01/30/2003 「バイトのすすめ」

バイトを高校2年の時から始めて早?年。今では日本に帰る度にバイトに明け暮れ、またまた面白そうなバイトを探しているところ。ほとんどバイトは趣味でやっているのも事実で、なんでこんなにはまってしまったのかと言うと、高校2年のある日何気なくテレビを見てたら(番組名は忘れたが)、フジテレビのKアナウンサ〜が出ていた。その番組はその番組出演者の昔の映像を出していたわけだが、そこにKアナも登場!!どうやらその映像はフジテレビ入社の面接の映像だったらしくてまだ若いっ.。(!?)そこで言っていた一言に洗脳され、バイトを始めようと思った、しかも色々なバイトを...その一言は「私は学生時代OO種のバイトをやってきました。そこで得た知識と経験を生かしてこの会社で頑張っていこうと思ってます。」やっぱりフジテレビのアナウンサ〜になるくらいだから相当努力したと思ったわけで、「やっぱ違うなっ!!もしかしたらオレも同じようなことをやったらいい人生歩めるかもしれないっ!!」って単細胞なオレは洗脳され、そこから本気でアルバイトをやってみようと思った。実はその時かなり自分でも自信を失いかけていて、ほぼ鬱状態だった。高校はもちろん友達と遊んでてもつまらなかった。何をするのにも投げやりだったと思う。軽い対人恐怖症だったかもしれないし...



まずは夏休みを使って高校の友達とバイトをすることになった。時給も東京の方が格段にいいし、友達2人は東京、埼玉だったため中間をとって東京でバイトをすることに。いざ募集雑誌を見ても高卒以上ってとこがやたら多くてやっと見つけたのが清掃業!!早速電話してみると「履歴書を持って当社までお越しください。」まだ決またわけでもないのにウキウキしながら面接へ。その面接官(おばちゃん!?おばちゃんだと思っていたが28だった...)はもの凄いいい人で、めちゃめちゃノリがいいっ!!普通にこっちが年下なもんだから面接中下ネタをふってきて困惑したのもあったが、あっさり雇ってくれることになった。この時、単車を買おうとしていたオレは地元でもう一つ面接に行って契約成立!!夏休みでヒマだったのでいきなり初めて掛け持ちで挑戦することになった。一つは力仕事で2つ掛け持ちするのには体がもたないと思い、すぐ辞めてしまったが、もう一つは楽しくできた。掃除のバイトは夏学校、会社が休みの時を利用してフロア〜のワックスを取り、綺麗に磨き、またワックスをかけるというもの。仕事的にはハ〜ドだったのかもしれないが、そこで知り合った仲間にも救われ日に日にバイトに行くのが楽しみであった。さらに上司の人が本当にいい人でいつも職場は笑いばかり起こっていた。(ちゃんと仕事はしました。)もちろんのことこっちからふっかけて(おごってもらう気満々!!)仕事が終わった後は飲み会をするんだけど、居酒屋の後は、その例のおばちゃん(!?)+若い事務のおねえたまも含めてカラオケ、はたまた居酒屋へと...何軒はしごしたか分からない時もあった。一生懸命やったせいもあってか夏休みが終わっても、大学受験が近づこうとも「働いてくれないかっ!?」と言われ来る日も来る日もバイトを続けていた。(実は高校3年の時は遅刻ばっかしてあと5回休んだら留年だった...あぶない、あぶないっ!!)結局そのせいもあって大学受験に失敗したが、あとで考えると当然だと思うし、バイトをやったことに全く後悔はなかった。親としてはどうしても大学に行かせたかったようで予備校を勧められたが、別に自分はどうでもいいと思った。実は中学時代くらいからトラックの運チャンになるのが夢で、その夢に向かって行こうとしたのだがあえなく予備校生活へと。やっぱり学生とは言いながらも少しでも社会というものを見れば自分の考えがいかにしょうもないものかと思えてくる。「そろそろ親孝行せなアカンなぁ〜。」と思い大学進学をかけて勉強することにした。自然とその時はバイトはしなくて勉強に没頭することができた。

2.

そして留学することになり日本ともおさらば!!アメリカではバイトは難しいと聞いていたので自分の気持ちを抑えて勉強に専念するものの、日本の大学に行けば勉強そっちのけでバイトばっかやってただろうと思うと少し葛藤があったわけなのだが留学は自分で決めたことなので頑張ることにした。バイトするのは無事卒業できたらにしようと思ったが、それもことごとく崩れていく。なぜならアメリカで生活するには絶対車が必要だと思い、とりあえず1ヶ月の間冬日本に帰ってバイトをして車を買って、旅行に行きまくろうと思った。でもさすがに期間が短すぎたせいか雇ってくれるとこはナシ!!日本の友達はまだ学校だから遊んでくれる人もいないし...そんなヒマな生活をしていてちょっと腐りかけてたところにおいしい話が転がり込んできた。なかなか働き口が見つからないオレを見ていたうちのおかんが働いてる会社の社長に「うちの息子をこき使ってやってください!!」と言ってくれたらしくて契約成立!!親のメンツもかけて毎日のように働き、11時頃まで残業したわけだが、今となってみればどこかにやるせない気持ちがあったのかもしれない。それはやっぱり自分自身で契約がとれなかったことだろう。働きながらも実はかなり悔しい想いでいっぱいだった。(一ヶ月だからしょうがなかったと言えばしょうがなかったが...)とてもとても一ヶ月働いただけでは車など買えるはずもなく、その歳の夏にまた挑戦することにした。

3.

夏休みは約3ヶ月半あって、日本の学生も学校だしすぐ決まると思っていたがその考えが甘すぎた。実は5月というのはあまりバイトを募集していなくて、期間も6ヶ月、1年、長期限定などこっちにとっては不利であった。そこで下等生物だったオレは114番に電話をして地元にある知ってるところに電話をしまくって狂ったように履歴書を書いた。この時は50枚くらい書いただろうか...実際知らなかった店には履歴書持参で乗り込み契約をとろうとしたり。(自爆!?)やっぱそこまでしてやった甲斐もあってちょっと遅れてバイトをすることになった。なぜ東京より安い時給なのに地元でやろうとしたかは東京まで行くと移動時間がかかってしまい、次のバイトにすんなりと入れないわけで、かえってお金が稼げなくなるしね。だったらギッチリバイトの予定を詰めてできるだけ多くの時間働くことの方がいいのではと思い。でも働いてみればこっちのもんで毎日のようにバイト生活!!やっぱ好きな事はいくらでもできるねっ!!ヒマな生活が嫌いなオレはかなり無茶を言って上司の人に頼み込み、楽しい毎日(!?)を送れたわけです、もちろん遊びつつね。でも人間時間を作ろうと思えばいくらでも作れるもので朝から夜遅くまでバイトをして、友達がヒマなら日付が変わったAM2時くらいから遊び始めたりとかで充実したものになったのは確かだろう。もちろん友達と会うとどうしても飲みに行っちゃうので、次の日はグロッキ〜!!それでも気力だけでその日を乗り切ることもまだあの若い時代(!?)はできたことで今はもうさすがに無理かもね。(社会人としたら失格!!)今回こそは車をなにがなんでも買おうとしていたので、そのためにどうしようかと考えた結論!!またまたバカなオレは「お金を使う時間を増やさない!!」と瞬時に思いつき早速実行してみると...これがうまいことお金が減らないのである。もちろん飲みに行ったりもするがその時はおじちゃん、おばちゃん連中に勝手に加わり、年寄りのくだらない話を聞きながらその人のご機嫌をとり、向こうが気分のいい時に会計を済ませる。(もちろんおごり!!)働いたところも雰囲気がよくて居心地もいいし、休みなしで働いてたおかげで信頼も得れたし、また今度帰ってくる時は雇ってくれるようなことを言われた。やっぱりそう言われると嬉しいもので、変な欲が出てますます次は頑張ろうとも思えるしね。

4.(まだまだ続きます...)

その来年の夏は見切りをつけたバイトもあるが、また頼み込んで働けるようになったとこもあった。前から一度やってみたかったパチ屋でバイトすることが決まっておおはしゃぎ!!他のバイトと比べると格段に時給がいいしね。その分仕事はきつかったが、毎日が楽しみだった。重いドル箱を負けず嫌いなオレは社員が3ついっぺんに運ぶ姿を見て、それに対抗して5箱に挑戦!!!昔鍛えていたせいもあってかなんなく片付けることができた。お客さんからは「ちっちぇ〜のによく運べんなっ!!」とか言われて能がないオレはかなりうかれていた。(店長にこっぴどく叱られ、4箱に!!それでも5箱に挑戦してて店長を納得させた。)もちろん掛け持ちでやったので、体力を使い、笑顔が必要とされる接客業で働きすぎたオレは体の調子を訴え、胃カメラを飲むことに。もちろんのこと朝一で行ってとっとと診てもらってバイトに行こうとしたはいいものの麻酔が切れて体が動かない状態になり、それでも休みたくはなかったので無理やり行ってみると途中でめまいがしてぶっ倒れ、車にひかれる始末!それでも行こうとしたがバイト計画は長かったのでしかたなく夜の別のバイトから出ることになった。その時は言い表しようもないくらいの悔しさでいっぱいで思いっきり泣いた。自分の限界はこんなものだったのかと自分との闘いに幕が下りようとしているのを痛感したからである。実はその胃痛は神経的なもので、自分なりにはストレスを開放してきたつもりだがいつの間にか自分でも分からないストレスが蓄積され爆発した。こうなると自分の心の整理をつけるのが難しくなってくる。バイトは一時も休みたくなかったオレは自分から志願し、体の不調と闘いつつ、ストレスを半ば無理やり開放してきた。それはもちろん一緒に働いてたバイト、社員含め、社長のおかげであると今では痛感している。それも職場の雰囲気がよかったので、やっぱりバイトに行けば楽しいし、オレは無理やり楽しいことでごまかしていたような気がしないでもない。それにしても接客業とは難しいもので、かつ面白い。この世の中色々な人がいるんだなと分かる。理不尽な人とでもお客さん、お得いさんならば付き合っていかなければいけないし、相手が話の分かる人ではないので精神的にも疲れてくる。でもお客さんと話していくとドンドンお客さんの方も興味をもってくれてよくしてくれる。そういうお客さんがいるからこそ救われるのかもしれない。気前のいいにいちゃんはスロットで勝っていると上機嫌なので、それが気持ち悪かったりするが、時にはささいな配慮で店内にある飲み物を買ってきてくれて差し入れしてくれる。パチ屋ではお客さんから物をもらうことが許されない商売なので、その後もらちゃったオレは焼きを入れられる...そういうことも経験しながら今回の夏のバイトは終了したわけだが、その時は「自信」という言葉で片付けられないようなものを手にできたことは確かかもしれない。さらに欲が深いオレは一昨年の夏で貯めたお金で買った車には満足できず、新たにまた車を買おうとしていたのだ。それも日本でバイトをする前から決めておりウキウキだった。その頃実は彼女がいて「OOOOOバイトして買うわっ!!」と断言していた。その彼女に日本に帰る直前にフラレタわけですが、オレはもう心に決めていたので実行することに。未練タラタラだったオレは日本に帰ってもなかなか忘れることができずにヒマを見つけてはメ〜ルしていた。そしたら彼女はオレが買おうとしていた車を親にお金を出して買ってしまったそうな...もちろんオレの意見としては「学生は親に甘えられるうちに甘えておけ!!」である。はっきり言ってちょっと悔しかったが、ますますやる気がでたのは事実である。今ではその車をゲットできたのでヨシとします。

5.(もう少しで終わるので最後まで読んでねっ!!)

もちろんその年の冬も、年が変わった去年の夏も、そして去年の冬も...そんな自己満度がかなりきついバイト生活を送ってきました、というかこれからも送るつもりでいます。また今年の夏は就活も含め日本に帰るので楽しみではいるんだが、将来のことがかかっていることなので辞めといた方がいいかなってかなり葛藤しています。今まで一番長くお世話になっていたカラオケ屋も潰れてしまい、次はまた1から出発しなくてはいけないわけなので、そろそろ潮時なのかもかもしれません。とりあえず今回は就活優先で頑張ろうと思います。Kアナのように今までのやってきたこと全て出せれば一発逆転もありえるかもしれないと思うと楽しみになってきますね。それが唯一自分が誰にもマネできないものと信じているので、自分を信じることにします。自分は自分を裏切らないのです。それからよくこのような質問をされるので参考に...「なんでそんなにバイトできんの!?」答えは一つです。好きなことだからです!!遊びが好きな人はずっと遊んでいられるし、スポーツが好きな人はずっと続けられていけるのでしょう。それと原理は同じであると信じています。もちろんのこと自分ではそれでは満足できないので暗中模索していくとします。さらなる欲望、そして輝く未来へ!!ってオレの場合は野心かもしれないです。(!?)