8年ぶり自宅に戻ったロバート・キムさん 「母国のためにしたこと…後悔していない」
朝鮮日報 2004/06/02
19:32

8年ぶりの帰還だった。
1日午前9時、米バージニア州・アシュバーン(Ashburn)の自宅に戻ってきたロバート・キム(64/韓国名キム・チェゴン)さんは、刑務所で8年間を過ごした人には見えない温和で明るい表情を見せた。
「働き盛りの時期に8年間も刑務所にいたので、多くのものを失いました。しかし家族の愛を再確認し、韓国の人々の熱い愛情を受けました。私は祝福された人間です。同胞に深い感謝を捧げます」
キムさんは今年7月27日の刑期満了まで模範囚として家宅収監生活し、さらに3年間保護観察を受ける。キムさんが刑務所から出た最初の日、夫人のチャン・ミョンヒ(61)さんと息子のジョンユン(33)さん、嫁のエレンさん、2人の孫娘がキムさんを迎えた。
キムさんは嫁が真心込めて用意したカルビとチャプチェ(春雨と肉、野菜の炒め物)、ピンデトック(韓国風お好み焼き)などが並べられた食卓に座った。夫人のチャンさんが「こんな素晴らしい日を授けてくださり感謝します」と祈りの言葉を捧げた。
夕食を取る1時間半の間、幾度も電話がかかり、キムさんは受話器に向かって「ありがとうございます」を連発した。
−母国(韓国)の役に立とうとして8年間もの歳月を刑務所で送ることになりましたが、無念な思いもあるのではないでしょうか。
「私が韓国のために働いたからではなく、米国の法を違反したため、法に従い処罰を受けたのです。また、1973年に市民権を得る際、これまで母国に捧げてきた忠誠を今後は米国に捧げることを誓いました。その宣誓も破ったことになります。もちろん、一罰百戒(1人を重く処罰することで多くの人を戒めること)の性格もあります。外国人が市民権を得る時にした約束を守らなければどうなるかを見せたのです」
−あまりに大きな代償を支払いましたが、後悔されたことはありますか。
「私がしたことを後悔はしません。その時、連邦捜査局(FBI)捜査官に『なぜ韓国のためにそんなことをしたのか』と聞かれたので『韓国と米国がサッカーの試合をすれば私は当然韓国を応援します』と答えました。この事件を経て、更に“濃く”韓国人になりました。書類上は米国人だけれど心は韓国人です」
−当時、国家機密を教えたペク・ドンイル大領(当時、駐米韓国大使館武官)には会いましたか。
「今朝、9年ぶりに電話で話しました。ペク大領は涙に言葉を詰まらせました。私も涙が止まらなくて困りましたね。人生というのは、自分の思い通りにはいかないものです。彼も私欲のためにやったことでもないのに、その後ずいぶん苦労したので気の毒です。ペク大領に会ってみたいです」
−収監期間の中で一番苦しかった時は?
「父(キム・サンヨンさん/今年2月に死去)が亡くなった時ですね。父の危篤の知らせを受け、裁判長に韓国に行かせてほしいと手紙を書きましたが、費用と手続きの問題などが複雑だといわれ、結局行けませんでした。2001年に車椅子に乗って面会に来た父は、『元気でな。待っているから』と言いました。それなのに…(キムさんは喉を詰まらせて言葉を失ってしまった)」
−他にも辛いことが多かったでしょう。
「看守や囚人の言葉が荒くていやな思いをしましたが、友だちも多くできました。昼にはウィンチェスター刑務所近くの韓国人が営むクリーニング屋で働きましたが、韓国語でしゃべり、韓国のニュースも聞けたのでよかったです。後で看守が『あなたをみていると、なぜここに連れてこられたか納得できない』と言いました」
−韓国のためにやっただけに、韓国政府に不満もあるでしょう。
「韓国政府が私を助けるのが嫌で助けてくれなかったのではなく、助けたくてもどうしようもなかったことは理解しています。しかし、韓国の方々から本当に大きな愛と支援をもらいました。それは何ものにもかえることのできない大事なものです」
−どのように支援されましたか。
「後援会のイ・ウンジン(株)ソンウ会長をはじめ、会員の方々から心理的かつ経済的に多大な支援を受けました。匿名で小切手を送ってくださった方もいました。手紙も多くいただきました。韓国人の情は特別だとつくづく思いました」
−8年ぶりに見る世の中はどうですか。ずいぶん変わりましたか。
「技術が発達して、本当に多くのことが変わっていますね。私はインターネットが何かも知らないし、携帯電話にも慣れないんです。道には車が溢れていますしね…」
−米国社会に対する考えも変わりましたか。
「米国は国家の綱紀を正すために、恐ろしいほどまでに厳しく法を適用する国だということを改めて思い知らされました。法治国家である米国では法を順守して生きなければならない、自分のしたことについては責任を持たなければならないということも学びましたね」
「法律があっても必ずしも守らなくてもいいのではないかという、ある意味、いい加減だった私の韓国式考え方が私の心のどこかにあったかも知れませんね。私がもっと慎重になるべきだったのですが、純真すぎたのかも知れません」
−ご家族の方も苦労なさったことでしょう。
「逮捕された日、連邦捜査官30人余が押し掛け、家の中をひっくり返し、家の外には数十台のカメラが待ち構えていたのですからね。子どもたちが大きなショックを受けたはずです。何よりも、妻が本当に苦労しました」
−韓国にはいつ行かれる予定ですか。
「今すぐにでも行きたいところですが、連邦政府が許可してくれるかどうか、分かりませんね」
明日から何をするつもりかと聞くと、彼は「そうですね。明日からは家の掃除でも始めてみましょうかね」と言って笑った。
キムさんは「まだ完全な自由ではないので、あまりやることがない」としながら、足首に付けられた電子製の足輪を見せてくれた。スポーツ時計のように見えるそれは、彼の動きを遠隔で追跡する装置だ。
今年7月27日、公式に仮釈放されるまで、彼は家を出る時は連邦政府の許可を受けなければならない。
家を訪れる訪問客と会うことができ、電話や手紙の交換もできる。しかし、保護観察期間中もバージニア州の境界を離れる時は許可が必要だ。
バージニア=姜仁仙(カン・インソン)特派員insun@chosun.com
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