<BGSOUND src="//www.oocities.org/witchm01/MIDI/ivegotta.mid">
1968年
8月3日

(山形県民会館での3日間の仕事を終え)夜10時ごろ家に着いた。
私はカサイさん
*1とは別に先に帰って来た。
ジュンコ
*2に電話したら、(8月)2日の日(つまりこの前日)
「ノッポ」
*3でサリー(タイガースのベース。現・岸部一徳)に会ったという。
いいなぁ。研二
(タイガースのジュリ〜)に会いたいよ〜〜〜
1970年
1969年
今、夜の10時26分。ニュートーキョー*4は、バンドの人がワンステージやったあと
「やらない」と言い出したので中止。もう、あのバンドはクビね。
エレクトーンの人、22歳。一番いい顔。 
-略- なにしろ言葉が通じないので
面白い
(外国人だったのか? 記憶なし)。バンドリーダーの人は困っていた。かわいそう。
今日、見知らぬ男の子が来て「君、S校
*5でしょ」という。話してみると卒業生だった。-略- 
それからバンドの手伝いをしてる子〈まぁボーヤのようなものだけど〉が
レコード一枚好きなのを上げるというので、ビージーズの「獄中の手紙」をもらった。
-略- お風呂からちょうど出ようとしたときトキジローからTEL。
彼の正体はオリーブのボーヤ。 
-略- 私と付き合いたいと言ったけど -略-
(ごめんなさいでした。ま、彼も誰でもよかったんだろうけどね)
でも元はといえば軽々しくTELなんて教えた私がバカだった。
なりゆきで教えちゃうなんて、なんてバカなことしたのかしら。
(そんなオーバーな・・・。電話番号教えたくらい大したことないっしょ) -略-
 
 
*4:ティーンズがゴーゴーの仕事で出ていた池袋・丸物デパート屋上のビアガーデン
 
 *5:私が通学していた学校

 
*1:一緒に劇団東少の児童劇に出ていた同じ東映児童演劇研修所所属の女の子。
 
 *2:タイガース追っかけ仲間。16歳。
 
 *3:サリーのおばさんがやっていたお店。

お昼過ぎに起床。たまのお休みだというのに何もしなかった。退屈で退屈で・・・。
TVもいいのないし。病院か歯医者に行くつもりだったが、億劫なのと怖いのとで行くのやめた。
タバコ、セブンスターを4〜5本吸ったかナ。もう煙を吸ってもあまりむせなくなった。
(不良を目指していた私は、高校生の分際で、なんとかかっこよくタバコを吸いたいと、密かに喫煙練習を
していたのでした。とにかく「悪ぶりたい」「大人の女に見られたい」という気持ちが強く、
子供扱いされたくないお年頃=子供でした。)
「夜のヒットスタジオ」西郷(輝彦)さんが出てた。
何か面白いことないかナー。
ホント、何もすることないっていうのもヤーね。レッスンしてた方がまだいいみたい。
1971年
とても退屈な日。お昼頃起きてからずっとダラダラ過ごした。ヒロ*6にLETTER書いた。
セブンティーン
*7に夕介*8出てた。ホントに暑くてイヤになっちゃう。 -略-
 
 
*6:仙台の小学校時代の親友・庄司博子さん(消息をご存知の方はメール下さい)

 *7:GSのグラビアがたくさん載っていた少女雑誌。

 *8:元オックス・田浦幸=夏夕介
BGMは、1969年
ビアガーデンのバンドボーイから
レコードをもらったらしい
「獄中の手紙」
1972年
-略- 東京駅にはちょうど1時ごろ着いた。(キャバレーの仕事で名古屋へ) -略-
「こだま」に乗り、席を3つ取ってからK
*9を探しに行ったら5号車に居たので呼んで来た。
(売れない歌手は自由席、しかもマネージャーはお留守番で自分達だけで地方キャバレー回り)
もう暑いのなんのってねぇ。私、そんなに汗っかきの方じゃないのに汗ビショビショだったもん。
名古屋に4:20PMごろ着き、迎えに来てくれた人に車でこの名ばかりのホテルに送ってもらった。
狭い部屋ねぇ。「優しい関係」
*10読み終えた。ご飯食べてから近くのお店にパンと牛乳なんかを買いに行った。
(ご飯食べたすぐあとでまたオヤツ?)7時前にもう迎えに来ちゃった。「美人座」と「明星」を
交互に各2ステージずつ。
(メンバー3人とも未成年だったのにキャバレー回りして良かったのか?) -略-
終わっておそば食べて帰って来た。
(また食べた!! 食べ盛りなお年頃?!)お風呂はまぁまぁ。
-略- 耳、大丈夫かしら。(数日前に自分でピアスの穴を開けたばかりだった。) -略- 
 
 
*9:ティーンズ、ハニーポピーズ時代から一緒のポテトチップスのメンバー。

 *10:この当時ハマっていたフランソワーズ・サガンの小説
 赤坂「ポテトクラブ」18:00入り
リッキー&960ポンドの仕事。いわゆる“ハコ”)
1973年
 仕事:広島チチヤス・パークにて「パンチ・パンチ・パンチ」(ラジオ番組?)
出演者:くず哲也、春日まち子、湯原昌幸ほか
1974年