『古典と反古典 ―“本質“と”パラダイム・シフト“に関する基礎的考察―』
国際政治学科 四年
福田 潤一
「反古典の政治経済学」を読了した。従来の古典的な見解を覆す多くの示唆に富んだ作品であったと思う。しかし、これの全てを分析することは到底不可能であり、また各論各論の専門性の高さも伴って内容の全体に対する考察、感想、もしくは反証といったものを有効に提示することは今の時点では不可能である。そのようなことに挑戦する時間も労力もあまりに制約されているといってよいだろう。そこで、今回は少し趣向を変えて、この本で著者がもっとも主張したかったであろう古典と反古典の関係について“本質”と“パラダイム・シフト”という二つの概念を用いて考察してみたいとおもう。これはいわば、この本の総合的なテーマを分析する上での基礎的な概念である。
著者は、従来の「古典」的な概念が、多くの分野において歴史上起こった「パラダイム・シフト」によって修正を余儀なくされていることを鋭く指摘している。政治外交における現実主義の観念や経済学における限界収穫逓減の原則などはその一例であろう。これらのパラダイム・シフトは「技術革新」によって起こったと見るのが著者の基本的な立場である。技術革新は従来の政治学や経済学で分析可能な連続的な予測可能な変化とは異なり、非連続的で予測不可能な変化である。それは、その技術の関与する領域の基本的な行動原則を根本的に変革してしまう。しかしながら、それらの変化に耐えて歴史的に普遍な要素も存在する。それが“本質”である。学問における人間的な要素は、どんなに排除を試みても排除しきれるものではなく、それがしばしば物事の“本質”という形で認識されることはよく知られてきたとおりである。
問題は、この“本質”と“パラダイム・シフト”の間にどのような関係が成立しているかである。あるいはこの両者のうち、どちらをどれだけ尊重するかである。このことは物事の考察にしばしば決定的に重要な影響を及ぼす。一例を挙げよう。今年3月、私は大手町にある経団連の本部で開かれた21世紀におけるアメリカの覇権の行方を考えるシンポジウムを視聴した。その時のパネリストは、外交評論家の岡崎久彦氏、前大蔵省財務局長の榊原英資氏の二氏であった。21世紀にまでアメリカの覇権が継続するかについて、岡崎氏はこう述べた。アメリカの覇権は、今後相当の長期間に渡り継続する。冷戦の終結は、資本主義と共産主義のどちらが世界の安定を担うに相応しい原理であるかの区別を確認する作業の最終段階に他ならなかった。現在、地政学的に見てアメリカほど覇権国としての役割に相応しい国はない。そして、それを根本から覆そうとする勢力が全く不在である。故にアメリカの覇権は磐石である、と。すなわち、氏は地政学的真実および、歴史の本質的な観点から見てアメリカ以外にこの役割を担いうる国家がないことを指摘しているのである。反面、榊原氏のコメントは対照的なものだった。氏はアメリカの覇権は今後短期間のうちに衰退を迎える、という。なぜなら、アメリカが現在覇権を握っていられる最大の要因は情報技術を中心とした一連の技術革新のために他ならず、技術というものが国家や民族性にこだわらない普遍的性格を備えている以上、それは必ず後発国にキャッチ・アップされ、短期間のうちにアメリカの主要な国力を相対的に低下せしめることになるであろうから。すなわち、榊原氏は歴史的な”本質“や不変の作用よりも、「技術革新」の持つ根本的なパラダイム・シフトの力を信じているのである。
国際政治のような流動的な現象を取扱うとき、時としてこの本質とパラダイム・シフトの区別が非常な重大性を帯びてくることがある。例えば、それは従来殆ど無視されてきたような小さな要素が次第に巨大になり、無視できなくなってきたようなときに顕著になる。冷戦期、ソ連邦に対する国内のアクター分析(アリソン的な)は党の持つ権威があまりにも大きいため、殆ど無視しても差し支えないものだった。党の行動は殆どが上層部の政治委員会や党政治局であらかじめ決定され、本来ならば意見を闘わせるための場であるはずの党大会は単なるセレモニーと化し、党内における多様な意見の存在を伺うことはできなかったのである。しかし80年代初頭にこれが変化した。改革派知識人達がソ連邦の経済構造の問題を指摘し、体制の行き詰まりが指摘され始めるのと時を同じくして、ゴルバチョフが登場してやがて党内の分派・反主流派の存在がはっきりと確認されるようになるのである。だが西側はこの時、明らかに本質とパラダイム・シフトの区別の混乱を起こした。すなわち、ソ連における分派の登場が、本当はロシア特有の中央権力の権威の低下から引き起こされたものだったにも関わらず、西側はこれを「ロシアの民主主義への転換」というパラダイム・シフトが起こったものと受けとめて、冷戦後のユーフォリアを構築する一つの基盤としたのである。この誤解が90年代の西側の対ロ政策に大きな影響を与えたことは言うまでもない。この例は本質面での重要性を捉えきれずにパラダイム・シフトに注意を集中した結果、西側の対ロ援助の幻想の崩壊とハンチントンの言うような「文明の対立」的な構造の構築に一役買ってしまった失敗として記憶されるべきである。
こうした例は実は枚挙に暇がない。歴史的な人間の本質とパラダイムの根本的な転換の区別は大抵の場合、非常に困難である。観察者は日々移り変わる事象を、@短期的(技術的)な視点、A長期的(歴史的)な視点の両方で捉えなくてはならない。これは言葉で言うほど気楽な作業ではない。具体的な例を挙げると、ある政策A(例えば新産業への優遇措置)が行なわれた場合、観察者はそれをまず既存の理論の範囲の中で評価(経済への影響&政府の負担とのバランス)し、かつまた歴史的な時間軸に沿って考察(新技術発生の可能性&経済メカニズムの抜本的な変革)までしてみなければ、両者の本当の区別がついているとはいえないであろう。
しかし、これは現実にはほぼ不可能なことである。だいたいの場合、この両者の区別は政策の影響がじわじわと表面化する過程で明らかになってくるものである。RMA(Revolution in Military Affairs)と呼ばれたアメリカの軍事技術革新は、当初どこまで実戦で通用するのか疑問視されていたものだった。それは、米ソが冷戦構造の中で御互いの行動を抑止し合い、現実に兵器の性能を検証する機会に乏しかったからである。しかしながらこれは82年のレバノンの空中戦でイスラエルとシリアが代理戦争を戦ったことにより、はっきりと証明されることになった。シリアのソ連型機は80数機も撃破されながら、イスラエルの米国機を一機も撃墜できなかったからである。こうして、80年代の半ばまでにはアメリカの軍事的優位が決定的になったのであった。すなわち、米ソの軍事力パラダイムのシフトが確認されたのである。ところが、RMAは冷戦後再びその真価を問われることになった。というのも、クリントン政権はソマリアへの介入に失敗してから自国の兵の命を他国で危険にさらすことに極度の拒否反応を示すようになったからである。そこで頼りにされたのが、危険性を最小限に抑えて敵地を攻撃できるPGM(精密誘導爆弾)やステルス爆撃機・衛星誘導の巡航ミサイルなど、ハイテク兵器群であった。コソボ空爆は、まさにこのハイテク兵器群が冷戦後の国際政治を左右し得るかどうかの検証が為された軍事行動に他ならない。この戦争にハイテク兵器のみで勝利が為された結果、RMAは単に単体での性能優位を示すのみには留まらず、現実に地域紛争にも対処し得ることが確認されたのである。これは、アメリカが自国の兵士の命を危険にさらさずに世界での覇権を保ちつづける新たな形のドミネーションの確立に他ならないのである。しかし、そこに辿りつくまでには数十年という確認の歳月を費やしたのである。
いま、果たして根本的な変化が生じているのか、いないのかよく分からないことにヨーロッパでの地域的な安全保障の確立がある。ヨーロッパでは75年から20年以上にわたり全欧安保協力会議(CSCE=現OSCE)を通じた地域的な安保対話の努力が為されてきているが、これによって欧州の安全保障が確実に、国益を巡る武力を中心とした立場(勢力均衡論)から、経済や人権など幅広いテーマを盛りこんだヘルシンキ宣言的な立場(協調的安全保障論)へと変化を遂げたのかどうかははっきりとしない。冷戦後のNATOの新軍事機構の発達を見ても、あるいはPfPやEAPCを通じた旧東側諸国の採りこみを見ても、それが地域的な安全保障構造の構築を目指したものなのか(要するに紛争対処)、ロシアを敵国と見なした旧来的な軍事同盟なのかは判然としない。むしろNATOは意図的にこの違いをあいまいにしているようにも思われる。変革があるのだとすれば、カギを握るのはここでも技術である。すなわち、アメリカは従来型の軍事同盟としてのNATOを保つことでヨーロッパにおける自国の影響力を保持しようとしているが、欧州諸国は積極的に紛争対処型の兵装を備えて行くことでニューNATOへの脱皮を遂げようとしている。しかしながら、欧州の決定的な弱点は、紛争対処を行なうにあたり十分な装備を整える技術的な基盤が無いことにある。例えば、欧州は人工衛星からのリアルタイム情報入手技術を有していない。さらに、大規模な兵員を効果的に紛争地に輸送する大型輸送機も、アメリカから借りないことにはどうにもならないのが現状である。もし欧州がこうしたものを整えられる技術的な基盤を持ち、アメリカの支援がなくとも地域紛争対処が独力で可能になったとすれば、それはNATOという軍事同盟の本質的な転換と欧州における地域安保機構の創設に与える影響は極めて大きいであろう。
以上の議論をまとめる。まず、本質とパラダイム・シフトを巡る議論で最初に認識されなければならないのは、論者がどちらの立場をより重視するかによって現実の国際事象の評価が全く変ってくるということである。岡崎氏と榊原氏の例に戻るまでもなく、「今までと同じ」と「今までとは全く違う」の持つニュアンスの違いは巨大である。次に、しかしながらその区別を分析することは非常に難しいという認識もなければならない。すなわち、観察者は現実に起こっている事象の短期的な評価にどうしても拘束されるため、長期的次元まで頭を巡らせて“本質”にまで思索を深めるのがなかなか困難なのである。ソ連邦の例ではたかだか80年代の後半にしか続かなかったロシアの急速な民主化を、西側は根本的なロシア社会の変化と勘違いをし、90年代に至って幻想が崩壊する原因を作った事実が指摘された。最後に、もし変革が起こるのだとしたら、それは技術的な要素によってもたらされる可能性が強いということである。欧州の安全保障が軍事同盟から地域的安全保障機構に変るためには欧州が独自の技術基盤を持たねばならないとした例がそれにあたるが、そもそもパラダイム・シフトという言葉自体が技術革新により産業構造が一変する様子をあらわすことから始まった言葉である。昨今の世界では政治的事象に占める経済的な要因がますます巨大化してきているため、技術革新によって国際政治のパラダイム・シフトが起こる可能性はさらに高くなりつつあるといってもよいだろう。村上氏の著作で、一番(袴田ゼミの学生として)新鮮に感じたのは、技術という無機質なものが国際政治に与える影響をダイレクトに考察していることであった。いつになろうが国際政治を運営しているのは常に人間であるのだから、人間というものに対する本質的な考察が必要とされるのは言うまでも無いことではあるが、その一方で科学技術と合理性の象徴としての技術の持つ意味合いを真剣に考察することもまた重要だという思いを抱いて本を閉じた。
後記:
かつてどこかで岡崎氏と榊原氏の対談について触れ、自分はどちらかと言えば岡崎氏のほうを支持すると語ったのを覚えている。その時の私の理由はこうであった。すなわち、いくら技術によって国際政治のパラダイム・シフトが起こるとしても、その技術を利用するのは人間である。そしてその人間は国民性や民族性など、集団の固有の性格に左右される。インターネットを始めとするアメリカの情報通信技術は競争と自立を重んじるアメリカ人には向いているかもしれない。しかし調和と依存を重視する日本的特性には果たして適応するのかどうか?もし、アメリカの技術を日本がそのまま模倣できないのだとしたら、榊原氏の「後発国のキャッチアップによるアメリカの覇権衰退論」も説得力を失うであろう。このように考えたのであった。私も技術技術と言いながら、人間を重視する思考に変りはないということか。
…ちなみに、この質問を榊原氏本人に向けて放とうとしてシンポジウム後のエレベーターホールで待ち構えていたのだが、対談後の氏の不敵な自信に満ちた笑みに阻まれて目的を達成できなかった。私も全然度胸というものが足りないらしい。やれやれ。