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1968年
8月9日
前夜はタイガース追っかけ仲間追っかけ仲間10人くらいで日劇前で徹夜。
お昼頃帰って来た。
1971年
 
 *8:ティーンズ〜ハニーポピーズの所属事務所のボス兼ダンスの師匠・竹部董氏。

 *9:「マッチがたったの一本」という曲を歌っていた女性歌手。この当時22〜23歳。 

 *10:黒人ハーフの実力派演歌歌手。この当時20歳くらい。ステージでは「おんな道」など歌っていた。

 *11:ハニーポピーズ最年少16歳のメンバー

 *12:ティーンズ時代から一緒の、同い年のメンバー。プライベートでも一緒によく遊んだ。
 朝。先生*8からTELで、東京タワーで仕事だというので全然予定狂っちゃった。
(にしきのあきらさんが出演するCX−TV「ショッピング大作戦」という番組。司会は小野やすし、豊原ミツコ)
間に合いそうもなくなったので、池袋から高速通ってタクシーで行った。スタッフの人が、私のこと、
どこかで見たことあるとか言ってた。よく言われるナー。終わってからバスで渋谷に行って、一休みしてから
新宿に出て、タクシーで京王プラザに行った。
(これはポーラ化粧品主催の「にしきのあきらショー」)
早く行き過ぎちゃった。
京子ちゃん*9、ルミちゃん*10と一緒。ルミちゃん、今月いっぱいか、今年いっぱいで
やめるんだって。赤い、可愛い洋服着た女の子が来ていて、にしきのさんとスゴク仲良くベタベタしてたけど、
彼女かしら。
(それは、ない、ない) あれはクサイゾ。(いや、くさくない、くさくない)
(この女の子がどういう人かということは、翌日、にしきのさんから聞きました。)

帰り、Tちゃん
*11はデートらしかったので、K*12と2人、南口に近いサテン(当時は喫茶店のことを
「サテン」と言ってましたよね。)
に入り、1時間半ぐらい昔話をした。あの頃は楽しかったナー。
(10代の頃から懐古趣味だったのね〜。なんと後ろ向きな人生か、と思いきや、人からは「好奇心旺盛な
前向きの、元気いっぱいな人」「次々と新しいことに挑戦するエネルギッシュな人」と言われ続ける私。
実際、前へ前へ行く自分と、過去へドンドンもぐっていく自分とが現在の自分を引き裂いているような気がする。
過去と未来だけで、「今」の自分が置き去りにされてるような・・・)

 
1972年
 
 
*13:この当時ハマっていた、フランソワーズ・サガンの小説

 *14:ポテトチップスのメンバー・KとTちゃん
前日はキャバレーの仕事で鹿児島泊り。
朝6:30AMにコールしてもらい起床。 
-略- 6:30AMにTELが鳴ったときも一発で聞こえたし・・・
ウトウトとしか寝てなかったみたい。7時に降りてタクシーで
(西鹿児島)駅へ。急行だから堅い座席で
寝るに寝られず。それに冷房で寒くって。「熱い恋」
*13を読みながら、たまに眠ろうと努力したり。
そいで11:59AM
(何故にこうも時間が細かい?)に鳥訪〔とす〕(日記にはこう書いてあるが、もしかして
「鳥栖」の間違い?)
に着き、一度改札を出て近くのサテンに入り、私はサンドイッチとバナナジュース。
そいで1:00PM発の、また急行の堅い座席に座り長崎まで。3:45PMごろ着いた。
トモベさん
(興行スタッフ?)が迎えに来てくれていて、そのままこの真砂荘という旅館に来て
譜面だけ先に渡した。2人
*14はすぐどこかに行ってしまった。にわか雨が急に強く降り出したり、小降りに
なったりしていた。私はお化粧してから読書。食事、とってもおいしかった。おなか空いてたせいで。
-略- 7:30PMから「あの虹をつかもう」(どんな番組だったか、全く記憶なし)を見てたら(7時)40分には
迎えに来ちゃったのでテレビ見れなくなっちゃった。でも、楽屋にもTVあったから良かったど。
「十二番館」
(この日、出演したキャバレー)て、割といい雰囲気のお店で、お客さんもきちんとした人が
多かったので、割と乗って出来た。
 -略- 終わってからトモベさんが長崎の夜景を見せに、山に上ってくれた。
大してきれいとも思わなかったけど。帰って来て夜食のサンドイッチを食べてから、Tちゃんのあとお風呂に
入った。
(九州のキャバレー周りも)あと3日。東京に帰ったらまた楽しいことがたくさんありますように。
♪BGMは、
ハニーポピーズ時代のレパートリー
キープ・ミー・ハンギング・オン
1969年

 *1:ティーンズのメンバーが3人ずつ交代で出ていた池袋・丸物デパート屋上のビアガーデンのステージ。

 *2:元ティーンズ年長組の2人。この年長組(O、T子とリーダーのKちゃん)は、
    これより少し前にティーンズを脱退、スパイダクションへ。
朝レッスン(踊り)。しごかれたのなんのって。途中もう少しで貧血を起こすところ。
でもいつもみたいなモダン
(モダンバレー)のレッスンより私はクラシックの方が少し楽。
(クラシック・バレーは子供の頃すっと習っていたので慣れていた?) でもやっぱりしんどかったなぁ。
-略- ニュートーキョー*1は、OとT子*2が見に来て、バナナを差し入れしてくれた。 -略-
家に帰って来たら、Yくん
(オックスのボーヤ)からTELがあったということだった。何だろう? -略- (携帯電話がなかった当時は、電話といえば家に掛けるしかなく、
そのとき不在なら連絡の取りようもなかったですね。) 
1970年
 
 
*3:ティーンズ時代から一緒の、同い年のメンバー

 *4:この日、オックスが出演の銀座ACB

 *5:ちょうどこの1年位前に時々電話がかかってきて「付き合って」と言われたこともある、当時はオリーブに
    ついていたボーヤ。

 *6:ルックスが良かったオックスのボーヤ。

 *7:私とKが、一番よく話をしていた、オックスのボーヤ。
朝、7:05の列車で湯本の常磐ハワイアンセンターへ。「森田健作ショー」で、出演は私達と森田くんだけ。
司会は、うつみパットさん。 -略- 帰りの列車は、私とK
*3の前が森田くんとショウちゃん(バンドの人?)
途中、モデルだか新人女優だかの女の人が来て、森田くんとペチャクチャ。早口でうるさかった。
森田くんのこと、「健作」なんて気安く呼んじゃって、だいぶ親しいみたい。ショーケンが●田●●子と
付き合ってるとか言ってた。 
-略- 上野から有楽町まで山手線で行き、すぐタクシーで銀アシ*4に行ったが
もう閉まっていた。 
-略- いやにボーヤが多かった。楽器のとこでトキジロー*5が私をわかって、
「マミ」っていう名前まで覚えてた。帰るとき、Oくん
*6が「もう帰るの?」って言うから、振り向いて
手を振った。Yくん
*7は居なかった。 -略- 地下鉄の入口のところに5〜6人(オックスファンの)女の子が
居て、その中に私に似てる子も居た。
(この当時、東京都内に、少なくとも2〜3人は私にソックリな女の子が
存在していたらしい。)(私は顔がわからないように)
サングラスをかけたが、わかったらしく
なんかゴチャゴチャ言ってた。「スゴイがに股ね、やっぱり・・・」とかなんとか。
(とにかくファンの女の子達から睨まれることが多かった。) -略-