旧知と会ったり、故郷を久しぶりに訪れたりしたとき、日本語の上手なドイツ人なら、わぁ、なつかしい、と思わず日本語が口をついて出たりする。

 ドイツ語に限らず外国語にはそれぞれ、日本語にない発想や感覚があふれている。同時に外国人から見た日本語にも、独特の個性があり、それが研究者の興味をそそる。お互いに外国語を学ぶことで、より深く自国語を知る。

 東京にあるドイツ日本研究所は10年前に、ドイツ政府が海外にもつ学術研究機関の一つとして設立された。経済成長を遂げた日本を人文、社会、経済など多角的に調べている。その研究活動の一環として、新たに和独大辞典を編さんすることが昨年末に決まった。

 編集者の一人ユルゲン・シュタルフさんによると、ドイツの研究者たちに最も愛用されてきたのは木村謹治編の『和独大辞典』だ。しかし、昭和12年(1937年)の初版で、現代用語の理解には役に立たない。新しい辞書もあるが、語彙(ごい)が不十分だそうだ。

 新辞書は明治初期から現在までの用語を網羅し、約10万の見出し語を立てる。それぞれに新聞、雑誌、広告のコピー、文学作品などから集めた用例をつける。独日の学者ら100人が執筆にあたり、5年後の完成をめざす。

 いい辞書ができれば、日本学科の学生たちの勉強が進む。ひいては海の向こうに日本を知る若い友人がふえる。辞書は、相互理解の土台でもある。


成る程、今まであまり気にしていなかったが、確かに、ドイツ語の Das ist logisch.(もしくは、Logischだけでも)とうフレーズは、よく使う。別に論理展開をしていなくても、そういう。

オランダ語だと、Dat klopt.なんて言う。直訳すると、「それは的を得ている」くらいなんだが、そんな大げさな意味はなく、使う。

英語だと、(もっとも、私が付き合っているのが、平均的英国人かどうか、わからんが)良く、Sounds reasonable(利にかなっているね)とか、It makes sence(意義ある)なんて、大げさな表現を良く聞く。

言葉は、常に背景に文化を持っている。だから、単語を覚えるだけでは、使えない。
言い回し、を覚えるのは、日本人は苦手とする所。単語を覚えるのは、得意なんだけどね。

確かに、「懐かしい」に相当する、ドイツ語も、思い当たらない。
無いのだ。
nostalgischという、形容詞はあるが、「懐古的」という程度の意味で、人間関係には使われない。

無理して、表現するならば、schon lange nicht gesehen(長い間見かけませんでしたね)くらいになって、一語で表現できない。
オランダ語だと、同じ意味の heel lang niet gezienとなり、英語だと long time no see (文法的には、変だと思うんだが、結構使われている表現だ)あたりだろう。
やはり、西欧で使われている、インドヨーロッパ語族の、言語は、この変の感覚が、共通項が多い。これも、文化的背景が、似通っているからだと思う。

たまにこういう同意語の、言語比較をやってみると、結構面白い。
ドイツ語を使っていて、良く困惑したのが、"Vernunft"という単語。上のLogischと同じで、日本語にすると、「理性、分別」という意味の、哲学的な用語だ。

エマニュエル カントの名著「純粋理性批判」の、理性は、この"Vernunft"だ。
形容詞が、vernunftigになるのだが、ドイツ人は、たいした意味もなく、この単語を使う。

人の性格から、食事や建物に至るまで、「理性的」と呼ぶ。意味合いとしては、「まっとうな」「まあまあ、いける」程度なんだが、最初にこの言葉を聞いたときには、困惑した。

出張先のホテルの話を、していて、ドイツ人の同僚から、
「それは、vernunftig/理性的なホテルか?」
と聞かれ、私は、サロンで大学教授かなんかが、本を抱えて、シャワーのお湯の温度を、形而上学的唯物論で検証しようと、談話しているシーンを想像した。

要するに、まともな朝食が出て、静かで、安眠できる環境か、という程度の意味なんだが、自信たっぷりに
「違う、商業的なビジネス向けのホテルだ」と、ちんぷんかんぷんな、返答をして、恥じをかいた覚えがある。

そんな、思いをしないですむように、上記の辞書の完成を心待ちにしたい。

蘭学者を自称しつつも、今日は独学者になってしまった。