有名な性転換者 2
Post Operation Transsexual

Last Update 2001/4/22
Release 1999/10/25

ワルトラウス・シッフェルス
Waltraud Schiffels
旧名:ワルター・・シッフェルス。ドイツの性転換コンサルタント。哲学博士。ザールブリュケン市民大学文化部門担当部長。1944年ドイツ・ザールブルッケン生まれ。ドイツ文学、哲学を学び、マスター・オブ・アーツおよび哲学博士号を取得した後、1988年に名前をワルターからワルトラウスに正式に改名。89〜90年に性転換手術を受ける。自らの経験をもとに性転換コンサルタントとして著作活動やマスコミでの講演でも活躍。著書「スカートをはいて」、「女になること」、共著「偽りの肉体・性転換のすべて」などがある。

銀座ローズ
17歳(昭和28年) 花嫁姿
昭和8年(1933年)北海道旭川生まれ。本名武藤隆夫、女性名、武藤真理。小学校の頃から女装を始め、米軍キャンプなどでショーダンサーとして出演。芸名は女性スパイとして有名な東京ローズをもじった。花登筺に目を付けられて大阪『OS劇場』でゲイボーイショーを行ったところ空前の人気。男性と結婚するために昭和35年国内で性転換手術を受け話題となる。以降ショーダンサーとして活躍、美輪明宏の舞台「黒蜥蜴」ではヌードの蝋人形役で出演、そのとき知り合った三島由紀夫のアドバイスで45年男性ボディービルを売り物にする「ヘラクレス」を開業。この店の閉業後はニューハーフショーパブ「銀座ローズ」を浅草に開業。

ジョージナ・バイヤー
Georgina Beyer
ニュージーランド、カータートン町町長。人種や性別などによる差別反対を重視する点では米国以上といわれるニュージーランドで、男から女へ性転換したことを隠さずに町長として活躍。先住民マオリでもある。ウェリントンの北東約百キロにある人口七千人のカータートンで1993年に町議会議員に当選後、95年から現職に就いた。「安い輸入品が増えて零細な地場の履物産業はやっていけなくなり、さらに福祉予算の削減で地域としては大幅な所得の減少となった。貧富の差は開き、改革から取り残された多くの人を見た」町長選挙では地域の新しい経済ビジョンを訴えた。地域の問題は単独で取り組むのではなく隣接する市町村と協力し、農牧業という伝統的な基幹産業に頼らず、ベンチャー企業の育成を主張した。ウェリントンで57年に生まれ、オークランドの高校を卒業後、女性として生きるようになった。性転換手術は84年に受けた。「小さいころから自分は男ではなく、女だと思っていた。男の子としてしつけられるのはつらかった」と振り返る。いったんは女優として成功したが、性転換の枠にはまった役しかもらえなくなり、限界を感じて90年カータートンに。政界入り前は職業学校で演劇を教えていた。

ミアン・ベイガー
Mianne Bagger
オーストラリアのアマチュア・ゴルフ選手
1967年デンマークに生まれる。8歳の時からゴルフを始め1979年オーストラリアに移住。92年性転換手術を受け男性から女性へ。全豪アマチュア女子ゴルフ協会が性転換選手の出場を認めため、99年6月サウスオーストラリア州女子アマチュア選手権に出場、優勝し話題となる。
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