SUMMER 2004 夢見る魔女のニッポン滞在記-4 |
8月10日(火) 花火大会 今日は、娘と2人で鎌倉の親戚へ。鎌倉で生まれ、子供の頃は毎夏1ヶ月は暮らした私 の第二の故郷だ。もちろん現在も母方の親戚が大勢住んでいる。毎年8月10日は由比ヶ 浜の花火大会なので、それに合わせて来日の予定を組んだほど、私は花火が好きなのだ。 母は前日から鎌倉に行っていたので、私と娘だけでグズグズと出かけたため伯母の家に 着いたのは4時近くになっていた。もう91歳になる伯母は、顔を見る限り70代くらい にしか見えず、肌もきれい、髪型もお洒落で、言葉もハッキリ声も大きく、とてもボケて いるようには見えない。が、時々症状が出てわけのわからないことを口走るらしい。 伯父は90歳だが、足腰が弱り、もう10年近く病院暮らし、今では寝たきりになってい る。この伯父伯母の一人娘(私の従姉)は、私の姉のような存在で、今でも「ヨウコお姉 ちゃま」と呼んでいる。(因みにヨウコお姉ちゃまは今年62歳だが、40代にしか見え ない。子供が居ないせいだろうか?) そのうち私の別の従姉2人とその娘達、その娘の4歳の娘などが私達に会いに来て、女ば かりでワイワイしゃべっていると、ヨウコお姉ちゃまのご主人が帰宅。とても仲間に入れ ないらしく、2階へ避難(?)して行った。 で6時ごろ、そろそろ浜へ行きましょう、浜の屋台で売っているイカ焼きとか焼きそばと か綿飴とか、そういう物も食べたいし、と、私と娘だけ一足先に海へブラブラ。母が数時 間前に浜へ来て、場所取りのマットを敷いて名前を書いた紙を置いておいたというが、そ んな「ズル」が通用するのかなぁ・・・と、ちょっと心配しながら浜へ下りていくと、 砂まみれになったビーチマット発見。でもどうにか座れそう。ちょうど後ろに陣取ってい たオジサンが「あー。ちゃんと取っときましたよ、名前書いてあったもんで・・」とニコ ニコして言ってくれた。このオジサンは、なんと一人で花火を見に来ていて、手持ち無沙 汰らしく、私達や周りの人達にとてもフレンドリーに話しかけていた。そのうち「アタシ はね、鎌倉高校に行ってね、それで早稲田に行って・・・」とか「アタシはね、花火が大 好きでね、毎年来てるんですよ」とか「アタシはね、67歳なんだけどもね、稲村ヶ崎に 住んでて・・・・」などと、色々自己紹介していた。花火が始まる予定の7時少し前には 母も来て、その頃には歩ける場所がないほど人、人、人・・・。で、いよいよ開始。 (この日の鎌倉花火大会のページ・この日の水中花火動画のページ) いやぁ、花火大会は何年ぶりだろう、私がいちいち「あ、ママ今の好き」「わぁ、きれい あのキラキラ降ってくるのが一番好き」「わぁ、大きい!!」などと感想を口走る(?) ので、段々と娘の相槌もおざなりになってきた。珍しかったのはニコニコマークの花火。 中々顔がまっすぐには見えず、ほぼまっすぐ真正面のニコニコマークに見えると会場から 一斉に歓声があがる。ハタチそこそこのツッパリ兄ちゃん風のグループも「ウォー!」と 喜んでいた。最後に派手派手しい連発があり、あ〜あ終わっちゃった〜。帰りは、人波に 揉まれながら徒歩5分で伯母の家へ戻り、ビーチマットを置いてから長谷駅前の100円 ショップへ。いまや私にとって日本帰国は海外旅行気分、見るものすべて物珍しく、欲し くなる。アメリカでも日系マーケットで多くの日本製品を売っているが、やはり日本に来 てみると、アメリカでは見かけない物がなんと多いことか。飲み物とかお菓子とか・・。 夜は娘と2人、2階の一部屋でお布団を並べて敷いて、クーラーを付けっ放しで寝た。 それにしても花火は人の気持ちを切なくさせるなぁ・・・。私達の後ろで一人で見ていた オジサンも、切ない気持ちになっていたんだろうか・・・・ |
8月11日(水)前編 故郷・鎌倉 遅めの朝食のあと、長谷駅前から娘と2人で人力車初体験。伯父のお見舞いに病院へ行く ので、それなら人力車で行きましょう、ということになったのだ。私達が乗ったリキシャ の俥夫は、ケンタロウという名の、23歳の若者だった。ケンタロウは北海道出身で、 大学卒業後、この仕事に就いたとの事。走るルートは決まっているらしく、伯父の入院し ている病院近くの大仏まで色々と裏道を通って、要所要所で観光案内をしてくれる。 旧川端康成邸や、川端康成がお散歩した道だとか、数え切れないほど何十年にも渡って 鎌倉に来ているこの私がまったく存在を知らなかった(恥)鎌倉最古のお寺とか・・・。 そのお寺の前では、人力車に乗っている私達母娘の写真を撮ってくれたり(アラ〜それじ ゃあケンタロウが写らないわねぇ・・・と不服そうなマジョリーに呆れる娘!) きっと、そういう知識もすべてケンタロウが研修で頑張って覚えたのだろうなぁ、アリガ トウ、一生懸命走ってくれて。 で、大仏近くで人力車を降りた私達は、病院へ。伯父に会うのは2年ぶり。顔色も良く、 それほど弱ったようには見えないが、やはり90歳は本物の老人だ。もう何年も寝たきり になっている。もうリハビリすら出来なくなってしまった。私は「毎日、先生は診てくれ るの?」とか「今、人力車に乗って来たのよ。」とか・・・。せっかく来たのだから少し でも伯父と話をしたい、という気持ちと、沈黙が耐えられなかったということもあり、と にかく話題を見つけては伯父に話しかけ続けた。伯父は薄っすらとした笑顔で、小さな声 で私の話に答えたりアイヅチを打っていたが、もう歩けなくなったと言うので、私がつい 「一日中ベッドの上じゃあ退屈だねぇ。でもテレビがあるから良かったネ。」と言うと、 「そう、色々見てる」と言って微笑んだまま「もうこうやって毎日死ぬのを待ってるだけ だもんなぁ・・・」と・・・。私は涙を堪えるのが精一杯で冗談を返せず、何も言葉が出 なかった。ちょうどお昼ご飯が運ばれて来たので、半身を起こした伯父と一緒に写真を撮 った。伯父は、弱々しいながらも、まだ自分でスプーンやフォークを使って食べることが 出来る。私が手伝おうとしたり、食べさせてあげようとしても「大丈夫、大丈夫」と言っ て、自分でやるのだ。どんなにユックリでも、思うように食べられなくても、自分でやる と言う。「お前の助けは要らねぇヨ。」と口では言わなくても、“俺はそこまでジジィ じゃねぇよ”という、伯父の男としてのプライドが感じられて、嬉しくもあり、たった 一片のお豆腐をスプーンで掬うのさえままならない伯父の姿が悲しくもあった。 そして後ろ髪を引かれる思いで病室を後にしたのだ。エレベーターを待ちながら、もう これが最後かもしれない、もう2度と会えないかも知れないと思い、泣いてしまいそうだ った。「また来るからね、元気でね。」と私が言った言葉を、伯父はどんな気持ちで聞い ただろうか。 後編につづく・・・・ |
8月11日(水)後編 ミニ・オフ会 鎌倉から一度東京に戻ってから出直し、某有名サイト管理人様が私の帰国に合わせて日程 を組んで下さったミニ・オフ会へ。せっかくのチャンスだというのに、予定の時刻よりも 大幅に遅れて到着し、本当に申し訳なかったです。出席者は管理人様M氏ほかYさん、S さん、Gさん、Oさんという4人の女性達。今回初めてお目にかかったSさんは、とても お若く、お肌の張りに見とれてしまった。いいわねぇ、若くて・・・でもなんでタイガー ス? なんでジュリー? だって貴方の生まれる前でしょう・・・、などと思いつつ、と にかく皆さんをお待たせしてしまった申し訳なさから(?)やたらしゃべりまくる私。 しかもオフレコの話ばかりでしたっけ? 昔々、タイガース追っかけ少女だった頃のエピ ソードも色々、まぁ、ミーハーなくだらない話なのですが、実際の体験談だということで 皆さん、興味深く(というか、私のシャベリマクリに圧倒されて?)聞き入って下さいま した。で、途中でOさんだけは帰られ、私達はそろそろ場所変えということで、階下のレ ストランへ移動。そこにはM氏の幼馴染でもあり、一時一緒に音楽イベントの企画なども やっていたW氏が待っていました。W氏とは2年前のタイガース・オフ会でもお会いしま したが、こうして面と向って色々お話しするのは今回が初めて。W氏は昔、某バンドの マネージャーもやっていらっしゃったとか。M氏、W氏、お二人の話はとても興味深く、 面白かったにもかかわらず、今となっては何を話したのか思い出せることはごくわずか。 ま、やっぱりオフレコの話が多かったということで、忘れてしまった方がいいのかな。 (と言い訳せざるを得ない、テヘヘ・・汗)食事をしながら夜遅くまでM氏のお話は今後 の企画も含め大いに期待が持てそう。っていうか期待してます! 本当に、色々な意味で 直接会ってお話し出来たのが良かったです。しかもお土産がすごかった! どこにも売っ てない超お宝音源CDをなんと4枚も!! その中には私が実際現場に居たときのものも あり、36年ぶりに聞いた某テレビ番組のテーマソングまで!M氏には本当に感謝です。 Mさん、アリガトウ!! そしてインターネットの時代にもアリガトウ!! |