9月の更新日記
9月26日 添付ファイルの保存の仕方が分りません!!!(泣) アメリカでは、スター総出演のチャリティー番組が、NY救援の為に巨額の寄付金を収集。素晴らしいですね! アフガニスタンとパキスタン国境の街クエッタ、アフガニスタン難民で溢れ帰る公立病院の医師が悲鳴を上げています。余りに大量の患者に対応しきれない。抗生物質が、薬が絶対的に足りない。患者の多くは、飢餓に弱った乳幼児です。 この金額で何人のアフガン難民の子供たちが救えるでしょう? 何人のアフリカの子供たちが予防接種を受けられるでしょう? 最貧国における乳幼児死亡原因でもっとも多いのは「下痢」です。 予防は困難ではありません。 治療も不可能では有りません。 けれど毎日多くの子供たちが、下痢によって5歳になる前に命を失います。 その原因の多くは汚い水に起因します。 100万ドルあれば、いくつの井戸を掘る事が出来るでしょう? 赤十字に寄せられた寄付金は、既に多くの途上国の年間GDPを上回っています。私自身、途上国開発に関わる者として、新聞に踊るスターの寄付金額を、子供達がお小遣いを集めた善意の寄付を、複雑な気持ちで眺めています。 一時の寄付金は一時の気安めにしか過ぎない。自助努力無しには貧困の環から逃れる事は出来ない。だから教育を広め、女性の地位を向上し、人口増加を抑制し、民主的政府を推進し、環境保護に努め・・・・ でも でも、今、100万ドルあれば、何人の子供たちが助かるのだろう。 かつて私が幼児教育確立に立会った某国は、内戦によって一夜のうちに崩壊しました。 国際機関から借りた基金で建設した学校は爆撃によって破壊され、建設資金の借款だけが残っています。「国を建設するのは子供たちだから、子供たちの教育なしには発展は無理だ」と言って大学建設の為の基金を、小学校建設基金にまわそうと官僚を説得していた教育相は、首都爆撃の際に自宅が被害に遭って亡くなりました。飲むと酔って踊り出す、子煩悩な赤い鼻のおじさんでした。 それが戦争 |
9月25日 いきなりトップで自慢している通り、宝物庫と蟹の妄想房に鉄壁 中華さまのイラストを飾らせて頂きました。サイト・リニューアルに当り、下げられたイラストを無理言って頂いてきたものです。嬉しい・・・中華さまの描かれるデスマスクとアフロ、大ファンなのです。クールですぜ、でっぴー!スイートですぜ、アフロ! それを、こんなひなびたサイトに飾るのは勿体無いという気もせにあらずなのですが(TT) そして!近々、華南しゃんのコスプレ勇姿をアップする予定!これも、チャットで駄々捏ねて無理矢理に強奪したものです。がはははは いやー充実してきましたな、ここも。これも一重にワタクシの人格のなせる技でしょう・・・要するに、遠慮などと言うものは一切無視して駄々をこねて貰ってしまうという、おばはんならではの秘技ですな。 人間として、これでいいのか、ぢぶん? |
9月23日 元々NY出身で、ビジネス・スクールで教鞭を取る友人とディナーしました。 彼はNYで親友のお葬式を済ませて帰ってきたばかり。親友だけでなく、今回の事件で友人や教え子を数人失いました。そんな彼がNYの友人に聞いた話。 WTCの上階に務める友人A。最初の衝撃の後、完全な混乱と恐怖の中で長い階段を降りきって、やっとロビーが目前と言う時・・・車椅子の人を助けるべく数人の消防員が、彼らの横を摺り抜け階段を駆け上がっていきました。「そこをどけ!通してくれ!自力で降りてこれない人がいるんだ!!」Aがやっと建物を出てホンの数分後、ビルは崩壊。通り過ぎていった消防員達の横顔が、駆け上がって行く後姿が、そして「Get outa there!」という声が忘れられないのだそうです。 事件発生直後、私の友人は、WTCからは少し離れたセントラルパークの南西側のアパートに居る友人と電話で話していたそうです。「窓の下を沢山の人が・・・土煙を被って灰色になったビジネススーツの人たちが沢山北に向かって歩いてる・・灰色の人の波だ。ずーっと続いてる・・・カーテン閉めるべきかなぁ?」今すぐ閉めろ!と、友人は叫んだそうです もう一つ、これは新聞で読んだ話 その5歳の男の子は、最初の衝突の後、幼稚園の窓の外に、高層ビルから次々と飛び降りて行く人たちを見ました。「あの人たち、どうなっちゃったの?」毎日そう聞くという、その子の母親は「一体何と答えればいいの?」と訴えています。 NYは大丈夫。もうバウンス・バックを始めてる。そんな事を言いながらレストランに向おうと家の外に出ました。うちの御近所に並ぶ星条旗・・・「うわー、キモチわりー!」彼は小さく身震いしました。 ところで事件発生時、現大統領は南部にいました。では、ホワイトハウスには誰が居たんでしょう?>それは第41代大統領ブッシュ父と彼の国防長官だったチェイニー副大統領だったんですねぇ。一体、何を話してたんざましょ? 今回の戦争で壊滅に追いやられるのはイラクかもね |
9月19日 リンク・ページを変更。こちらから直接、半分閉じている本妻宅リンクに跳べるようになりました。リンク・ページを自分のブックマーク替りにしている私には一層便利になりました。はい。それから素材にリンク一件追加 あの事件から一週間が過ぎました。もう生存者が見つかる見込みは無いだろうと言われつつも、一縷の望みをかけて今日も、NYCの救助隊は瓦礫を掘り返しています。一方で、未だ関与を否定し続けているオサマ・ビン・ラディンに事実上の宣戦布告が出され、双方は士気を高めています。ここアメリカでは「愛国心」を示す為、各家には星条旗が掲げられ、星条旗を立てて走っている車も少なくありません。日本で同じ事したら、右翼関係と思われて御近所の目が冷たくなりそうです。 そういえば 事件発生直後、議事堂の階段に議員が集まって声明を発表しましたが(襲うのなら今じゃないのか?と思ったのは私だけではあるまい)、あの時、誰からとも無く国歌「God Bless America」を歌い始め、最後は大合唱になりました。あの歌声に感動し涙したアメリカ人は多いでしょう。日本の議員が「君が代」歌い出したら、えらい物議を醸し出して近隣諸国からも叩かれまくりそうです。 このところ老若問わず、自分達はアメリカ人である事をとても誇りに思っていると言う連中によく出会います。今回の事で本当に実感した、と・・・日本で若いもんが同じ事言ったら、余りに珍しくてニュース・ステーションに出れそうです。 ・・・って、何をそんなに誇りに思ってるの?テロリストに襲われた事?頑張る救助隊の事?そりゃ、どこの国でも同じじゃないの?阪神大震災の時だって、みんな頑張ってたよ。みんなして金曜日に祈った事?自由の国なんて言いながら宗教押し付けてんじゃないの?アメリカ人として誇りに思うから、アラブ系のアメリカ人は嫌ってるの?あんたらが襲ったり嫌味言ったり脅してるアラブ系の人たちだって、大概は「アメリカ人」だよ。だいたいアメリカ人って一体何様? ここはどうせ身内しか読んでないので何でもありです。たまたま覗いてしまったあなた、ムカつくからと言って掲示板を荒らさないように(笑)一応は公共の場ですからね。脅しは個人的にメールでね |
9月18日 今日はワールドトレード・センターの想い出を語ります。アメリカ、いかんは資本主義経済の繁栄の象徴としてテロリストのターゲットとなり、崩れ去ったWTC。 アメリカに初めて来た時に住んだのはマンハッタンでした。NYには合計すると2年弱住みましたが、NYでの私は大笑いするほど貧乏でした。特に最初に住んだ時には、奨学金学生(但し学費しか出してもらえない)でしたので、生活費は乏しい貯金と自給4ドルの図書館のバイトで賄っている困窮状態。小金が落ちてはいないかと常に下を向いて歩いておりました。ハンバーガー屋のフィキシング・バーで野菜を補給し、学食で安いスープを買ってはカップに詰め込めるまでクルトンを詰め込んでふやかしたもので胃を満たし、寒い日にホームレスの兄ちゃんと一杯の熱いコーヒーを割勘にしたことも・・・(私もホームレスと思われていたのかなぁ) うーん・・・今思うと本当に貧乏だ・・・ そんな貧乏人の私も、何度かローワーマンハッタンのWTC前の広場で、ホットドッグ(肉の補給源)をほおばった事がありました。お昼時、WTCのツインタワーから出てくる仕立の良いスーツを着込んだビジネスマン、ハイヒールで颯爽と歩くキャリアレディー・・・金融の最先端ウォール街のプロフェッショナル達。無茶苦茶カッコ良かったです。私も彼らを観ながら、自分もそんな風になっているつもりになって夢想したものでした(こんなみすぼらしいキャリアガールはいない)。あの輝かしい場所が瓦礫に埋もれてしまった。あの輝かしい人たちが瓦礫に埋もれてしまった・・・ あの朝、出勤してきたばかりで、先に開いたアジア・ヨーロッパの市場の動向を確かめようとコーヒーを飲みながら新聞に手を伸ばした金融マンがいたでしょう。その時、ふと机の上の恋人の写真に目をやったかもしれません。そして、そのコーヒーを作ったのは、キャリアアップを目指して夜間ビジネススクールに通う秘書の若い女性。彼女は昨夜提出した課題の出来を心配しながらコピー機に向かっていたのでしょうか。夜勤明けの警備員は、今なら学校へ行く前の娘にいってらっしゃいとキスする事が出来るかなと時計を見ながらエレベーターを降りていっていたのかもしれません。そして、遠い国から派遣されたビジネスマンは、まずメールをチェックしようとPCを起動している最中だったかもしれません。本社からの連絡、そして家族からのメール・・・ みんな、みんな、瓦礫に埋もれてしまった。 |
9月17日 更新、ないです。戯言だけです m(__)m ご存知の方も多いけど、私はアメリカに住んでいます。この春までは、国会議事堂の近くに住んでいました。映画等で議事堂に何かある度に、とばっちりをくって一緒に吹っ飛ばされる家・・と、よく笑っていました・・・シャレにならん事が起こってしまいましたね。ペンタゴンに突っ込んだ飛行機は議事堂上を旋回したのだそうです。ワシントン市内上空は公用機以外は飛行禁止の筈なのに甘いもんです、首都の防衛体制。 先週火曜日、テロリストによって4機の民間機がハイジャックされ、うち2機はNYに一機はワシントン郊外の国防省本部(ペンタゴン)に突込み、残る一機はペンシルヴァニア州に墜落しました事は、今や知らない人もいないと思われます。この日は私も多分に違わず、何等進展はないとしりつつもニュースに釘付けで、ビルに突っ込む飛行機の、崩壊するビルの、逃げ纏う人々の映像を、何度も何度も見ました。 翌朝、寝ぼけ眼で、新聞を取りに外に出ました。取上げた新聞には、灰まみれの人々の写真と死者数千万の文字。いつものように良く晴れた日で、いつものようにすずめがチュンチュン鳴いていて、水曜はゴミの日なので道には茶色いゴミペールが並んでいました。もうアメリカは今迄のアメリカには戻れない、と太字で書いてある新聞を家の前に立ったまま読んでいると、いつものようにジョッギング中の御近所のおじさんがグン・モーニンと通り過ぎていきました。 木曜日、事件の衝撃に麻痺していた人々の目は少しずつ「ヒューマン・ファクター」に移っていきます。被害者となった方々の写真、名前・・・突然に人生を中断された人々。そして家族を友人を恋人を失った人々は、これからの人生の軌道変更を余儀なくされるのでしょう。 ブッシュ大統領は、翌金曜を「全国追悼と祈りの日」と定め、全てのアメリカ人に教会なりモスクなりで祈りを捧げる事を要請しました。属する宗教機関を持たない者とか、神を信じていない者、とかの存在なんて考えてもいないのね、と苦笑すると共に、この皮肉に悲しみを覚えずにはいられませんでした。もしも本当に今回の事件の犯人が過激派イスラムだったとしたら・・・彼らがビルに突っ込む直前に叫んだ言葉は「アッラーフ・アクバル!(アッラーは偉大なり)」に違いないでしょう。人は宗教の為に争い血を流す。 そして月曜日の朝、NYのエージェントが電話をくれました。窓から見える筈のツインタワーが無い。目前の光景なのに信じられない。彼女はそう言いました。でも、それだけ、ビジネスは何もかも Back to normalよ。そして私たちはビジネスの話に取り掛かります。彼女の電話口の向こうから、消防車のサイレンが聞こえてきます。38階のオフィスにすら届くサイレン。 今朝の新聞には、大学生達に「戦争が始まったら兵として志願するか?」という質問を投げかけた記事が載っていました。「自由を守る為に戦う」「多少の犠牲はいとわない」アンタら、戦争ってどんなものか知ってるの? 「兵隊の幽霊」話って、日本では多いですよね。血まみれの日本兵が恨みの篭った目で・・・っていうの。アメリカには、その類の話はありません。兵が無念を抱いて死んで行ったなんて、思いもしないからなんでしょう。 アメリカとタリバンはよく似ています。自分が正義であり、自らが信じるものは真理であると疑わず、それらを貫く為には他を巻き込んでも当然であると思っている。そして「正義」の為には命をも惜しまない、と思っている者までいます。 そして、エコノミストの私は「今後経済はどうなるのでしょうか?恐慌の恐れがあると思いますか?一度は緩和に向かっていた米国の経済におけるヘジモニーは復活するでしょうか?」なんて質問に応えるべくPCのキーを打ち、ウォール街の動向を見守っています。この悪況にもショックにもまげず再開した活動に対する人間のドラマにではなく、経済の一環としての金融活動に注目しています。 何か本当に変ったのでしょうか?変るのでしょうか? 今日もテキサスの空は晴れ渡っています |