女神に忠義を誓い、聖衣を纏う事を夢見る者は多い。だが、実際に聖衣を得る事が出来るのは、ほんの一握り。増してや、最高位の黄金聖闘士ともなれば、まさに選び抜かれた者達である。
青銅から地道に昇進を続け、遂には最高位にまで登った者もいれば、黄金聖闘士である師の元に付き、いつしか、師からその輝かしい聖衣を受け継いだ者もいる。だが、歴代の黄金聖闘士達の多くは、この世に生を受けたその時、いや、母の胎内に有る時から既に類稀なる小宇宙を認められ、黄金の衣を纏う為に育てられる正に選ばれた・・・言葉を変えてみれば、黄金聖闘士となることを運命付けられた、黄道を巡る12の星座に選ばれた・・人間である。
実際のところは、青銅から成り上がったという者も、輝かしい地位に有る師から、その栄誉を受け継いだ者も、その経路こそは違えど、宿命を背負って産まれついた事に何等変りはない。類稀な才能を認められ、その聖衣を纏う者の下に弟子として送り込まれたその時には、既に、その子供の辿る道は決められているのだ。
聖戦が近い・・誰もがそう感じていた。3年ほどの間に、そんな選ばれた子供たちが次々と、この世に産れ落ちていたからだ。世界の各地で新たな小宇宙が湧き起こる。その度に聖域から使者が派遣され、その赤子らの親達の説得に当った。新たなる超新星達が、その運命と使命を全うするために。
そして、十数年が過ぎた。
それぞれの子らは、彼らを選んだ輝かしい聖衣を纏う日の為に、厳しい修行を重ねていた。そのような子らの中には、個別の師について人里離れた地で修行を積む子もいれば、聖域で育てられている子もいた。
その日、教皇謁見の間では、そのような子供の一人が、教皇と向き合っていた。遠い北の地で鍛錬を重ねてきたその子は、十歳(とお)を少し過ぎたくらいだろうか?淡い金色の髪は緩やかにカーブを描いて白い額に掛かり、けぶる金褐色の睫が影を落とす鮮やかな蒼の瞳は、まっすぐに教皇を見据えている。背後に従う数名の白銀聖闘士達は、その子の教官を仰せ仕わった者達だ。彼らの誇りに充ちた表情は、その子供の訓練が期待されうる成果を十分にあげたのであろうことを示すものだった。例え、その子供が意外な程に華奢で、とても戦士には見えなかったとしても。
教皇の表情は窺い知れない・・・いや、その面貌すら見えはしないのだ。だが、その仕種に、声に、側近の者達なら、教皇が満足している事を感じる事は出来た。
その情景を、教皇謁見の間の床近く、通気孔の小さな窓から覗き見る者が居た。
「っと・・・こいつがジャマだな」
子供の掌の中に光が燈り、その光が触れた途端、彼の視界を妨げていた鉄柱が真っ赤に輝いた次の瞬間には、鉄柱は蒸気と化して消え去った。
「よしよし、これでよく見えっかな」
もぞもぞと身動きして、彼は肩肘立てると、暗く狭い通気孔の中とはいえ、いたって快適に覗き見を続けたのだった。
「ふーん・・・アフロディーテ、か」
微かに聞こえる会話に耳をそばだてて、独り白つ。年の頃は教皇に向き合う子供とさして違いはしないだろうが、こちらはツンツンと突き立った髪といい、よく日に焼けた浅黒い顔に浮かぶ生意気な表情といい、彼が凝視している、白い肌の子とは、まるで対照的だ。この子供の名はデスマスク。その悪童ぶりで、聖域中知る人ぞ知る存在だ。やはり聖闘士となるべく修練を重ねているデスマスクが、教皇謁見の間での出来事を、こっそり垣間見る事が出来たのは偶然や幸運ではない。彼自身、その子と同じ選ばれた人間であり、教皇の間近くに足を踏み入れる事の出来る、数少ない者の一人だったからだ。
そして、遠い北の国で、数人の白銀聖闘士達に育てられてきたと言う、その子の陶器のように白い横顔を暫く眺めていた悪童の瞳に、年相応の悪戯な色が煌いたのは、見間違えでも何でもない。
「よお!」
草影から急に飛び出してきた少年に、アフロディーテは表情も変えず、前に進める歩調を緩めもしなかった。
このボクを驚かせる事が出来るとでも思っていたのだろうか。
一瞥さえくれず、ただ前を向いて、歩き続ける。だが、少年は気にもかけずに、なれなれしい様子で隣に纏わり付いて来る。
「お前さ、アフロディーテってんだろ。魚座の聖闘士の。さっき教皇の間で見た」
蟹座のデスマスクだ・・
実際に相見目るのはこれが初めてとはいえ、その少年が呼吸のように放つ小宇宙から、アフロディーテは確実に相手が誰であるかを感じ取っていた。所詮、地球上に存在する数十億の人間のうち、自分と同じ位にある者は、ほんの11人しかいないのだ。
「あのさ、お前、聖闘士の掟って知ってる?もしかして、僻地までは伝わってなかった?」
アフロディーテは表情を変えなかった。ここ、教皇のお膝元で訓練を受けている黄金聖闘士達が、聖域外で修行している同志を、むしろ見下している事は知っている。
「お前、もしかして耳、聞こえないとか?」
相手が自分を挑発しようとしている事は明らかだった。アフロディーテは、無関心な振りを続けた。ただ前方を見詰めて、無表情なままで。
{女の聖闘士は仮面を付けなきゃなんないんだぜ。お前はなんで仮面付けてないんだよ。それって掟破りなんじゃないの?教皇になんにも言われなかったのか?}
十分に自分の声が聞こえている事は承知で、敢えて、この悪童はテレパシーを使って、優しい顔立ちをした華奢な子供の脳に直接、悪態を吐く。
「必要が無いからだ」
涼やかな声で、アフロディーテは相手の顔も見ないまま、わざと口に出して言った。ちょっとした仕返しのつもり。
「なんだ。聞こえてるんじゃん。別に聴覚を閉ざしてるんじゃないんだ。でもさ、なんで必要無いのさ。若しかして黄金だったら仮面免除?俺、知らなかったなぁ」
ちらりと目の端で自分よりは少し年上と見える少年に一瞥をくれれば、自分の反応を面白がって、にやにや笑いが憎らしい。自分が仮面を付けていない理由は、百も承知の上で嫌がらせをしているのが判るだけに、一層むかっ腹が立つ。
「それとも、ホントは聖闘士になれる見込み無しってんで聖域の掟なんかは関係無しとか?」
相手の声は、一層小馬鹿にした調子を増してきた。一体、何を目的で自分を挑発しようとしているのか?自分を怒らせて戦いに持ち込み、自分の腕を試すつもりなのだろうか?だが、聖闘士同志の喧嘩は御法度。許可を得ないでの「戦闘訓練」も、もっての他だ。
「判っている筈だ。僕は女ではない。だから仮面は必要ないのだ」
「げーっ!」
わざとらしい大袈裟な驚きぶり。
「だけど、お前、どう見たって女じゃん!もしかして、オカマとか?」
アフロディーテは、自分が妙に少女めいた顔立ちをしている事も、華奢な身体付きである事も解っている。だが、今迄、その事をからかわれた事など無かった。皆、自分の力を畏れていたからだ。それなのに、この悪童と来たら・・・
だが、ここで挑発に乗っては相手の思うつぼだ。こういう輩は拘らぬが一番と決め込んだアフロディーテは、前に立ちふさがる、自分よりは頭半分大きな子供を押しのけると、さっさとまた、前を向いて歩き始めた。
「あ?逃げるんだ!やっぱ、心に後ろめたいトコあるんだな〜、ミス・アフロっvv仮面はどこだ〜い?」
「なんだとっ!ボクを、そのように呼ぶ事は許さん!」
「だぁれが許さないのさ、シニョリータ・あっふろぉ?早く仮面着けないと、警備兵に見つかっちゃうよぉ。折角オレが親切に忠告してやってんだぜ、マドモワゼル」
「ボクには仮面は必要ない!」
「へぇー、だったら証拠見せろよ!」
「・・・なっ・・!」
想像を絶した突然の言葉に、アフロディーテは思わず、頬が燃え上がるのを感じた。きっと真っ赤になっているんだろう。そして、この憎たらしいガキは内心、してやったりと大喜びに違いない。こういう時は、自分の白い肌が本当に恨めしい。
「あそ!やっぱお前、女なんだ。だから証拠を見せられないんだろ」
「ならば、そう言う貴様はどうなのだ?見かけだけで物事が判断出来ぬのは、聖闘士であるならば、十分に承知の筈。それ程までに拘るとは、実は貴様こそ、仮面を付けていない事にやましい事でもあるのではないのか?」
ふふん・・と鼻で笑って、わざとらしく勝ち誇った表情を作ってやる。
「あんだ、お前、俺のが見たいの?もしかして今迄、男のなんか見たこと無いんじゃないの?だったら折角だから見せてやるよ」
言葉も途中で、チュニックを脱ぎ始めた自分よりは頭半分背の高い少年に、慌てたのはアフロディーテの方である。
「なっ・・なにを・・・!おい!まさか本気で・・・」
「本気も本気。大本気さ。そらっ!」
ぶわさっ!と風を孕んで、緩やかな貫衣は不必要なまでの派手さで脱ぎ捨てられた・・・
「な・・・!」
アフロディーテは、その場に硬直してしまった。彼の置かれている状況は、既に理解の粋を越えている。ずっと夢見ると同時に怖れていた聖域での第一日・・・誇りに胸をいっぱいにしながらも、一抹の不安を拭い切れないでいた。
自分以外の黄金聖闘士との初めての邂逅・・・この日、この時の事は、何度も夢想してはシナリオを創り替えたものだ。相手は何と言うだろう、そして自分は何と答えるのか・・・何度も、何度も、色々な状況を思い浮かべては、完璧な対応を考えてきたのに・・・それがまさか、こんな風になるなんて・・・
思わず凝視してしまった「その一点」から慌てて目を逸らし、憎々しい悪童の勝ち誇った表情を一瞬確認して、アフロディーテは空を見上げた。悪たれは未だ何やらほざいているようだが、もう何も耳に入っては来ない。青い青い空・・・彼の知る北の地では盛夏ですら感じる事の出来ない強い陽射しが、直截に脳髄を直撃したような気分・・・アフロディーテの瞼の裏で、真っ青な空が白い光に覆い尽くされて・・・
「おっ・・・おい!大丈夫?!しっかりしろって!!冗談だよ!冗談だからさ!!おい?!アッふロディーテぇぇぇぇ!@!$%&!!!」
素っ裸のままのデスマスクは、へなへなと地面にへたりこんでしまったアフロディーテを慌てて抱え上げた。可愛い愛弟子の小宇宙が弾けたのに気付いて、白銀聖闘士達が駆け寄って来た。服は風に飛ばされて、手に届く位置には無い。だいたい光速で身につけようものなら、この通常の布で構成された情けない服なんぞ、原子のレベルに戻ってしまうだろう。これじゃ、変態露出狂強姦魔じゃないか!(違うんかい?)
後悔してももう遅い。白銀聖闘士達は、すっかり色を失った、目に入れても痛くない愛弟子に、今、正に襲い掛からんとしている(と、見えた)、悪鬼のようなガキを見た。
師匠その1「きさまぁ、このガキ・・・ゆるさん!」
師匠その2「受けろ!究極の必殺技!!」
師匠その3「北極シロクマおとしぃ!!!」
「わ!わ!わ!ゴカイだ!ゴカイなんだってばぁー!!!わーっ!仕方ない!
せきれーき、めーかいはぁ!!!」
どっかーん!!!!!
その後、デスマスクが教皇に呼び出されて、こっぴどく叱られたのは、言うまでもない・・・・