安全保障論 T

提出先:山本 吉宣 先生

提出者:福田 潤一

協調的安全保障概念でみる欧州安全保障協力機構(OSCE

 


問題設定

 欧州安全保障協力機構(OSCE)は、欧州において協調的安全保障概念を体現するものであるとよく言われる。冷戦期、東西間の宥和を進展させる目的で作られた全欧安保協力会議(CSCE)は冷戦の終結を迎えて旧東側諸国を含んだ開かれた安保協力の多数国間フォーラムへと発展を遂げ、その新たな役割として従来の「三つのバスケット」に加えて地域紛争への対処が新しく視野に入ってきたのであった。しかしながらOSCEは必ずしも欧州の安全保障の中心的な役割を担ってはいない。ボスニア、コソボの例を見てもわかるとおり、紛争の解決において決定的な役割を担ったのはOSCEではなくNATOの軍事力であった。また、旧東側諸国との対話と関係改善という役割も、北大西洋協力理事会(NACC)を発展させた欧州大西洋パートナーシップ理事会(EAPC)と、バイラテラルな軍事協力の進展を目的にした平和のためのパートナーシップ(PfP)というNATOの外部組織にその根幹を奪われてしまった形である。果たしてOSCEは、本当に欧州の協調的安全保障概念を体現する存在であると言うことが出来るのであろうか。あるいは、そのごくごく限定された一部を担うものに過ぎないのであろうか。本論ではこの問題を取扱ってみたい。

 


協調的安全保障概念の理論的定義

 協調的安全保障概念は冷戦後欧州の安保環境が劇的に変革するなかで登場してきた新しい安全保障のコンセプトである。その定義は、脅威の性格が特定されず、内部化されており、しかも軍事面に限らず経済、社会など幅広い次元での包括的な脅威を想定して行なわれる安全保障の形態をさすとされる。これを言いかえれば、想定される脅威が顕在的、恒常的なものでなく分散化され、潜在化しており、かつ外部の敵からではなく内部からの発生を秘めたものであり、しかもその解決を必ずしも軍事力の行使に求めないような安全保障のメカニズムを意味しているということになろう。この協調的安全保障の概念に対置するものとしては同盟や集団安全保障といったものが挙げられる。同盟は脅威の性格を特定し、それを外部に求め、軍事的な解決を主眼に置くが故に協調的安全保障概念とは対照的である。また集団安全保障は脅威を特定せず、しかも内部化するという点では協調的安全保障概念と共通点を持つが、解決を軍事力に求める点でやはり対照的である。協調的安全保障概念は冷戦期のCSCEのような「共通の安全保障」概念ともその性格を異にする。それはCSCEが東西間の対立という特定の脅威を減じようとするものであったのに対し、協調的安全保障ではそのような明確な脅威自体が存在しないからである。協調的安全保障を担う国際機構は、明確な敵対関係の無くなった国際環境において、共通した安全保障の関心を抱く国家群全てをそのうちに含み、しかも強制措置としての軍事機構を有さないものである必要性がある。こうした意味においてOSCEは協調的安全保障概念を体現する上で一見非常に理想的であるかに見える。次に、OSCEの果たす役割について概観しよう。

 

3、CSCE / OSCEの起源と役割の変遷

 OSCEの前身であるCSCEは、1975年の「ヘルシンキ最終合意書」において決定された三つのバスケット、すなわち第一バスケットとしての安全保障、第二バスケットとしての経済協力、第三バスケットとしての人的次元の問題を基本の理念として東西間の宥和に務めてきたが、冷戦後の東西の基本的な対立の解消という変動を経て、いくつかの新しいメカニズムの付与と常設機構化の問題が検討されるに至った。その内容は、新たな紛争予防のメカニズムとして一、緊急事態に関する協議・協力メカニズム、ニ、紛争解決メカニズム、三、モスクワ・メカニズム、四、異常な軍事活動メカニズムなどが挙げられるが、これらは冷戦後の新たな戦略環境の変化に対応すべく従来の三つのバスケットの協力内容を強化もしくは改編したものであった。一方、常設機構化の問題は、冷戦後のアイデンティティの模索に苦しむNATOを尻目にロシア・フランスなどの支持を背景にして9412月のブダペストCSCE会議で正式に機構化(OSCE化)することが決定されたが、そのマンデートはNATOの存続を希望するNATO諸国によって紛争予防・事実調査・停戦監視などの限定的なものに留まることを余儀なくされた。これは冷戦終結直後のヨーロッパ諸国のCSCEへの期待とは大きく異なったものであった。

 

 冷戦終結直後のヨーロッパでは、ニ陣営間の大規模武力衝突の危機が後退したとの幸福感から、軍事力の行使を基本にした同盟関係よりも包括的な全欧的安全保障機構の設立が待望された。しかし、そのCSCEに対する期待は二つの理由から後退したと見ることが可能であろう。一つは、NATO存続問題との関わりである。仮想敵を失って軍事同盟としての存在意義の本質を見失ったNATO90年代初頭に低迷の時代を迎えたが、加盟国は冷戦期に制度化された様々な軍事的協力、政治的意思疎通のメカニズムを温存させたいと願った。そしてCSCEを通じて再びロシアの影響力がヨーロッパに及ぶことを防ぐ目的も合わせてCSCEの役割の限定化を図ったのである。二つ目はボスニア紛争におけるCSCEの対処能力の欠如の露呈である。ユーゴ紛争が起こった当初、CSCE加盟国の間では「異常な軍事活動メカニズム」の行使などを通じてCSCEによる紛争解決に期待が寄せられ、またNATOも積極的な介入姿勢を示さなかったためにCSCEの主導的な紛争解決の努力が見られるかにみえた。しかしながら実際にはCSCEは機能せず、紛争の解決は最終的には国連とNATOに委ねられた。こうした経過を経て、現実の紛争解決には軍事力による介入が不可欠であることが明らかになり、強制措置を有さない開かれた安保フォーラムとしてのCSCEへの期待は低下してきたのである。

 

 これに伴って、本来であればCSCEが果たすはずである協調的安全保障の他の分野もNATOの外延部がその役割を肩代わりするようになってきたのであった。代表的なものは9111月に設置された北大西洋協力理事会(NACC)と、941月に制度化された平和のためのパートナーシップ(PfP)である。北大西洋協力理事会は、そもそもワルシャワ条約機構の解体に伴って安全保障上の繋がりを失った旧東側諸国の「受け皿」となるべくNATOによって設置されたものであったが、その安保対話、軍備管理、信頼醸成などのマンデートはそのままCSCEの任務と重複するものであり、旧東側諸国との対話というよりはむしろNATOそのものの延命のために作られたといった感が強かった。また、PfPNATOとこれらの国々との軍事的な協力促進のために作られた制度であることから一見CSCEの役割を妨害しないように思えるが、しかし実際は1、NATOの東方拡大、2、地域紛争対処能力の向上を主眼に据えた欧州安保におけるNATOの主導的地位そのものを強化する目的をもった制度であった。こうした役割の喪失を経てもCSCEは常設機構化を達成したのであったが、しかしその役割は紛争予防・事実調査・停戦監視など紛争解決の直接の鍵となる任務というよりは、むしろ補完的な、サブの役割に留められた任務に限定された。

 

以上の事実は、CSCE / OSCE90年代の初頭において、そもそも欧州安保の中心的な存在ではないと見なされたことを意味しており、OSCEが協調的安全保障概念を十分体現していないことを示す重要な証拠と成り得るであろう。それでは、逆にそれでもOSCEが協調的安全保障概念を体現する安保機構足り得るという説明はどうなされるのであろうか。次にこのサイドからの分析を試みたい。

4、協調的安全保障機構としてのOSCE

 それでもOSCEを協調的安全保障機構として捉える側の論拠は、協調的安全保障という概念そのものが冷戦後、現実の経験を反映して収斂してきたと考える立場に立つ。そもそも協調的安全保障という概念は冷戦期から持続的に存在してきたものではなく、冷戦後の不明確な将来の安保環境を視野に入れて実験的・試行錯誤的に作り上げられてきた概念であった。欧州の安全保障が冷戦後10年の現実的な危機対処の経験を経て、直接的な強制措置が必要なケースと、間接的・非軍事的な措置で対応できるケースとの峻別を次第に達成してきたと見るのがこの見方である。この見方に従えば、欧州安保におけるOSCEの役割の限定も協調的安全保障概念の後退としてよりは、より具体的な強制執行機関との峻別(NATOとの住み分け)として積極的に捉えることができよう。そもそも、協調的安全保障とは敵でも味方でもない国々の間の関係を特定できない脅威から間接的(非軍事的)に保障しようという概念である。それは決して武力衝突の危機を最終的になくすものではなく、またもし武力衝突が発生したときに現実に対処する軍事同盟ないしは強制執行機関の存在を決して否定しているわけではないのである。

 

 また問題を「硬いレジーム」と「軟らかいレジーム」の二つに分けて考えることも可能であろう。レジームとは、特定の問題領域において国家群が共通の利益を達成するための規範、手続き、モニターと違反制裁の枠組みのセットのことであるが、その拘束力がどれだけ強いかに応じて「硬い」ものと「軟らかい」ものの二つに分けて考えてみることができる。「硬いレジーム」とは、国家がそのレジームの枠組みを違反して行動する時の政治的リスクが極めて大きい類のレジームのことであり、例えば、NATOや日米安保などの軍事同盟を例としてあげることが出来よう。これらの同盟で違反行為をしたときは、もはやその同盟が存在しないかのように相手国から振舞われることであろう。しかしながら「軟らかいレジーム」とは、そのような違反行為が明確に特定されておらず、また制裁手続きもさほど強力でないタイプのレジームのことを指す。これらのレジームは国家を拘束する能力が弱いことから一見何らの存在意義を有さないかに見えるが、実際には政治的リスクの高さの故に進展していない交渉を下からの小さなコンセンサスを積み上げることによって着実に前進させる可能性を有している。これは例えば、OSCEARFなどの安保フォーラムが例として入ってくるであろう。もしこのようなタイプの「軟らかなレジーム」の安保機構のことを協調的安全保障というのであれば、OSCEは間違いなく協調的安全保障機構と呼ばれるにふさわしい能力を備えているとみるのが二つ目の見方である。

 

 

5、結論

 結論として言えば、OSCEは協調的安全保障機構と呼ぶこともできれば呼ばないこともできると言えるであろう。冷戦後期待された全欧的な安保機構としての協調的安全保障の可能性はボスニア、コソボの経験とNATOの存続の必要性からあえなく潰えた。その意味でOSCEが欧州における協調的安保構造の一翼しか担わせて貰えていない事実はOSCEが真の協調的な安全保障の機構からほど遠いことを明らかに示している。しかしながら、この役割の限定を協調的安全保障という概念そのものの明確化のプロセスだと受け取るのであれば、OSCEは協調的安全保障機構足り得るであろう。問題の解決に力を要するような危機の対処はNATOとその外延のメカニズムに委ね、そうでない地道なコンセンサスによって地域の安全を保障するようなプロセスはOSCEが担当するという構図が欧州では明確になって来つつある。この二つを比べてみたとき、筆者には後者の方がより得るものが大きい視点であるように思われる。なぜなら、現在の世界はかつてほど敵と見方の区別が明確ではなく、また紛争の形態も多様であるため、迅速な軍事力による解決がますます難しくなっているからである。いわゆる協調的安全保障概念の期待するものを軍事同盟が担う範囲には限界があろう。そこで、安全保障のコアとなる強制執行機関を補完する形で協調的安全保障機関というものが別個必要になるわけである。OSCEはその役割を良く担っていると考えることができるであろう。

 

 

 

 

 

参考論文:

山本吉宣「協調的安全保障の可能性」『国際問題』第425号、19958月号 pp. 2-20

植田隆子「欧州安全保障の変動と協調的安全保障構造」『国際政治』第100号、19928月号 pp. 126-151

植田隆子「欧州における軍事同盟の変容と協調的安全保障構造」『国際政治』第117号、19983月号 pp. 175-190

植田隆子「北大西洋条約機構の東方拡大問題」『国際法外交雑誌』第3号第94巻、19958月号 pp. 44-83

広瀬佳一「NATO拡大におけるPfPの機能」『ロシア研究』第28号、19994月号 pp .111-125

 

参考文献:

百瀬宏・植田隆子編「欧州安全保障協力会議(CSCE) 1975-92」日本国際問題研究所、東京、1992