謝罪

May.13.99

謝罪【Entschuldigung】(ぷろしあ語)


クリントンがベオグラードの中国大使館誤爆について、謝罪した。

ドイツのシュレーダー首相も、北京を訪問し、ドイツ首相として謝罪した。

NATO各国の気持ちも代弁すると言ったが、はっきりとしたNATO代表部からの、直接中国に対する謝罪は、聞かれない。 ぷろしあ語の、Ent_schuldigungというのは、罪(Schuld)を取り除く(Ent-)行為。

中世には、免罪符(Ablass)を教会が、販売し、カトリックの腐敗を生み、やがてルターの宗教改革を引き起こすに至る。

金で、買わなきゃならない程だから、犯した罪は、簡単に免除されない。

善行を行って、バランスシート上で、貸方の勘定科目、"罪"と借方"徳"の引当残高がつりあえば、償却することはできるのだが、なかなか容易な事ではない。

日本人の平均的では、謝罪することで、とりあえず、誠意を示して、話を始める。

欧州では、日本的感覚と、若干違う事に、「簡単に謝罪してはいけない」という事は、ものの本でよく読むと思います。

交通事故を起こしたときに、たとえ、相手が怪我していても、相手に過失がある場合には、謝ってはいけない、というくらいです。

メディアを見ていて、演説やインタビューで、この言葉が出てくるのは、まれである。

私の記憶では、ZDFのアナウンサーが、ゾーリンゲン事件(90年代初頭に、トルコ人住宅を、民族主義右翼青年が焼き討ちして、多数の死傷者を出した事件)の報道のあと、この言葉を、全国の視聴者にたいして、使っていた。


さて、本題はこれから。

今回の謝罪は、当然なのだが、私の腑に落ちないのは、犠牲者が中国人だったから、謝罪しているのである。

G8で、中国をはずして、ユーゴ問題を話し合って、国連常任理事国としての立場を、完全に無視し、NATOが勝手に、先走っている以上、一番気にしなければいけなかったのは、中国だから、政治的背景を考慮して、単に謝罪しているだけ。

じゃぁ、いままでNATOの誤爆で、犠牲になってきた、セルビアの民間人に対しての、謝罪はないのか?

これでは、セルビアの犠牲者は、浮かばれない。

人間の命の重さは、何人たりとも、同じである。

クリントンや、シュレーダーの姿勢は、いみじくも、中国人の命は、セルビア人の命よりも、重いと言っているに等しい。