さまざまな「愛」のスタイル −その3−

『愛と性の智恵』第76号(2000/02/03発行)より
<パッケージ>への「愛」?

 よく、「どんなタイプの女性/男性が好きですか?」っていう質問があります よね。
 これは確かにあると思う。特に、無意識の領域にある「元型」っていうのは、 結構強力なパワーで、或る特定の異性に惹きつけさせる作用をもってたりとか。

 なので、好みのタイプ……っていうのは或る意味キケンだったりもする。
 どういうことかと言うと、無批判・無条件で受け容れちゃったりする。どころ か、相手のいろんな面を良いように(歪めて)解釈してしまう。
 モロな表現するなら、
「私が好きになった人なんだから良いハズ!」っていう論理ですね。
 ex.ズボラな性格は、「おおらか」。思いやりや感受性の鈍さは、「クール」。 思いこみの強さは、「自信」。エトセトラエトセトラ。

 でも、たとえば一年とか二年とかたってくうちに、あるいは結婚したりした後、 だんだん実態が見えるようになってくる。
 ここから、愛がさめ始める。
 そして、そうなるともうなかなか取り返しがつかない。
 (それでもなんとか取り返しをつけたい人は個人相談でどうぞ。(^^ゞ)

 人はそれぞれに、「好みのタイプ」という幻影をもっている。
 そして、たまたまそれに似たor近い人に愛(みたいな感情)を感じる。
 でも、
 幻影と現実の相手とは一致しない。たぶん、永久に。。。

☆・・……

 「優しい」(と見られてる)男性なのに恋人や妻にひどい暴力をふるうという ケースが増えてきてる。もちろん、「優しい」んですよね:暴力をふるいまくっ た後は、必ず「わるかった、ごめんよ」と優しくなる。
 それで、延々と「腐れ縁」してるっていうカップル。
 女性は必ず言うんですよね。「でも、彼は私のこと愛してくれてるから」って。  その「愛」って、何なんでしょうね、一体?
 やがて犯罪的な暴力に耐えきれなくなって初めて、女性は逃げる。でも、その 時には、(相手の暴力男だけじゃなく)男性一般、そして「愛」そのものにまで 不審と嫌悪を持つようになる。。。

 人はともすれば、現実よりは自分が信じ込んだ幻影の世界に閉じこもりたがる 生き物だったりする。
 間違っていたのは愛そのものじゃない。
 ていうか、そもそもそれは愛なんかじゃなかったのかもしれない。
 初めから幻影を追っていただけなんですね。
 好みのタイプという幻影。優しさという幻影。素敵という幻影。。。
 そして!
 そういうパターンにはまりやすい男性は、そういう幻影で自分をがんじがらめ にしようとする相手の女性に殺意に近い憎悪を感じるようになる。実際、結果的 に殺人にまで至るケースも時々報道されてますよね。そして、その「犯人」は必 ずしも元々凶暴な素質をもっていたとは限らない。むしろ、「愛」のなかで凶暴 性を帯びるようになってきたというケースの方が多い。怖いけど、事実みたいで す、残念ながら。

 人の心というのは、無知であればあるほど、考え無しであればあるほど、非常 に危険なものになってくる。
 最初のうちは気楽だったりウットリorハラハラ・ドキドキできたりしていいか もしれない。だけど、底が浅いから、そういう気分もそうそう続かない。
 それどころか、なにもかもが裏目に出るようにさえなる。ハラハラ・ドキドキ は、恐怖や嫌悪に変わったりする。もともと幻影だったのだから、当然といえば 当然なんだけど。。。

☆・・……

 「女/男はこうあるべき」とか、理想的女性/男性像というのは、しばしば人 の心に恐ろしい作用をする。
 暴力の表面だけを見ていると、暴力を受ける側が「被害者」に見える。ところ が、その被害者は、加害者に、「優しくて素敵なあなた」という幻影を押しつけ るという暴力をふるってきたことには気づいていない。
 だからといって現実に腕力とかで暴力を振るうことが正当化できるわけじゃな いけど、人と人との間には「見えない暴力」っていうのもあるんですね。

 このことは、自分自身に対しても言えるんじゃないかな。
 理想的自己イメージとかを持つことは或る意味では必要だったりもする。だけ ど、それが自分自身を本当に見つめて、深く愛しているというところから出てき たものじゃないと、無理矢理つまり暴力的に自分に勝手な理想像を押しつけよう としてるのと同じことになるでしょう。

 愛ってね、どこかユーモラスで余裕があるものですよ。
 ステキで完璧で理想的なあなた……だから愛してるわけじゃない。
 ドジでマヌケだけど優しいとこもあるあなた……だから愛してるわけでもない。  そういうのは、後でくっつけた「人工的理由」かもしれない。
 なんだか曰く言い難い魅力。それって、どこかゆったりとして、暖かなものだ と僕は思うし、感じる。

 女性というパッケージや男性というパッケージではなく、
 好みの異性というパッケージでもなく、
 優しさとかステキさとかの持ち主というふうな妄想的パッケージでもなく、
その逆に「意外といい人」みたいな単純な逆説的理想像でもなく、

 他ならぬ「その人」を愛してほしい。

 それがたまたま異性じゃなくてもいいし、年齢や文化が大幅にちがっていても いいじゃないですか。
 愛するっていうのは、互いの未知の部分を探検し発見し、そして「そっか……」 と微笑むことだったりもするんだから。ね? (^^)

フロントページに戻る   「愛の智恵」のページに戻る