社会主義は二十世紀に何を残したのか
16197099 福田 潤一 提出日:10 / 7
今回与えられたテーマは、社会主義は二十世紀に何を残したのかをロシアの危機と合わせて考察せよということである。今のロシアの危機はすべて70年間の共産主義の時代に端を発するといっても過言ではない。それゆえ、私はこのレポートを書くにあたり、共産主義およびそれと殆ど同義語であると解釈する社会主義のどこに誤りがあったのかを捉えて行くことで現在のロシア危機への対処法も見つけ得るだろうと考えた。ヨーロッパを脅かした怪物は今や死霊となったが、しかしなお考察される余地は残っているのである。以下、まず私の考えた共産主義の誤謬について論を進めたい。その後、資本主義とのシステム的な優劣を考察した後、現代のロシアの抱える諸問題への処方箋について、不遜ではあるが触れてみたい。
まず共産主義の犯した最大の過ちは、実証性を欠いたドグマ的な理論であったということだろう。マルクスやエンゲルスの手になる共産主義思想は理論としては曇りのない完璧なものであったといわれているが、しかしその前提があまりにも理論的・抽象的なものに過ぎたきらいがあった。理論と現実が一致しないのは共産主義思想に関わらずあらゆる学問に見られる現象ではあるが、共産主義の場合、その矛盾を暴力によって代替しようとしたところに最大の問題があった。まず理論的な誤謬から見てみよう。たとえば、マルクス理論では労働者は生産者と不可避的な利害対立関係にあり、搾取を乗り越えるためにはプロレタリーアート革命を起こすしかないとされていた。しかしこれは本当だろうか。実際には、社会全体の豊かさが増して労働者の権利向上が進めば、労組の活動や株式の取得などで労働者にも経営参加の道は開かれるのである。また、共産主義において労働者は職種を越えて、また国境を越えて自由に連帯できるものだとされているが、これも本当だろうか。実際には各々の所属する職種のカルチャーの違い、そして労働者というアイデンティティーよりはるかに大きいナショナリティーの違いというものがこの連帯を阻むのではないだろうか。
このことを考えるのには私の身の回りを例に挙げてみてもよい。たとえば、私の所属している「学生」という共通項をもってトランスカルチュラル、トランスナショナルな連帯は可能だろうか。私は同年代の大学生に会うたびにその人の所属している大学や学部の様子について質問するのであるが、その時いつも感じるのは「同じ大学生といってもこんなに違う生活を送っている人がいるのか」という驚きばかりである。彼らと自分を同じ「学生」という枠で一括りにするのは無理があると思うことも少なくない。この差は海外に行って外国の大学生と話すことでさらに広がる。もうすでにこの時点で異文化交流の段階に入っているのだ。世界でだいたい同じ年齢層の人間を集めた「学生」にしてこうなのであるから、さらに幅の広い「労働者」については推して計るべしであろう。深い精神的価値を共有しあった知識人ならともかく、一般の人間には不可能な話である。いかに共産主義が現実を無視した前提を建てていたかがわかるだろう。
共産主義がこうした理論優先の学問になった理由は、やはり当初知識人が主導した運動であったことが大きな要因であるだろう。欧米の知識人の行動規範として、まずはルネッサンス以来の伝統ある良心に基づいた問題設定を行い、次にその問題を既存の理論を用いて分析、そして解決法の提示か既存の価値観を覆す新理論の提唱を行う、というパターンがある。共産主義はその点でまさに知識人の運動であった。労働者の搾取からの解放という良心的基盤のうえに資本主義の限界性を予測し、新たに共産主義を打ち立てるというパターンは、当時ならず現代の知識人にとっても魅力を持っているかもしれない。しかし本来ならば、さらにこれに事後の検証と理論の修正という一項が付け加えられるべきであった。なぜなら、不断のリヴィジョンこそが理論をより実効性の高い現実に沿ったものにしてゆくからである。ところが、共産主義者達は、19世紀中にこうした理論の根幹にかかわる部分の変更を行おうとはしなかった。なぜだろうか。それはよくわからないが、おそらく労働者の搾取からの解放が急務とみなされるあまり、現実の実現可能性については目をつぶって来た経緯があるのではないかと思う。共産主義は当初から理論よりも運動優先の活動だったといえるのではなかろうか。
その歪みは共産主義の最も成功した例と見られるロシア革命の時に早くも現れていたのである。すなわち、ロシア革命はマルクスが主張するところの正当な共産革命ではなかった。マルクスは最も高度に発達した資本主義国から民意によって共産社会が誕生すると述べていたが、現実は全く逆であった。最も資本主義の停滞した国家から、体制打破としての共産革命が起こったのである。当時のロシアの状況はひどいものであった。長期にわたるツァーリの専制によって国家は疲弊し、日露戦争と第一次世界大戦という二度の戦争に敗れ、社会不安は限界に達していた。こうした極限的状況下でマルクスの述べたような良心的体制移行が行われるはずもない。結果、レーニンは暴力革命を唱えてプロレタリアート独裁を主張したのであった。これは新しくマルクス・レーニン主義と呼ばれたが、これが従来の良心を基盤とした合理主義的革命思想と大きく異なるのは言うまでも無い。そこからは知識人的な御行儀の良さというものが姿を消し、暴力的プロレタリアートのためのプロパガンダへと変容しているのである。
私が先生の書かれた論文を読んで一番疑問に思った部分もここにあるのである。すなわち、共産主義とは本当に合理主義に基づく運動だったのだろうか。その成立の経緯を見る以上、むしろそれは理論をないがしろにした目的のための運動……非合理的かつ暴力的情熱の産物ではなかったかと思えるのである。レーニンや毛沢東は暴力革命を公認したが、そのためにのちに第三世界では被支配からの脱却を目指して内戦や革命が相次いだ。これらは一応共産主義という名前を借りてはいるが、その実態は反乱軍であり、民族自決の理念を持つナショナルな活動であった。ナショナルな、ということは知識人の理想とするインターナショナルな連帯の精神と大きく途を異にする。その本質は合理的というよりも非合理的な歴史的実態への帰属の要素が強いだろう。同様に、ソ連においても、中国においても、結局はインターナショナルなというよりナショナルな国家理性の原則の方が二十世紀はより重視されたのであった。このことは各国が理念としての共産主義をないがしろにした結果というより、むしろ共産主義自体が内包する決定的な誤謬の現れであったと捉える事はできないだろうか。すなわち共産主義はそれ自体、机の上でしか存在できないものであったのである。共産主義の大前提であるいくつかの事柄について私はまったく非現実的なものだと思わざるを得ない。たとえば労働者についての定義にしても、共産主義は労働者を生産関係において資本家と利害対立を起こす存在、としか定義しておらず、その人間的な特質であるとか、より多面的な社会学的考察などはほとんど行っていない。そこで、こうして机上に立ち現れた「労働者」という概念をむりやり現実に当てはめるべく、「暴力革命」などという言葉がつかわれたのではないだろうかと私は考えているのである。もし共産主義がこのようなものだとしたら、私はそれを合理性に基づくと考えるよりもむしろ非合理の極地だと考えたほうが妥当だという気がする。もちろん、大恐慌時における共産国の経済的安定性など一見合理的に見える部分もあるだろう。しかし私は、それは他のマクロ経済学的分析で十分証明できると思っている。ロシア革命の存在を前提にした、いわゆる「共産主義」という言葉自体、架空の前提を抜いては成立し得ない非合理な存在ではなかったのだろうか。
共産主義の理論的誤謬についてはこの位にして、次に資本主義との理論的優越について少し考えてみたい。冷戦が終結した直後、世界では共産主義に対する資本主義の勝利だという論調が圧倒的であった。ところがその後しばらくして貿易不均衡や国際為替の問題などから資本主義も完璧ではないという論調が高まり始め、本当に資本主義が共産主義に対して勝利したのかについて疑問が呈されるようになってきた。システム的にみて共産主義は資本主義のもつ欠点をうまくカバーしているのではないか、今後とも共産主義の理念は資本主義に対して力を持ちうるのではないか、という議論である。だが私は、やはり資本主義は共産主義に対しより優れていたからこそ冷戦を勝利することができたのだと思う。その理論的優越とは他だ一点、自己変革できるシステムであったか否かである。
資本主義において、その目指すところは自由放任による社会的価値の最大化であり、政府の役割はより小さいことが期待される。反対に共産主義下では巨大な政府の下に全てが一括管理され民間の活動はより小さいことが原則である。これが示すことは、資本主義下では経済活動を担うアクターが多様だということである。多様であるために日々新しい発想がなされ、新たなチャレンジが行われ、その責任を自己責任において採るという活動がなされている。この自己責任という原則が破産、あるいは倒産といった現象を引き起こすため、共産主義はこれを「搾取による人間阻害」という表現を用いて嫌悪したのであった。ところがこのことはより多くのチャレンジ精神を引き出すことに貢献してもいる。無数の挑戦が行われ、小刻みな変化を容認してきたがゆえに資本主義は恐慌を乗り越えて経済規模を拡大してゆくことができたのであった。
ところが共産主義下ではこうした活動には限界がある。経済活動を担うアクターが政府一つしかないため、その政府は必要以上に巨大化するだけでなく、政府の存在そのものが経済であるために権威を絶対化しなければならないからである。共産国において政府はつねに政府の経済計画がうまくいっているというプロパガンダを国民に流しつづけなければならなかった。そうでなければ経済自体に対する信頼が失われてしまうからである。これは結局政府を徹底的に権威化させる方向へと共産国を導いた。共産主義は民間の役割を認めようとせず、個人の自己責任といったものを無視するあまり、社会全体の衝撃緩和装置とでもいうべきものを政府が一身に抱え込む構造を作り上げてしまった。しかも一度この構造を作り出した政府は、その進行を止める事はできずいたずらに肥大化するだけだったのである。「権威」を強調しすぎた共産国家はあまりにも経済に対する柔軟性に欠けた。これが共産主義最大の失敗であると同時に、資本主義に対して決定的に劣っていた個所ではないのか。
ソ連が崩壊した理由としてよく挙げられるのがその経済的な破綻である。レーガン政権が80年代にSDI構想を打ち出した背景には、アメリカが比較優位を持つ高度な技術的軍拡競争を行えば、ソ連は戦わずして疲弊するであろうという目論見があったと言われる。すでに82年のレバノンでの空中戦の段階で米ソの技術力の優越は決定的であった。そうしたアメリカの技術力は民間の努力に大きく依存したものだった。たとえば、戦闘機一機を採用するにしても、アメリカ政府はボーイング社やダグラス社に対しコンセプトを伝え、各社のアイデアによるトライアルを行ってから正式な発注を決めるのである。この場合、トライアルを勝ちぬけなかった企業はプロトタイプ制作のコストを自分で負担しなければならない。つまり、ここでも市場原理が働き、その分政府の負担は減少するのである。ところがソ連の場合はそうした開発のコストは全て政府が負担しなければならなかった。プロトタイプを作り、最も優れた物を選び出し、さらに改良を加え、出来あがったものを量産する…そうしたコストのかかる方法を全て自分で行わざるをえなかった。結果としてソ連はSDI競争に敗れ、どん底の経済状況の下でペレストロイカに乗り出さなければならなくなったのである。
資本主義が共産主義に対し有利に立つ点は、経済に対する姿勢がより柔軟であることに尽きる。資本主義では発生した問題を常に解決すべく日常的な小革命が繰り返されているのに対し、共産主義の方は問題が蓄積してどうしようもなくなった段階で初めて大革命を起こして体制変革を行うしかない。長期的にみて優れているのはどちらか明らかである。資本主義においても恐慌による失業や社会的セーフティネット不在による人間阻害などの問題は起こりうるが、それは資本主義の枠内において(すなわち社会民主主義的方針を採ることによって)解決し得る問題であるし、現に解決している。共産主義の問題は、ひとえに自己変革不在のシステムそのものにあったとみて間違い無いだろう。冷戦の勝利はやはり資本主義のシステム的な優越による勝利だと私は思うのである。
さていよいよ現在のロシア危機との繋がりである。以上のように共産主義の負の遺産を抱え込んだ新生ロシアは、誕生後10年を経ていよいよ問題が深刻化しようとしている。かつては巨大なソビエトの一部だったバルト三国、中央アジア等CIS諸国は独立し、地域によってはチェチェンのように反ロシア感情を剥き出しにしている。昔強大な勢力を誇ったソビエト軍はいまや再起不能なまでに弱体化し、国防を核に頼る方針がいよいよ強くなってきている。経済では共産主義後の市場経済制への移行に失敗し、巨大な負債と国有財産の私物化という問題を抱えている。政治では国民不在のエリツィン専制が長期に渡って続き、国民の政府に対する信頼は今や地に落ちている。いずれも深刻かつ深遠な問題ばかりであり、一朝一夕どころか数世代かかっても解決できるかどうかは疑わしい。しかも相互に連結し、複合的であるため、一つの対策をカンフル的にうったところでその効果は限定されたものになりがちである。このようななかで、ロシアを救済するとしたらどのような手を打たなくてはならないのか。もとより困難であることを承知の上で考えてみたい。
まずロシアを立ち直らせるために必ず必要なのが共産主義時代から引きずってきた国民の政治的アパシーを如何にして払拭するか、ということである。エリツィン政権の市場経済政策は今や失敗に終わったことがはっきりしており、なるべく早期に国民の意思を組んだ次期大統領が政権の座に付くことが望ましいのはいうまでもないことであるが、問題は如何にしてその国民的合意を形成するかということである。今、ロシアの国民は政治に幻滅して自己の利益のみを考えるようになっているといわれているが、これでは社会の混乱を増すばかりである。なるべく早期にこうオた国民的合意というものを成立させることが必要であろう。
次に必要なのが、国民的合意を形成してもそれが政界に届くシステムが事実上存在しないという問題の解決である。現在のロシアの大統領制は事実上議会による制約を受けないという極めて強い権限を有しており、このことが危機を乗り越えるためには有利であっても、安定的な社会の創出を阻んでいる可能性がある。「ファミリー」と呼ばれる利権集団が大統領と結託して国家の財産をくすねているような状況では、誰も公益に目を向ける者はいなくなるだろう。大統領制廃止まではラディカル過ぎるであろうが、少なくとも大統領の権限縮小は不可欠だと思われる。
さらに必要なのが、国内経済を市場経済化するためのルール作りの推進である。これがもっとも難しい問題ではないかと思われる。というのも、商取引にまつわるさまざまな慣行というのはその地域地域の文化や風土に強く影響を受けており、他国からの制度をそのまま輸入しただけでは全く根付かないからである。そこには何か歴史的な皆が共有できる思考スタイル、価値基準が不可欠だ。残念ながら、先生が指摘されるように、ロシアにはそういうものが全く欠けているらしい。打開策はまったく見当たらないが、それでも外国、特に欧米の投資を受けられるように国際的な基準だけにはしっかりと従うような制度を作らなければならない。投資がなければ経済は回復せず、政府の徴税不足も埋まらず、そんな状態ではIMFによる融資も受けられないであろう。
最後に重要なのは、核戦力偏重からの脱却である。ロシアは通常軍が崩壊寸前なあまり、抑止力を保つためには核武装を強化するほかは無いとして新型ミサイルの開発に取り組んでいるが、こうした姿勢は実はロシアの安全保障にさほど役立っていない。むしろその分おろそかにされる通常軍の劣化で直接的にロシアの領土が脅かされているというのが本当のところである。だからロシアは必要以上に核戦力を強化する道は採らず、むしろそれを段階的に減少させてゆくことで西側諸国から譲歩を引きずり出すという戦略を取るほうが利口であろう。そして浮いたお金で通常軍の充実を図り、兵器を量産して東南アジアなどのエマージング・マーケットに売り込むべきなのである。ロシアにとって、通常兵器は石油とならぶ重要な輸出産品である。ただこの時気をつけなければならないことは、この輸出が特定の利益集団を利するだけのものに終わらず、国民経済全体を向上させるように注意を払わねばならないところだろう。
以上、思いつく限りロシアに対する処方箋をあれこれと書いてみたが、事実として何ひとつうまく行っていないところを見ると、問題は想像以上に深刻であることが推察できる。すなわち70年にわたるロシアの共産主義がそれだけ現代において問題を抱えていたと捉える事が出来るだろう。この危機の背景に、ロシアの伝統的な生地といったものがどれだけ存在するのかは私にはわからない。しかし、少なくとも共産主義により破壊された部分が少なくなかったことは確かだと思う。社会主義は二十世紀に何を残したのか。その答えは、来世紀には共産主義を試してはならない教訓を実例として残してくれたことであろうと思う。