イタリアへの憧れ
Mar.14.99
-ヴェニスに死す-

イタリアへの憧れ【Die Sehnsucht nach Italien】


今週、ロンドンに出張の折り、ピカデリー近くのLangans Brasserieという、有名な人気レストランで夕食をとった。

場所的には、ホテルリッツの近くだ。

英国の伝統的なレストランに良くある、作りで、螺旋階段を登ると上の階に景色の良いダイニングルームがある、いい店だった。

食べおわって、壁にかけられた、大小無数の絵画、壁画をよくみていると、全部イタリアのヴェニスの風景画だった。

同席の英国人に、ここにある絵は、全部ヴェニスの風景画だね、と同意を求めると、いや、これはロンドンの絵かもしれない、などと頓珍漢な、答が帰ってきた。

サンマルコ広場の、丸屋根の、寺院がSt.Paul寺院に、ゴンドラの停泊する水際が、テムズ河にでも見えるのか?

紛れもなく、私が好きな、ヴェニスの街の絵だった。

サンマルコ広場は、ベルギーのブラッセルにある、グランプラス広場と並んで、私に、ため息をつく程感動させた美しい広場だ。


イタリアという国は、ヨーロッパに於いて、ある種の、敬意と憧れをもって見られる特別な国だと、私は思う。

正確に言い表すならば、キリスト教文化圏に於いて、とした方がいいかもしれない。

ローマカトリックの総本山、バチカンがいまでも、独立国として、神聖不可侵の存在になっている。

勿論、キリスト教の布教活動が、本格的に組織化したのは、やはりローマであり、キリスト教文化の、精神的な礎を形成した。 広範囲に宣教が可能になったのは、ローマ帝国の、広範な領土支配あってこそである。

アルファベットの形成と、定着はラテン語をベースにした聖書が、文化伝承のデファクト スタンダートと使用されてきた。

丁度、日本人が、精神哲学的な源を、中国文明に求めるのと、似たようなものだ。

ビジネスに成功した、経営者に、座右の銘を語らせると、孔子、荘子、孟子、老子を引用する人は、やたら多い。

こうして、文章を書いていても、漢字かなのいずれも、中国から拝借したものである。


シェイクスピアが、本当にヴェニスを見る機会があったのかは、調べていないが、英国にいる彼が、「ヴェニスの商人」を書いた。

90年代に入って、冷戦終結で、国外旅行が出来るようになった、ロシア人が、観光対象として、「一番訪れてみたい場所」が、ヴェニス/イタリアだった。

トーマス マンは、冴えないドイツ人が、憧れのイタリアで、しかも、ヴェニスの街で、「美」を発見した姿を描いた。

疫病の流行で、ヴェニスの街が死に行く過程を、主人公の死に並行させて、「美しいもの」は、彼の手の届かぬ所にある事を、「ヴェニスに死す」で著した。

ルキノヴィスコンティは、ドイツ人のイタリア文化に対する、コンプレックスを見抜き、これを見事に映像化したと思う。

ヴィスコンティ自身が、少年愛の性癖を持っていた事は、有名。

この映画で、美少年というのは、美少女以上に、悪魔的な魅力があると感じた。

「ヴェニスに死す-Tod in Venedig-」をドイツの映画館で見て、私は猛烈に、ヴェニスが見たくなり、イタリア行きのチケットを買った。

カーニヴァルの時期の、ヴェニスを訪れて、映画のロケ地を、歩いて回った(あの、砂浜は、サンマルコから、ボートで渡った、リド島にありました)。

文豪ゲーテは、人間の生き様と苦悩、芸術表現のために、どうしても、ドイツにいたのでは、感性が磨けないと思った。

イタリアに行って、ルネサンス文化がもたらした、人間性の追求をする必要があると感じたのだろう。

政治家としての、活動を投げ打って、イタリアに赴いた、ゲーテは、ドイツ人が持つ、イタリアに対しての、文化的コンプレックスを身を以って示した、最初の芸術家でなかろうか。

この気持ちを、ドイツ人は、イタリアへの憧憬- Die Sehnsucht nach Italien-という言葉で、自ら表現している。