知識人と反体制運動
16197099 福田 潤一
今回課されたテーマは、「芸術の力の誤解」と「ソ連国民における社会的不満のニ類型」を読んで感想を書けというものであった。この課題は「巨匠とマルガリータ」の中に見られるような知識人的な反体制意識が実際の運動に結びつき得るかどうかを考えさせる目的で課されたものだと理解している。そこで今回は私の考える知識人と反体制運動の関わりについて書いてみることにしたい。いうまでもなく、知識人は反体制運動には欠くことのできない存在である。それは既存の権威の問題点を指摘し解決に至る理念的な道筋を提示するし、時には古い権威に代わりうる新しい思想を作りだしさえする。もしもこうしたもの抜きに反体制運動が成り立ったとしても、それは一時的なものに過ぎないだろう。なぜならそれは権威に挑戦するに値する十分な理念的バックボーンを有してはいないからである。しかしこうした点を十分認めつつも、私は知識人のみで反体制運動が成り立つものではないこと、そして知識人の役割が反体制そのものに限られているわけではないことをあえて主張したい。反体制そのものは、知識人に課された大きな役割の一つである。しかしそれは知識人の専売特許ではないし、知識人となるために絶対に必要な要素でもない。反体制そのものに知識人の目的があると捉えてはならない。では知識人は反体制運動に対してどのような立場をとるべきか。以下に私の考えを記してみたい。
思うに知識人が現状の権威、または体制に対して不満を感じるときに採る行動は大きく二つに分けられるだろう。その一つは精神面における内的逃避である。そもそも知識人が不満を抱く背景には、体制による知識人の個人的な価値への圧迫と、それに伴う体制への採りこみや異質者としての排除がある。こうしたとき知識人は自己の存在意義に重大な脅威があると感じざるを得ない。なぜなら、知識人の存在意義とはそもそも既存の権威とは一歩距離を置いて個人の立場から政治に意見を表明するところにあるからである。こうした意義が脅威にさらされるとき、彼らはしばしば理念を共有する仲間同士の狭いグループを作ってこれに対抗する。仲間内でしか通用しない価値観や美意識といったものを作り上げ、政治の世界に対置することで個人の自由な価値の世界を保持しようとするのである。この代表的な例は文学である。帝政ロシア期のドストエフスキーの「罪と罰」などはその世界をよくあらわしている。この作品で、主人公のラスコーリニコフは金貸しの老婆の殺害を図るが、それは既存の価値観に束縛されない自由な個人の判断の結果としてであった。ソビエト期における「巨匠とマルガリータ」の一種独特なリアリズムもこれと同様であろう。こうした表現は「わかるひとにはわかる」が、「わからないひとにはわからない」類の自己表現であるため、一般に広範な反体制運動には結びつきにくい性質がある。体制の抱える問題があまりにも大きいために、知識人にもその直接の解決法が見つからない。そこで彼らは政治という形で問題に関与することを避け、専ら文学や芸術という形で個人の価値を保とうとするのである。これが知識人の精神面における内的逃避である。
一方、問題がもう少し扱いやすく解決しやすいものである場合には、知識人が主体的立場に立って体制改革に乗り出す可能性も考えられる。それが二つめの反体制運動への主体的参画である。体制が知識人の持つ本質的な価値――それはいうまでもなく個人としての価値――を損なうことがないならば、知識人にとって反体制運動を行うことは容易になるだろう。そこで彼らは問題解決のための理念的な枠組みを形成し、道筋を提示して、時には運動の先頭に立って活動することが可能になるのである。問題を政治の次元で解決できるこちらの方が、前者の文学でしか解決できない状況よりも望ましいのは言うまでもない。私はまず、知識人は反体制運動が政治の次元で行えるものならば可能な限りそちらで行うべきだと考える。反体制運動は知識人のみの限られた運動に限定されるべきではない。文学や芸術といった、美学の世界はそれ自体は強い反体制の意図を表しているかもしれない。しかし特定の感性を共有しあった仲間以外には無力である。それは紙上の、あるいはキャンパス上の意思表現にしか過ぎず、しばしば実際の問題解決のためには何の役割も果たさない。そうした局面において知識人に期待されているのは、万人に理解が可能な、問題解決のためのきちんとした道筋の提示と理念的な裏付けである。そこでは変革を担い得る大衆の立場に立った運動が必要なのであって、知識人のみに理解が可能な感性の抵抗は必要とされない。もし、この局面にあってまだ感性による反体制運動が必要とされるならば、それは何か政治によって解決できない究極的、あるいは精神的な問題に対してであろう。私はそうした問題に対してまで政治的な対応を期待しないが、オかしそれ以外で解決できる限りは政治で対応すべきだと考えるのだ。
さて、知識人の反体制運動への主体的参画といっても、私はまだこれを二つに分類することが可能だとおもう。一つは、トロッキーやサルトルなどに見られる理念に基づいた直接的な参画の方法である。これは反体制の意識として自分の持つ理念に絶対の重きを置く知識人のグループのことを指す。彼らは基本的に世界を自分達の理念に基づいて変化させることができると考えており、そしてその運動では直接自分達が指揮をとらなければとも考えている。彼らは理想に忠実で、反体制運動を行うときは現実的視点よりむしろ、理想的側面を重視して物事を語る。彼らの設定する目標はつねに高いのだ。だが、彼らの問題はそのつねに高い目標を設定するところにある。反体制運動を行う際は大衆の広範な支持が不可欠であることは言うまでもない。しかし、彼らはあまりにも高邁な理想を追求するあまり、しかも主体的に運動に参画しすぎるあまり、結局は理想を達成できずに終わることがままあるのである。トロッキーの最期はスターリンと対立したあげくの暗殺であった。社会主義への傾倒はサルトルの晩年を不幸なものにした。彼らは結局、反体制運動の中でも浮いていた。私はこうした参画の方法は運動そのものにとって不幸であるばかりでなく、知識人本人にとっても不幸なことではないかと思う。彼らは結局運動をあまりに知識人主導のものにしようとしすぎたのである。そのもっとも極端な例はフランス革命におけるロベス・ピエールを思い浮かべてもらえればよい。彼はジャコバン派の急進としてブルジョワ主義を排除しようとするあまり、恐るべき恐怖政治を断行したのであった。そしてその最期はどのようであったか。彼も結局は断頭台の露と消えたのである。
知識人によるあまりにも理念本位の、しかも直接の運動参加は反体制運動にはふさわしくない。知識人はそんなに熱くならずに堂々と後ろにひかえていればよいのである。ここに反体制運動と知識人との関わりを論じる問題でもっとも難しい点がある。すなわち知識人は、反体制運動の理念的なバックボーンたらねばならないことは確かなのだが、しかし運動自体は大衆にまかせ、そこにどっぷり浸かることは避けねばならないのである。このことは理念と現実の対立の問題から説明することができよう。知識人とは運動に理念を与えるものである。反面、運動とは現実を取扱うものである。この二つが水と油のように交じり合わないものであることはあたりまえである。そこで知識人としては、大衆に一つの方向性としての理念を与えつつも、たとえそれが実際にはうまくいかなかったとしても結果を許容する勇気というものが必要になるのではないか。私はこのような考え方こそが、真の知識人による主体的な反体制活動なのではないかと思う。もともと知識人と、運動の主体になる大衆では住んでいる次元が異なる。知識人の理念がいかに素晴らしいものであろうと、それはあくまで個人の思想である。現実の世界は圧倒的多数を誇る大衆の意思によって動いている。そこで、知識人は運動から一歩身を遠ざけ、個人の発言の自由を確保しながらも運動に影響を与えていけるような立場が望ましいのだ。それが私の主張したい二つ目の参画の方法である。直接的参画ではなく、間接的に大衆に大きな影響を与える。そのことが社会全体に大きなうねりを引き起こすが、理念を代表する知識人と、運動を代表する大衆の役割分担はきちんと為されている。こういう運動こそ、理想と現実のバランスを採りながら真の変革を成し遂げて行く運動なのではあるまいか。
……どうも話が大きくなりすぎたようである。私はずっと反体制運動について書きつづけてきたつもりであったが、今読み返すと、社会運動全体に対する批評になってしまったようだ。そこで再び反体制運動に話を戻したい。次に論じたいのは、反体制そのものに知識人の存在意義があるかどうかについてである。知識人の中には、知識人のもつ個人的な価値と、体制の持つ集団的な価値は決して融合し得ないものとして捉えている人が多い。たとえば亡命パレスチナの知識人、エドワード・W・サイードは以下のように知識人を定義している。
(前略)知識人が、弱いもの、表象=代弁されない者たちと同じ側にたつことは、わたしにとっては疑問の余地のないことである。知識人はロビン・フッドかと皮肉られそうだ。けれども、知識人の役割は、それほど素朴なものではなく、またロマンティックな理想論の産物として容易に片付けられるものでもない。私が使う意味でいう知識人とは、その根底において、けっして調停者でもなければコンセンサス作成者でもなく、批判的センスにすべてをかける人間である。
彼が「批判的センス」という際、その矛先が体制、すなわち政府に向けられていることは疑いようがない。彼はまたこうも記す。
(知識人とは)タ易な公式見解や既成の紋切り型表現を拒む人間であり、なかんずく権力の側にある者や伝統の側にある者が語ったり、おこなったりしていることを検証もなしに無条件に追認することに対し、どこまでも批判を投げ掛ける人間である。
彼は、知識人に与えられた役割はどこまでも個人の立場に立って政府の行いを監視し、マイノリティや弱いものを保護し、正義の原則が犯されていないかどうかをチェックすることであると定義しているのだ。いわば、反体制そのものに知識人の重大な役割があると感じているのである。これは確かに一面的には真実である。体制の手によって大きな社会的不正が為されようとしているとき、個の立場に立って体制への抵抗を試みることは知識人に課せられた大きな役割の一つであろう。しかし、私はそれが知識人たることの必要条件だとは思わない。私は、サイードの知識人論は、知識人全体をあまりにも狭く捉えすぎているではないかと思っている。なぜなら、もしも知識人がサイードの言うように「批判的センス」に全てをかけた人間にしか当てはまらないとするならば、世界の知的構造は一体どのように作り上げられてきたというのだろうか。体制への「批判的センス」のみで新しい世界が出来てきたとでも言うのだろうか。そうではない。知識人自身の内省的な問題意識に従って、新しいアイデアが生まれてきたのではあるまいか。私は、ここで本当に重要なのは、知識人が「個」というものを如何に強固に有しているかであると考える。そしてその「個」と体制たる「公」は、決して常に対立し合うものではないと考える。知識人が本当に「個」を強固に有しているならば、「公」とはあくまで対等な関係であって、時には協調することも可能なのではないかと考えるのだ。サイード的な知識人の捉え方は、ともすれば「個」と「公」を絶対対立の関係に置いてしまいがちである。確かに原理的にそうした部分はあるかもしれない。だが、それだからといって批判に知識人の全てを置いてしまうことは、なんと人類の知的世界を狭めてしまうことだろう。
私は「個」を強固に有した人ならば、誰でもが潜在的な知識人の資格を持つと考えている。べつに反体制であることを売り物にする必要はない。例を挙げる。たとえば、ヘンリー・キッシンジャーなどはどうであろうか。彼は、古今の国際政治史に通じたアメリカ外交の泰斗である。まぎれもなくアメリカ第一線の知識人であることは言うまでもない。しかし、彼は反体制であったことはない。それどころか、常にアメリカ政権の中枢に近いところにいて、積極的な外交提言を行ってきた。体制の中枢にいながらそれでも「個」を堅持してきたといえる貴重な知識人の一人であろう。サイード定義によれば彼すら知識人でなくなってしまうにも関わらずである。知識人に必要なのは、それが反体制的か体制よりかに関わらず、いかに「個」というものを重視できるかではないだろうか。そのうえで協力できるところは協力すればよいし、反対すべきところは反対すればよいのだ。この観点を喪失して、「批判」にすべてを賭ける知識人になってしまえばそれは知的にはむしろ凋落ではないだろうか。むしろ積極的にアイデアを打ち出してこそ知識人である。反体制そのものが知識人の条件であると誤解してはならないだろう。
(参考文献) エドワード・E・サイード 「知識人とは何か」 平凡社