黎明
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…目をとじて、還る記憶はいつも日差しの下。
はるか昔、王位が代わってまもない頃の王都。
貴族階級の子弟が学ぶ王立学院の図書室。ろくに係の者もなく、かび臭い古書に埋もれた書棚の間で、窓から差し込む陽の光だけを頼りに何時間も己の世界に浸り込んだ。
パルスの上流階級の子弟はすべて、一定の年齢になると一通りの学問を身につけることが義務づけられている。少女ならば、たとえば神殿の学問所。男子ならば王立学院、あるいは家庭教師をつけて学ぶことが多い。そこで基礎の学問を学んだ後は、武官か文官かの適正を定められ、その知識と技術を身につける。
実母が生きていた頃、自由民として育てられていた少年は城下の私塾に通っていたが、母の死後、貴族の父に引き取られた後はしばらく家庭教師をつけられていた。だが、少年にも学友をつくるべきだと勧めた者があって、彼は再び王都エクバターナの地を踏んだ。
幼い頃、遠くから仰ぎ見ていた王宮のある一帯。そのはずれにある王立学院で、少年は乾いた砂が水を吸い込むように講義中は机に向かい、自由な時は図書室に入り浸った。才気走った少年を疎む者もいれば買う者もおり、だがその両者とも、彼の事を何も知らなかった。雑談はする。だが、その場の話が終わって一度離れると、彼の事を何も知らないことに気づくのだ。
…そういうふうに、2年が過ぎた。
いつのまにか、少年の側に長時間居ようとする者はいなくなっていた。
「おぬしがナルサスか?」
いつものように階上の図書室で読書に耽っていた少年の窓から、差し込む太陽の光と共に降ってきた声。
仰天して声を仰いだ少年の目に映ったのは、窓枠にかけた陽に灼けた腕や、青い葉をいくつももつれさせ
た短い黒髪ではなかった。光を背に受けてなおきらきらと輝く、黒い瞳。
その一瞬、その深い色あいが、呆気にとられたナルサスの目に焼き付いた。
それがダリューンだった。
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「…ナルサス?」
白い肌がさらに青ざめるのを見て取り、ダリューンは息を飲んだ。琥珀の瞳は己の姿を映していながら、
何も見ていない。ふらりと揺らいだ肩に思わず手をのばし、激しく振り払われる。
「…ナルサス」
「……触れるな」
ダリューンの顔色が変わる。
己を見つめる、その張りつめて固まった琥珀さながらに表情を失った瞳。
「ナル…」
「おれに触れるな…!」
もし彼に知られたら。
考えただけで恐怖が走る。恐れを知らぬと言われるこの軍師の、明けることのない闇。
そこから抜け出ることだけを考えて生きてきた。およそそれは成功したと思っていた。だが、それは光を
見ていた間だけの事であって、後ろを振り向けば奈落の底。漆黒の闇。
この旧友は、光に照らされた己だけをしか知らぬ。その背後にあるものを知らぬ。
石の手すりに爪を立ててうつむくナルサスの横顔は、淡い髪の流れに遮られている。
それを見ながら、ダリューンは伸ばしかけた指を握り込み、下ろした。その手がわずかに震えている。
「…わかった」
弾かれたようにナルサスが顔を上げる。初めて瞳が眼前の騎士を捉えた。もはや己を見ない、凛々しいが
冷たいその横顔。そこに見て取れる傷ついた瞳。国を越えて勇名を轟かせる彼のこんな目を、今まで見た事
はない。だが、そうさせたのは他ならぬ自分。
ナルサスはそこに、二度と拭えない傷が刻まれた事を悟った。目を瞑り、闇が四肢を侵食してゆくのを感
じる。結局、己は彼の光を曇らせる事しか出来ない。そのまま顔を背けて黙っていると、僅かな布ずれの音
と共に、足音が遠ざかって行く。その音が聞こえなくなってからようやく顔を上げる。視界には誰もいない。
…これで良かったのだ。
膝から力が抜け、ナルサスはずるずると背を石柱に預けて座り込んだ。緩んだ緊張と引き替えのように、
鋭い痛みが全身を苛む。手を見ると、手すりを握り込んだ時のものか、爪が割れて血がにじんでいる。
だが、この痛みは肉体のそれではない。
…己の半身を自ら手でもぎ取った痛みだ。
「…ふ」
自嘲が浮かぶ。くすくすと笑いながら、手すりに肘をつき顔を手で覆って、その手を濡らすものに気づき
呆れる。己で望んで断ち切っておいて、何と浅ましいこの身か………
「…ダリューン」
これで最期だ。もうおぬしの名は呼ばぬ。
「…ダリューン…」
彼は知らないだろう。彼が自分に気付くずっと前から、彼に羨望の眼差しを注いでいた
ひとつ年下の少年がいたことを。
同級の者達の中で、彼はひときわ違っていた。
いずれ前線に立ち、敵と味方の血肉に沈む運命を、彼は少しも怖れてはいなかった。
彼の剣技は激烈でありながら隙がなく、無駄のない美しさすらそなえていた。
いつも目で追っていた。追わずにいることなどできなかった…
その時、欄干に頭を埋めていたナルサスの肩を、ふわりと暖かいものが包んだ。
「…!?」
その感触と懐かしい香りはナルサスを驚愕させた。とっさに振り向こうとして遮られる。
「ダリューン…!?」
無理に傾けた視界をよぎる黒い髪。振り向くことを許さない、肩に埋めた頭。包んだマントごとナルサス
を背後から抱きしめたのは、まぎれもない、先刻目の前から消えたはずの友人だった。
「…なぜそんな声で呼ぶんだ…」
耳に触れる吐息が荒い。なぜ、と声にならない問いをナルサスは口の中で繰り返す。
「…分かっているか? おぬしはいつも、二度目に見た顔が違う」
「…?」
「昔から…喧嘩をした後に、な」
幼い頃から、喧嘩は散々した。怒りにまかせて背を向けて、それでも時間が経つと謝りたいと思うのは
双方ともに。しかし、いつも口火を切るのは黒髪の少年の方だった。だがそれを不満に思ったことはない。
いつも、向かいに立つ少年の潤んだ瞳が、噛みしめた唇が、言葉以上に雄弁だったから。
呆然とするあまり、抗いもせずに彼を見上げてくる琥珀の瞳に、パルスの雄将は小さく笑う。
「おぬしの騙りには、もう飽きた」
我に返る間もなく、唇が合わさる。深く、深く探る舌に喘ぐように男の肩を撲つナルサスの手も、一回り
は大きい武人の力に抗えるものではない。いつかの夜のように、そしてより激しい口付けに、ナルサスの
意識が薄れる。駄目だ、と呟く声が頭の奧で響いている。何度か角度を変えてより深く舌をからめ取る隙間
から、それと知らずに呻きが洩れる。
「…だめだ…!」
「…本当に?」
無骨な手が背を、腰をまさぐる。貪欲に触れていない場所を求めて彷徨うその指が、ナルサスの身体の奧
に火を灯す。それを悟った身体は震え、必死に身体をよじった。だが、振り上げた手は捕らえられ、逃げた
唇の代わりに首筋を這われて、たまらず喘ぎ声が漏れる。なかば啼き声で、ナルサスは己にのしかかる男に
嘆願した。
「…ダリューン…頼む…」
「聞かぬと言ったぞ」
「…ダリューン…!」
うなじを強く吸われて思わず声を上げそうになり、必死で唇を噛む。我に返った目に映るのは、そこここ
に灯された夜営の灯火。今こそ人の気配はないが、いつ兵士がやってくるか分からない。
「ダリュ…っ、駄目だ、こ…」
「ここでは?」
人の悪い笑みを浮かべて、ダリューンはナルサスを掬い上げると、手近にあった小部屋に滑り込んだ。
パルスの少数隊にこの兵舎は大きすぎて、この棟はほとんどが空室だった。だが、もちろんそこにもいつ人
が来るか知れず、確とした扉すらない。深い黄土色の長い布が、かろうじて廊下と室の区切りを示している
だけの部屋。
「ダリューン?!」
敷き布のない固い寝台に降ろされる。隙をついて跳ね起きようとした肩が軽々と倒され、縫い止められる。
己の非力に、ナルサスは青ざめた。彼の剛勇は誰よりも己が良く知っている。だがそれは、あくまで共通の
敵に向けられるたぐいのものだったはず。まさかそれが己に向けられるなど。
「ダリューン…」
無言のまま、彼は上着を床へ滑り落とした。薄闇に現れる、引き締まった上体。半裸のままで寝台に膝を
つく。ぎしり、と柱が軋む音。
そのとき。
『…やめて』
微かな声を聞きつけて、ナルサスは息を飲んだ。あまりに場違いな、かぼそい声。
思わず首をめぐらしたが、部屋に人の気配はない。
ダリューンの手が緩めた襟元から内側に滑り込む。胸を大きくすりあげられ、ナルサスは身体をそらした。
『…やめて…とうさま』
まただ。
また聞こえた。子供の声だ。まさか、こんな所に?
とっさに起きあがった肩を、男の手が荒々しく床に縫い止める。違う、と抗議しようと男を見上げたナル
サスの目に、視界を覆う男の胸板が映る。
「あ……!」
ナルサスはこみあげる嘔吐感に口を手で覆った。
ここはあの屋敷の部屋。
…ほら、陽の光が綴じられたカーテンの隙間から差し込んでいる。
それを自分は寝台の上から眺めている。
身体の上には獣がいる。父親という形をした獣が、この身を貪っている。
でも、ぼくは何も感じない。言うことさえ聞いていれば、この獣はぼくを殺さない。
だから、これは夢なんだ。ぼくは人形。恐くても声が出ない。動けない。
だいじょうぶ。すぐに覚める。これは夢だから。
すぐに覚める、夢だから……
「…ナルサス!」
ダリューンは愛撫の手を止めて、身体を強張らせたナルサスの頬に手を伸ばした。
ひっ、と小さい悲鳴をあげて震える青ざめた頬。恐怖に歪んだその表情に、ダリューンは息を飲んだ。
どれほどの敵軍を前にした時でも、こんな顔を見たことはない。
「ナルサ…」
「…あ…あ!」
「ナルサス!」
くりかえし呼ぶ名も聞こえていないのか。子供のようにいやいやをして、必死で固い寝台に爪を立てて
少しでも逃れようとするその様は尋常ではない。まるで凶暴な獣を前に竦んだ子供のような…と己の脳裏に
浮かんだ言葉に、ダリューンは戦慄した。
「…ナルサス!」
「やっ…」
「ナルサス、俺を見ろ。俺を見るんだ!」
ああ、と激しく震えながらそれでも顔を背けようとする彼の顎を強引に己に向けさせ、軽く、それでも力
を込めてその頬をはたく。何度かしゃくりあげて、ようやくその琥珀の瞳がゆるゆると焦点を結ぶ。
「…ダリュー…ン」
「…ナルサス」
ほうと息をついて、ダリューンは彼の冷たい頬を手で覆った。
「…気がついたか。…大丈夫か?」
「……」
「ナルサス…おれはおぬしの父ではない」
「……」
「言ってみろ、おれは誰だ?ナルサス、おぬしの目の前にいる俺は誰だ?」
「…ダ…リューン…?」
「そうだ。おぬしを抱いているのはこの俺だ」
言葉を交わすにつれて、次第に琥珀の瞳が正気を取り戻していく。その代わりのように、ナルサスの顔か
らは血の気が引いていく。…彼は今、何と言った?
「…知っていたのか」
今度はダリューンが息を飲む番だった。いまや紙のような顔色のナルサスと、青ざめた黒曜石の瞳がかちあう。
「…そうだ」
「……」
「ナルサス…」
「触るな!」
伸ばされた手から逃れて、ナルサスは激しく頭を振った。震える肩に、ダリューンは彼が泣いているのか
と思ったが、すぐにそれはうち消された。彼は笑っていた。
可笑しくてたまらないというように肩を震わせながら、冷えた瞳がダリューンを射抜く。
「ナルサス…?」
「…とんだ茶番だ」
口角を上げた頬に、目尻からあふれた雫が伝う。ごくりと唾を飲んだ黒い瞳に浮かんだ哀れみの色に、
ナルサスはなおも自嘲を深めた。
「…おぬしはずっと、俺を哀れんでいたのか…」
「…ナルサス」
「いつからだ?」
有無を言わさぬ口調に、ダリューンは目を伏せた。
「…おれが学院を卒業する年だ。夏に…」
あの時か、とナルサスは頷いた。あの夏、これからは王都づとめでなかなか私的な遠出もできなくなるやも
知れぬと言った彼を、ナルサスは風光明媚な自宅へ招いたのだ。
それでは、彼は見ただろう。父と息子が獣さながらにまぐわう様を。まさか、客人がいる時には暴挙に出る
まいとたかをくくっていたのはナルサスの方だった。もはや昼と夜とで人格を異ならせていたとしか思えぬ父は、
初めて息子が連れてきた友にすら嫉妬して、おびただしい悪夢の夜の中でもひときわ非道い仕打ちを強いたのだ。
「…非道い道化もいたものだな…」
笑いが止まらない。床に突っ伏し、肩を震わせるナルサスに伸ばしかけた手を、ダリューンは宙で止め、
引き戻した。
「…ナルサス」
「…出て行け」
哀れみで抱かれるくらいなら、死んだ方がましだ。
「違う、ナルサス」
ダリューンは己の拳を握りしめた。
「俺はあの時…おぬしの父に、嫉妬した」
低い笑声が止む。
ナルサスは顔を上げ、黒騎士の瞳を見た。
暑い夜だった。寝苦しさに中庭に出たダリューンは、深夜にも関わらず灯りの漏れる一室を目に留めた。
灯火の消し忘れかと近づいた少年の耳に届いたのは、せつない喘ぎ。
引かれるように向けた目を眩ませた光。その下に浮かぶ、友人の悦楽に歪む顔。
途端に…甘い戦慄が全身に走った。見てはならぬものを見た。それから、どうやって自室に戻ったのかは
今でも分からない。息を切らせて火照る身体に戸惑い、自分が見たものが何だったのか、友人に何が起こって
いたのか、それに考えが至るまでにも時間がかかった。彼を組み敷いていたのが父親だったと、そしてそれが
彼の望まぬ事だったと悟ったのも、情けないほど後のことで。
「…莫迦だろう?」
ナルサスを見つめ、ダリューンは苦く微笑った。
「…あれから、俺が何を想像して自分を慰めてきたと思う?」
「…!」
「…俺はそういう男だ。…軽蔑するか?」
呆然と自分を見つめる琥珀の瞳。
何がおぬしを苦しめたのか知っていながら、胸の内では同じ罪を犯していた。
幼い友人を傷つけた男をずっと憎んできた。あのころ、自分がもっと強く力を持っていたなら、彼を守り
抜けたのにと。だが、それは結局、彼への独占欲ではなかったのか。
ダリューン自身、それを否定する材料を持たない。それを理由に彼が拒むのなら。
「ナルサス…」
白い肌をなお白く青ざめさせ、青年は呆然と目の前に佇む男の瞳を見つめていた。
よく見慣れた瞳なのに、初めて見たような気すらする。そこに哀れみはなく、代わりにあったのは狂おしい
ほどの想いと痛み。その目はこの己に向けられている。…この身に。
ナルサスは無言で瞼を伏せた。その頬に、忘れられた涙がひとつ、伝う。
「…おれは、おぬしだけには知られるまいと…」
「…なぜだ?」
ためらいがちな、低い声。いくつもの答えが浮かんでは消える。
「…おれは、父のもとから逃げようともしなかった…」
「…ナルサス」
「逃げようと思えば逃げられたものを…おれは結局、己を売って貴族の生活を買った…」
殺戮の道を選んだことを、ずっと父のせいにしてきた。だが、違う。おれは望んでこの身を選んだのだ。そのために、父に身体を売った。学ぶために、書物にあふれた生活を選び、逃げることを捨てたのだ。
ナルサスは顔を覆った。
「…俺の手は血塗られている」
「何を言う」
今さら、と苦笑が滲む。実際に手を下しているのはこの俺だぞ?
「…おれはいつか、おぬしを死地に送るだろう」
「そうでなくては知者ではあるまい」
「簡単に言うな…!」
その様子を、ナルサスは容易に思い描くことができた。国王を戦場から逃がすためのしんがり。あるいは、
四方を敵に囲まれた中を切り裂く先陣。いずれにしても、自分は何のためらいもなくダリューンにそれを
命じるだろう。顔色ひとつ変えずに。
ダリューンは微笑う。笑って、ナルサスの頭を胸に引き寄せる。
「それが出来ぬ知者を、知者とは呼ばぬ。そうだろう?」
「…」
「ナルサス、それはおれにとって理由にはならん」
ダリューンとて、とうの昔に知っているのだ。己の往く道は血と死であがなわれ無明の闇に続いていることを。
「おぬしの往く先が闇ならば、おれとてそうだ…」
無骨な手つきで淡い色の髪を梳き、その生え際に唇を落とす。次いで、伏せられた瞼に。わずかに色づいた頬に。耳朶に。
「…共に往こう」
そして、唇に。
触れた唇は冷たく、いつかの夜を二人に思い出させた。それを消し埋めるように、たちまち歯列が開かれ、
舌がからみあう。寒くもないのに息が白く見えるような熱さで頬を打ち、ナルサスは小さく身じろいだ。
それを逃げととったのか、熱い手が強く背に回され、引き寄せられる。大きな手は片手でナルサスの頭を
支え、唇に逃れることを許さない。のしかかる重みを心地よいと思い、そう思ったことに驚いて目を開いた
ナルサスは、己の上に覆い被さる男を凝視した。と、ダリューンが苦い物を飲んだような表情を浮かべる。
「…いやか?」
思わずナルサスは笑ってしまった。ここまで来ておいて、この男は…
「ナルサス?」
手を伸ばし、癖のある黒い前髪に指をからめる。ふ、と顔を緩めたダリューンが白い項に顔を埋め、
耳朶を噛まれて顎が上がる。
「…ナルサス」
耳に吹き込まれる息が甘く、熱い。
北方の血が混じっているのか、武人と同等に戦場に身を置きながら陽に焼けない白い肌は、服に守られて
なお白くしなやかに戦士を魅了する。固いカーブを描いて浮く鎖骨。そこに歯を立て、指を紅く色づいた肉
の突起にからめると、噛みしめた唇から小さな悲鳴が漏れる。敏感に汗ばんだ首筋に手を這わせると、紅潮
した瞼から琥珀の瞳が覗いた。濃い蜜を思わせるその色に下半身を直撃されて、ダリューンは深く息をつい
た。…もう無理だ。
「…ナルサス」
「ん……」
再び唇を重ねる。無我夢中で口付けを貪りながら相手が嫌がってはいないことを確認して、ダリューンは己と相手の衣服を手探りで滑り落とした。軽く布が落ちる音に、触れあう肌は瞬間、身を固くしたが、何も
言わずに腕を男の首に回した。黒衣の騎士の唇は若い軍師の顎を、首筋をたどり、乳首を銜える。固く充血したそれを舌で辿るようにねぶると、頭上で息を飲み唇を噛みしめる気配がする。ダリューンは背筋を愛撫していた手をさりげなく降ろすと、有無を言わせぬ力で足首を持ち上げた。
「ダリュ…っ!」
ナルサスは慌てて身体を起こしかけたが、もう遅い。とうにそそり立っていた猛りを口に含まれて跳ねた裸身の肩を押され、軽々と寝台に縫い止められる。
「…ん、…っ!」
叫びの形に開いた口に太い指が押し込まれる。歯を食いしばる事も許されず、ナルサスは夢中でそれを
しゃぶった。彼が声を封じる意味は分かる。だが、これでは苦しいばかりだ。
「…う、うぅ…」
固く綴じた目尻に涙が滲む。熱く濡れた柔らかいものが、敏感な肉襞の一つ一つをしつこくなぞっては離れ
ていく。触れている部分は溶けるように熱いのに、離れた途端、外気に冷えて熱を放つ己の欲望。その先か
らしたたり落ちる濁液を、ダリューンはなおもそこに塗りつける。もう我慢できない。やめてくれ、と叫ん
だ声は彼の指に遮られ、彼の耳には届かない。静かな部屋に響く湿った音と感触に脳が溶けていくのを感じ
る。もはや息を吹きかけられるだけで跳ねる身体。あれほど憎み、蔑み続けたもう一人の自分がここにいる。
「…ふ、…あぁ…!」
先端を強く吸い上げられるまま、ナルサスは達してしまった。ようやく唇から指が抜き取られ、激しく咳きこむ。
「…ナルサス」
「ダリューン…」
無骨な手がいたわるように、汗で湿った髪をかきあげてくる。ああ、と上げた瞳に欲望に濡れた黒い瞳が
映り、ナルサスはぞくりと背を震わせた。汗ばんだ、褐色の肌。鍛え上げた四肢の動きは、野生の獣が持つ
それに良く似て無駄が無い。線の細いナルサスとは違う、男らしい精悍な美貌。その唇を濡らしているもの
が自分が放ったものだと知って、ナルサスはかあっと全身を紅潮させた。思わず伏せた目に、ダリューンが
何事かを囁く。
「え」
「だから…いいか?」
何を、と問い返す暇もなく、ナルサスの身体の中に異物が潜り込んだ。
「……っあ!」
いつのまにか開かれていた脚の間で、太い腕が蠢いている。ちらと視界に映ったその様は凄まじく淫蕩で、
ナルサスは目をそむけた。が、絶え間なく続く指の動きは直接身体の内側の柔肌を剔っては、じわりじわり
と割り進む。己が放ったものと舐めたものでほぐされたそこは収縮する度に自ら指を飲み込んで行く。そん
な身体に意識がついて行かず、ナルサスは必死で頭を振った。しゃくり上げ、耐えず嬌声が駆け上る唇を噛
みしめる。
「…ナルサス」
繰り返し囁かれる名前。その声も、その愛撫も、ナルサスの過去を呼び寄せはしなかった。ダリューンに
抱かれているというその事実一つが、今、彼を悦楽の底に叩き込む。
「ダリューン、だめだ…」
もう、…という囁きに頷いて、ダリューンは指を引き抜いた。ほぐされたそこが物欲しげにうねり、一度
放った尖塔も再び堅さを増していることに、ナルサス自身が気付いていない。ただ正直な身体を持て余して
縋り付いてくる腕に小さく笑んで、ダリューンはそれを首にしっかりと絡ませ、喘ぐ唇を深く塞ぐ。
「……!!」
己の肉を裂いて割る熱く滾る肉棒。
声にならない嬌声を、ダリューンは口内に受け止めた。ただ音を立てない為ではなく、彼の一部たるもの
を、もはや一滴たりとも逃さないために。
「…ダ、リュー……」
「ナルサス…!」
それでも、わずかに身を動かすたびにしゃくり上げるような嬌声が唇の端から漏れる。
紅く濡れた唇。上気した肌。固く綴じて衝撃に耐える…瞳。
「ナルサス、…ナルサス」
ダリューンは彼の耳元に唇を寄せた。その僅かな仕草にも敏感に反応し、魚のように跳ねる背を引き寄せ
て繰り返し名を呼ぶ。
「ナルサス…おれを見てくれ」
ここにいるのは俺だ。今、おぬしを抱いているのは…
「…ダリューン…?」
「ナルサス…おれが分かるか?」
とろりと凝った蜜色の瞳が小さく頷く。
「ダリューン…」
その中に映るのは自分。少年ではない男。
もはや、あの頃に戻りたいとは思わない。
「ダリューン、早く…!」
視線だけで感じる。
「ナルサス…」
「頼む…今度は」
一緒に…、という囁きを唇に受け止めて、ダリューンは己の下でひくつく細い腰を捕らえ、力を込めて突き上げた。
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繰り返される死はやまず、怨嗟の声が消えることはない。
だが、もはやこの道を引き返そうとは思わない。
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円形に掘られた溝に積まれた薪に火が投げ込まれる。観客席を埋めた人並みから大きなどよめきが走る。
瞬く間に炎の壁が高く燃え立ち、その中に佇んで決闘の相手を待つ黒衣の騎士を包む。炎にあおられて
ひるがえる黒いマント。
彼の勝利を信じる彼の仲間は観客席の高みに席を与えられ、そこから彼を見つめている。
若い王の近くに腰を下ろしたパルスの軍師もまた、静かに彼を見て口を噤む。
いつかおぬしが死にゆく時も、こんなふうなのかも知れない。
おぬしは一人火の内に立ち、おれはこうして風に吹かれている。
おれはおぬしを殺し、そして、その死によっておぬしはおれを殺すだろう。
激しく揺れる炎の壁の向こうの彼が、仲間と味方のいる場所を目敏く見つけて振り仰ぎ、一礼する。
甲冑をまとって合うはずのない目が合い、唇が小さく動く。それを読んでナルサスは小さく笑んだ。
今も、未来にも閉ざされた道。癒すことなどできない、過去。
それでも、……共に、と。
----------------------------------------------- END
お読み下さりありがとうございました。
あとがきまで読んでくださる方はさらに下へ↓
2001.3.2
はい、あとがきです。
まさかここまで長くなるとは思いませんでした…(自爆)
お読みくださった方には、本当にありがとうございました。
結局、「そんなに簡単に過去の傷が癒されてたまるかい!」という天の邪鬼な書き手の意志により
こういう結果にあいなりました。
傷なんてのは他人が癒せるもんじゃないと思うのです。
自分で自分の傷口に手ぇ突っ込んで治してくしかないのです。
だからこの長いAC知将話も、結局、知将が雄将という共犯者(理解者)を得て腹を据えるまで、
の話におさまってしまいました。
でもしあわせですよね?ね?(冷汗)
他にもいろいろ鬼畜な設定はあったんですけどねえ(邪笑)生かし切れず。無念。
これを書くきっかけを作ってくださった、わに様に心より御礼申し上げます。
文中、ある知将の台詞はわに様から借用いたしております。ありがとうございました。
なお、BGMには savage garden のアルバム「Affirmation」、
secret garden のアルバム「Songs From A Secret Garden」を多用致しました。
↑(奇しくもgardenづくし。)