愛ってなんだろう? −その3−

『愛と性の智恵』第12号(1999/09/28発行)より
女性を「抱く」ということ

 女性は男性以上に、奧の方に秘められたものがたくさんある。その層も厚いし、 部分的じゃなくて全体的なイマジネーションの働きに動かされるときもっともそ ういうのが開放されやすい。
 言葉で言っちゃえばこれだけのことだけど、それを理解するのはなかなかむず かしい。僕もなかなか理解できなかった。やっぱりいろんなパートナーとの深い 経験を重ねてくうちに「なるほど……」とわかったことでした。

 男の思いこみっていうのは相当激しいものがある。(~-~;;
 男性からの投書にも たまにあるけれど、女ってこういうもんだという思いこみは相当頑固な汚れにザ ブ!状態ですね。僕がいろいろお話しても、それは僕の独断と偏見にすぎないと 思えちゃうみたいです。

 ところが、そういう思いこみは女性にもある。
 女性は自分を基準にして「女性 全般」を判断しちゃう傾向が強い。だって、自分は女性なんだから、女性のこと ぐらいあんたなんかに言われなくてもわかってるわよ……モードだったりする。  いろんな女性がいる。そして、女性同士では絶対にお話しないようなこともあ るし、恋人や夫には言えないこともある。そういうことは女性自身にも判ってる はずなんだけど、いざ「女性は……」という話になると、なぜか頑固になる人っ ているんですよね。(-_-;;;
 ま、そういう考えもあるのね、ふんふん、という感じで読んでもらえたら十分 です。絶対的真理なんつーのはもともとないわけだし。

☆・・……

 たとえば、抱擁って言うと、「あ、抱くことなんだ」で済んぢゃう人が多いと 思う。お義理で抱くなんてのは論外としても、たとえ愛情があっても抱けばいい っていうものでもない。
 ペッティングだってスラストだって、一応誰にでも出来る。指で性感帯(どこ かが判っていれば)に触れることも誰にでもできる。
 それは、誰にでもバイオリンの弓を弦に当ててぎーこぎーこ引くことは出来る というのと同じような意味で「出来る」ってことでしかない。弓で弦を弾いて素晴らしい音を出すのとは全然話が違いますよね。

 女性の身体を楽器にたとえるなんてのはありふれてるし、侮辱的に聞こえるか もしれないけど、エクスタシーを感じたことがある人には実感として判ってもら えると思う。
 これは他のいろんなことについても言えることだけど、表現や比喩の端々にひ っかかってると、なかなか言ってることの本質は理解できないんじゃないかな。

☆・・……

 ちなみに「抱いてあげる」という表現には抵抗があるっていう女性も少なくないと思う。抱くという行為はフィフティー・フィフティーだと言えるかもしれない。もちろん、そういう抱擁で満足できる人達もいると思う。別にエクスタシーを感じることが至上命令ってわけでもない。

   ただ、性愛の表現としての抱擁はちょっと違う。
 そういう場合には、僕はやっぱり愛する子を抱いて「あげ」てきた。
 その子が愛しい。その子と溶け合いたい。そういう思いはある。その上に、さ らに、その子を包み込んで「あげたい」と思う。

 女性のエクスタシーはそういうなにかに大きく「包まれている」というのに近 い感覚から芽生えることがある。それは極端な場合、視線や言葉であっても、音 や香りであってもいい。
 ね、ピンときませんか? 包まれてるんですよね。あなたを包んで「くれてる」 その対象と対等じゃないですよね。対等な抱擁もいいかもしれないけど、性的快 感は対等じゃないから。。。(-_-;
 あのね、はっきり言って、女性の方が男性よりも遥かに遥かに性的快感は大きくて深いみたいです。よ。

☆・・……

 ところで、これは今までお話してきた「静かな抱擁」とは少し違うことだけど、 エクスタシーということで言えば、抱いてあげて、耳に息を吹きかけて、首筋に 微妙に舌先を這わせるだけでもイク女性はいる。痙攣を起こす子もいる。それは 決して女をバカにしてるんじゃない。男として、オスとして抱いている:女の身 体の芯に潜んでいる熱いものを解き放ってあげたくて……。

 ん〜、むずかしいな……。「じゃ、あなたには快感ないわけ!」とか反論され そうだし。。。でもとにかく、抱擁するのに平等意識とか対等感とかはなくてい いと思いますよ。男と女として抱き合うのなら。
 民主主義政治やってるわけじゃないんだし。(~-~;;ね。

フロントページに戻る   「愛の智恵」のページに戻る