犯罪者でも愛国者

ロバート・キム − 韓国系アメリカ人によるスパイ事件

 米海軍情報局に勤務していた韓国系アメリカ人ロバート・キム氏が、機密情報を韓国側に漏らしたスパイ事件。
朝鮮日報では、このスパイを愛国者として讃えています。
キム氏も悪びれる様子もなく、祖国のためにしたことと誇らしげにインタビューに答えています。

 日本人なら、アメリカの国籍を取得したなら、もはや日本人でなくアメリカ人であり、アメリカ人として行動すべきと考えるのではないでしょか?
第二次大戦でも、アメリカ軍に参加した日系人はいましたが、アメリカ人として当然あるいは仕方の無いこととして、売国奴などと非難する日本人はいないはずです。

 韓国人は日本人と違い、どの国の国民になっても、祖国である韓国への愛国心を持ち続ける傾向があるのかもしれません。
このスパイ事件のせいで、韓国系のアメリカにおける信頼は落ちたはずです。
韓国系アメリカ人が、国家機密に関わる重要な役職に就くのが難しくなります。

 日本にも、日本国籍を持つ韓国・朝鮮系日本人、日本国籍を持たない韓国・朝鮮人が多くいます。
日本人と韓国人の考え方が根本的に異なるということを、日本人は知っておく必要があるのかもしれません。

「ロバート・キム事件」とは?

朝鮮日報 2004/06/02 18:33

 「ロバート・キム事件」は8年前の1996年まで遡る。

 その年の9月24日、当時、米海軍の情報局に勤務していたロバート・キムさんはスパイ容疑で米連邦捜査局(FBI)に逮捕された。駐米韓国大使館の海軍武官だったペク・トンイル大領に米国の“国家機密”を漏らしたということだった。

 キムさんが伝達した情報は主に北朝鮮関連の高級情報だった。

 キムさんは翌年7月、米国の裁判所で「スパイ陰謀罪」などで懲役9年に3年の保護観察が宣告され、連邦刑務所に服役してきたが、昨年、7年6カ月に減刑された。来月27日に満期出所をひかえている。

 キムさんの行為は母国の韓国の立場からは愛国的行動と見ることができるが、米国の立場からは国家機密を不法流出した重犯だった。韓国ではキムさんの後援会が結成されるなど、救命運動も活発に繰り広げられたが、政府はこの事件に一切介入しなかった。

ロバート・キムさんは誰か?

朝鮮日報 2004/06/02 18:33

 ロバート・キム(64/韓国名キム・チェゴン)さんは韓国で生まれ育ち、軍服務まで終えた韓国人であるが、同時に米国市民権も持っている。

 全羅(チョンラ)南道・麗水(ヨス)出身で、京畿(キョンギ)高校と漢陽(ハニャン)大学を卒業した後、24歳で米国のパデュー大学院に留学した。4年後、キムさんは宇宙科学研究員としてアメリカ航空宇宙局(NASA)に就職、米国の市民権も得た。

 続いて1978年から軍事機密を扱う情報分析官として米海軍情報局に勤務することになった。職名は「コンピューター情報分析官」だった。

 「ロバート・キム後援会」によると、キムさんは海軍情報局の職員1200人余の中で唯一のアジア系であり、逮捕される前までの19年間、海軍情報局でその能力を認められ、たくさんの賞を受賞し、昇進もしたという。

 第8、9代の国会議員をしていた金尚栄(キム・サンヨン)前韓国銀行副総裁の長男で、弟のキム・ソンゴン氏は第15代国会議員だった。

社説 ロバート・キムさんに「祖国」を取り戻させるべき

朝鮮日報 2004/06/02 20:51

 ロバート・キム(韓国名キム・チェゴン)さんが7年ぶりに米国の刑務所から出所した。2カ月間の家宅収監生活を終えれば自由の身になる。キムさんが米海軍情報局に勤務していた1996年9月、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の潜水艦が江陵(カンヌン)の沿海に侵入する事件が発生した。キムさんはこの時、軍事機密を韓国大使館に漏らした疑いで逮捕され、服役してきた。

 ロバート・キムさんの釈放は喜ばしいニュースではあるが、その一方では大韓民国という国に限りない羞恥を感じさせる。キムさんが祖国のためにスパイ罪を負い収監されている間、祖国はキムさんのために果たして何をしたのか。韓国政府はこの事件を「米国人が米国内で米国の法を違反した事件」と規定し、両国政府レベルの問題に拡大することだけを懸念した。「私は祖国に捨てられた“みにくいアヒルの子”ですか」というキムさんの悲しい訴えは無視された。

 同じような事件でイスラエルは、当事者にイスラエル国籍を与え、首相が代わる度に米国の大統領に釈放を要求するのが慣例のようになっている。米国政府が米国法によって機密漏えい者を処罰することが当然であるなら、祖国のために危険を顧みなかった人のために祖国が最善を尽くすのは当然のことだ。しかし政府はそうしなかった。

 政権が3回も変わる間、政府を代表するだけの人物がキムさんに慰めの手紙を送ったという話もない。投獄される前、年俸10万ドル以上を受け取っていたキムさんは、現在では夫人が雑用などの仕事をしなければならないほど、経済的に厳しい状態に陥っている。また、スパイ罪という前科のために年金も受け取れない立場だ。

 今からでもキムさんが祖国の存在を感じることができるよう、政府と民間が積極的に取り組まなければならない。祖国を愛する同胞がその見返りとして自由を失い、貧困に陥り、寂しさで挫折しなければならないとすれば、それはまともな国とはいえない。

8年ぶり自宅に戻ったロバート・キムさん 「母国のためにしたこと…後悔していない」

朝鮮日報  2004/06/02 19:32

 8年ぶりの帰還だった。

 1日午前9時、米バージニア州・アシュバーン(Ashburn)の自宅に戻ってきたロバート・キム(64/韓国名キム・チェゴン)さんは、刑務所で8年間を過ごした人には見えない温和で明るい表情を見せた。

 「働き盛りの時期に8年間も刑務所にいたので、多くのものを失いました。しかし家族の愛を再確認し、韓国の人々の熱い愛情を受けました。私は祝福された人間です。同胞に深い感謝を捧げます」

 キムさんは今年7月27日の刑期満了まで模範囚として家宅収監生活し、さらに3年間保護観察を受ける。キムさんが刑務所から出た最初の日、夫人のチャン・ミョンヒ(61)さんと息子のジョンユン(33)さん、嫁のエレンさん、2人の孫娘がキムさんを迎えた。

 キムさんは嫁が真心込めて用意したカルビとチャプチェ(春雨と肉、野菜の炒め物)、ピンデトック(韓国風お好み焼き)などが並べられた食卓に座った。夫人のチャンさんが「こんな素晴らしい日を授けてくださり感謝します」と祈りの言葉を捧げた。

 夕食を取る1時間半の間、幾度も電話がかかり、キムさんは受話器に向かって「ありがとうございます」を連発した。

−母国(韓国)の役に立とうとして8年間もの歳月を刑務所で送ることになりましたが、無念な思いもあるのではないでしょうか。

 「私が韓国のために働いたからではなく、米国の法を違反したため、法に従い処罰を受けたのです。また、1973年に市民権を得る際、これまで母国に捧げてきた忠誠を今後は米国に捧げることを誓いました。その宣誓も破ったことになります。もちろん、一罰百戒(1人を重く処罰することで多くの人を戒めること)の性格もあります。外国人が市民権を得る時にした約束を守らなければどうなるかを見せたのです」

−あまりに大きな代償を支払いましたが、後悔されたことはありますか。

 「私がしたことを後悔はしません。その時、連邦捜査局(FBI)捜査官に『なぜ韓国のためにそんなことをしたのか』と聞かれたので『韓国と米国がサッカーの試合をすれば私は当然韓国を応援します』と答えました。この事件を経て、更に“濃く”韓国人になりました。書類上は米国人だけれど心は韓国人です」

−当時、国家機密を教えたペク・ドンイル大領(当時、駐米韓国大使館武官)には会いましたか。

 「今朝、9年ぶりに電話で話しました。ペク大領は涙に言葉を詰まらせました。私も涙が止まらなくて困りましたね。人生というのは、自分の思い通りにはいかないものです。彼も私欲のためにやったことでもないのに、その後ずいぶん苦労したので気の毒です。ペク大領に会ってみたいです」

−収監期間の中で一番苦しかった時は?

 「父(キム・サンヨンさん/今年2月に死去)が亡くなった時ですね。父の危篤の知らせを受け、裁判長に韓国に行かせてほしいと手紙を書きましたが、費用と手続きの問題などが複雑だといわれ、結局行けませんでした。2001年に車椅子に乗って面会に来た父は、『元気でな。待っているから』と言いました。それなのに…(キムさんは喉を詰まらせて言葉を失ってしまった)」

−他にも辛いことが多かったでしょう。

 「看守や囚人の言葉が荒くていやな思いをしましたが、友だちも多くできました。昼にはウィンチェスター刑務所近くの韓国人が営むクリーニング屋で働きましたが、韓国語でしゃべり、韓国のニュースも聞けたのでよかったです。後で看守が『あなたをみていると、なぜここに連れてこられたか納得できない』と言いました」

−韓国のためにやっただけに、韓国政府に不満もあるでしょう。

 「韓国政府が私を助けるのが嫌で助けてくれなかったのではなく、助けたくてもどうしようもなかったことは理解しています。しかし、韓国の方々から本当に大きな愛と支援をもらいました。それは何ものにもかえることのできない大事なものです」

−どのように支援されましたか。

 「後援会のイ・ウンジン(株)ソンウ会長をはじめ、会員の方々から心理的かつ経済的に多大な支援を受けました。匿名で小切手を送ってくださった方もいました。手紙も多くいただきました。韓国人の情は特別だとつくづく思いました」

−8年ぶりに見る世の中はどうですか。ずいぶん変わりましたか。

 「技術が発達して、本当に多くのことが変わっていますね。私はインターネットが何かも知らないし、携帯電話にも慣れないんです。道には車が溢れていますしね…」

−米国社会に対する考えも変わりましたか。

 「米国は国家の綱紀を正すために、恐ろしいほどまでに厳しく法を適用する国だということを改めて思い知らされました。法治国家である米国では法を順守して生きなければならない、自分のしたことについては責任を持たなければならないということも学びましたね」
 
 「法律があっても必ずしも守らなくてもいいのではないかという、ある意味、いい加減だった私の韓国式考え方が私の心のどこかにあったかも知れませんね。私がもっと慎重になるべきだったのですが、純真すぎたのかも知れません」

−ご家族の方も苦労なさったことでしょう。

 「逮捕された日、連邦捜査官30人余が押し掛け、家の中をひっくり返し、家の外には数十台のカメラが待ち構えていたのですからね。子どもたちが大きなショックを受けたはずです。何よりも、妻が本当に苦労しました」

−韓国にはいつ行かれる予定ですか。

 「今すぐにでも行きたいところですが、連邦政府が許可してくれるかどうか、分かりませんね」

 明日から何をするつもりかと聞くと、彼は「そうですね。明日からは家の掃除でも始めてみましょうかね」と言って笑った。

 キムさんは「まだ完全な自由ではないので、あまりやることがない」としながら、足首に付けられた電子製の足輪を見せてくれた。スポーツ時計のように見えるそれは、彼の動きを遠隔で追跡する装置だ。

 今年7月27日、公式に仮釈放されるまで、彼は家を出る時は連邦政府の許可を受けなければならない。

 家を訪れる訪問客と会うことができ、電話や手紙の交換もできる。しかし、保護観察期間中もバージニア州の境界を離れる時は許可が必要だ。

バージニア=姜仁仙(カン・インソン)特派員insun@chosun.com