ホロコースト【holocaust】
表題の言葉は、誰もが戦時中のナチスによる、大量虐殺を連想する。
ユダヤ教の全燔(ハン)祭の丸焼きの供物が元の意味なのだが、ユダヤ人が犠牲になった、大惨事の代名詞になってしまった。
似たような、愚行は、日本軍が各地でやったし、民族の対立がいまだに、世界の各地で流血の事態を招いている。
平常時に、複数の人間を殺害すれば、連続殺人魔なのだが、戦時には英雄になってしまう。
直接、殺戮に関わった人以外にも、間接的な協力者もいる。
最近のニュースで、ベルギーで戦時中に、ナチスの協力者として、ユダヤ人狩りを支援した経歴のある人の、名誉回復のような話が、あった。
ナチスシンパとみなされた人間は、ベルギーでは法的な市民権に、制限を加えられ、就職や、年金受け取り等が自由に出来なかったのを、見直そうという動きがあり、ユダヤ人団体の、大反発を招いていた。
この慰霊碑は、ベルリンの象徴、ブランデンブルク門の、すぐ近くに立てられる予定だ。
この計画自体は、過去十年間にわたり、揉め続けていたもので、ようやく関係者の妥協案がまとまり、実現にこぎつける事になった。
連邦議会での承認が、正式に下れば、年内にも着工するらしく、完成すれば、2,500個の、コンクリートの墓標のような、慰霊碑が立てられる。
アデナウアーはじめ、ブラント等、戦時中に、反ナチスであり、汚れていない経歴が、逆に国家元首になれる条件でもあった。
この辺りは、日本の戦後の政治家と、状況が異なる点だった。
全大統領、ヴァイツェカーは、戦後40年目、経済復興を果たし、欧州一の経済大国になった時、「過去に目をつぶる者は、未来に対して、盲目になる」と改めて、警鐘を鳴らす、演説をした。
丁度、日本がバブルの、上り坂にさしかかって、国中が浮かれていた頃の事である。
私が、日本にいた当時に、過去を振り返るような、世論は、盛り上がりがなかった。
私自身も、何も考えないで、過ごしてきたが、欧州に来てみて、平和の尊さを、改めて考えるようになった。
なぜなら、いたるところに、惨事の記憶を風化させてはいけない、という努力が見られ、強い意志が感じられたからだ。
もっとも、彼自身もコメントしていたが、戦前といっても、当時まだ赤ん坊だった、コールは、「ある意味で運がよかった。私よりも年長の人は、多かれ少なかれ、ナチス体制にみんな、関わっていたから」と言っている。
ドイツのエゴを、むき出しにしてはいけない、と恐らく自分自身に言い聞かせ、政権の最後の辺りは、国内政策よりも、欧州全体への貢献を率先していた姿勢が、私は好きだったが、結果として、去年の選挙で敗北する要因にもなった。
当分、ドイツでは、あれだけの度量を持った政治家は、望めそうも無い。
それどころか、危険な男が出てきた。
近隣諸国への配慮を欠く、無神経な政治家が、最近権力を集中し、表舞台に出てくるようになった。
蔵相の、オスカー ラフォンテーヌ。この男、私は好きになれない。