つわものたち
アメリカでの出来事
単身アメリカに来て、P大学の修士で今、語学の勉強をしている。
もともと英語の先生を日本でしていた彼女だが、今スペイン語+もう1言語
マスターしアメリカで教師をしたいらしい。
ここまではよくある話だが、彼女はなんと60歳を過ぎてから渡米してきた。
30を過ぎて渡米した私だが,彼女に比べれば足元にも及ばない...
「なかなか覚えられないのよねぇ」といっている彼女の笑顔はとても魅力的
に思えた。
アメリカに来て2ヶ月あまりが過ぎた頃、あるフォーマルパーティーに
呼ばれた。そこである初老の男性を紹介してもらったのだが、その時の
威圧感は忘れられない。普段でもあまり英語がしゃべれないわたしであっ
たが、その人の前では多量の汗ばかりが出て一言も言葉が出ない。
「バイオエシックスを勉強しに来ているのですか。私はだれかをあなた
に紹介しましたか...まだでしたか。それは申し訳なかった」
ただただ恐縮している私がそこにいた。
あとで聞いた話だが、その人はUPMCというケアーシステムの13人いる
理事のうちのひとりで、そのシステムの傘下には100以上の病院があり、
日本でいえば関東地方を1つの病院システムが牛耳っているようなもの
である。一人の、たった一人(Mr.A) の裁決で70億円までは自由に動か
せるそうである。スケールが違うとつくづく実感する。
上に書いた2人とはかなりスケ−ルの違う話である。すごい人を期待してる
あなた。今回その期待は捨ててください。でもちょっと面白かったから
かいちゃいます。
バスの中での出来事だった。1人の20歳前後のアメリカ人が乗ってきた。
身長は165ぐらい。かなり派手な装いで、アクセサリーをたくさんつけ、いたる
ところにtatooがあった。(アメリカ人のなかにはtatooをいれている人がほんと
におおい)。すごいきれいな顔立ちで金髪の彼女だったが、4,5つ先のバス
停ですぐ降りたのでおそらく10分くらいしか乗っていなかったと思う。
乗車してくるときには気づかなかったが、降りる時に右腕に書いてあるtatoo
が目に入った......
日本語で「大盛り」だった。
私の予想だがtatooをいれる時にはきっと「specialっていう意味だよ」と
いわれていれたのかもしれないが、だれか止める人はいなかったのだろうか?
彼女が日本と中国を旅行しないように心から祈りたい。
このコーナーはたいへん好評で、各方面から、いろいろとご意見・支持を頂いている。
それとともに聞かれるのが「いつ更新するんですか」「長いこと更新してませんね」という
はげまし...の声である。そのうち締め切りまじかの作家のようになりそうなのでこの辺で
更新しておく。
先日、学校がえりのことである。私のアパートの近くで190cmぐらいの背丈
のある黒人に呼びとめられた。
何か物を運ぶのを手伝ってほしいようだ。すぐ終わるか聞くと、少し時間が
かかるとのこと。
何を運ぶのか聞いたがはっきり答えない。引越しではないという。
手伝ってあげたいのは山々だが、わたしは2時に友人と約束があった。
今は2時5分前くらいである。
私「わるいけど、2時に約束があるからちょっと無理だよ」
黒人「そっか、それなら4時にきてくれ」
私「えっ?(なんかあやしい)。でも、買い物して食事するからちょっと無理だよ」
黒人「わかった、お金を払おう!」
私「(わかってないだろう)。いやお金の問題じゃなく、時間的に無理だよ」
黒人「わかった。しかたないな。よし、それなら3ドル追加しよう」
私「(だからわかってないでしょう、あなた)だから、時間までにここに
帰ってこれないの!!!!」
黒人「わかった。時間がかかるんだね。なら、もう3ドルでどう?」
吉本新喜劇のようになっていきそうなので、私はそこでさよならをした。
間違ってもこういう時は、SEE YOU!なんていってはいけない。
GOOD−byeでもない。
日本語で「あほ!」である。
Ωアメリカでの出来事…すべてが驚きだった...
バス:20人くらいの乗客がいたが自分以外全部黒人とわかった時結構お
どろいた。でもそんなことにはすぐ慣れる。
ちなみに私の渡米のもう1つの目的は黒人になることだ。
話題を戻す。ふと天井を見上げるとventilationとかいてある。
日本でもこれはよく見るものだ。
でも日本の通気候よりはるかにでかい。
そしてその上に大きくemergencyと書いてある。緊急用だ。
でも、天井を空ける緊急時は私が考える限り「水没」か「横転」である。
そしてもう1文字。EXIT ONLYと。
「だれも入ってこねえよ!」と突っ込みたいのをじっとこらえた。
アメリカは奥が深い。
スーパー:この後に続く文字はマンではない。かといってウーマンでもない。
かといって...あまりやっているとあきれられるのでこのへんに
しておく。マーケットだ。
渡米して2日後に友人とともに歩いて10分ほどのスーパーにいった。
というより連れてっていただいた。すべてが「でかく」スーパーの商品
をみているだけでも楽しかったのだが、渡米して間もないこの時期、
気持ちの高ぶりも手伝って結構いろいろ買いこんだ。
いざ帰る時になって荷物の多さにちょっと驚いたが、遠い距離では
ないので、何とか持ちかえれそうだ。
しかし友人は荷物をカーゴ(小さな車輪のついたスーパーの中で
移動に使う台車。ほんとは何というんだろう?)からおろさない。
友人「このままいきましょう」
私「いいんですか,これ使って?」
友人「多分ダメだと思うけど、何かいわれたら‘‘この荷物を手で持ってけ
ってうの!!!’’って逆切れすれば大丈夫」
アメリカでの生き方を教えてもらった瞬間だった。
最近では英語が通じないと「何でわからないの、俺の言葉が!!
しっかり聞き取りなさい!!!」と思うようになってしまった自分が
いる。
バスその2:結構このページは評判がいい様なので、調子に乗って更新してみる
ことにする。今回はいいはなしだ。
数ヶ月前バス停でバスを待っていると1人の女のこがきて、バス待ちを
した。みたところ中学生くらいか。ただ普段見かける中学生とすこし
違っていたのは電動車椅子に乗っていたことだ。
15分ほどしてバスがきて、私はバスに乗った。バスは9割ほどの
乗車率でほぼ満員だった。ここで日本人の私の偏見がでる。
私はその少女はだれかを迎えにきていると思いこんでいた。
しかしその少女はバスに乗ろうとしていた。
(すごく恥ずかしかった。そんな風にしか思えない自分が)
上記のようにバスは人でいっぱいになっており、車椅子の
スペースは到底ない。するとバスの運転手が後ろの席にむかって
何か叫んだ。が私は聞き取れなかった。バスの運転手はおそらく
「つめて!」といったとおもう。 その直後にバスの乗客
が5、6人バスから降りた。彼女をバスに乗せるためにスペースを
あけたのだ。しかもだれもいやな顔をせず、当たり前のように。
電動のステップが降りると彼女は器用に車椅子を操り、バスに乗り
こんだ。笑顔とやさしいきもちをつれて。
これは特別なことではない。アメリカの日常だった。
きれにいに着飾り、どこかに買い物でも行くのだろうか。
その後同じような光景を2、3度見ている。日本にも車椅子対応
のバスはたくさん走っている。しかしそれを利用しているひとを
私は1度も見たことがない。
福祉の制度がどうとか福祉の法律がどうとか、そんなことが問題
ではない。
人々の福祉に対する意識が違う。根本はそこだということに気づかされ
た瞬間だった。大学で社会学と社会福祉を学んだ私だが、ほんとは
何も学んでなかったのかもしれない。
アメリカでの日本人の悲劇:私の友人の中にはアメリカに数年すんでいる
人もいる。
彼らはおそらく日本に帰っても、適応するまでにかなり日数を要するか
もしくは、またアメリカに帰ってきてしまうだろう。
そんな私の友人たちの悲劇をほんの少しだけ書いてみたい。
症例1:友人S(アメリカ在住2年。20代。女性)
「最近ひらがなの ふ が書けなかった...」
症例2:友人O(アメリカ在住1年半。20代。女性)
「それ○○ちゃんの19番だね!(マジボケである)」
しかも間違っていることにまったく気づかなかった...
症例3:友人Y(アメリカ在住3年。20代。男性)
「それってシステムがオーガナイズされてプロブレムが
クリアーになればリカバーできるんじゃない」
かなり日本語に無理がある。英語で話した方が楽みたい。
症例4:わたし。
日本語の文の表現がかなり倒置されている。
「あした、いこうよ。買い物に。○○くんと。」
(Tomorrow, Let's go to shopping wiht ○○!)
日本語の能力は確実に落ちていく。かといってそれほど英語の能力も
あがるわけではない。時々この悲劇は追加していこうと思う。
バスに続く福祉の話:mihojunさんに先を読まれているので、少し悔しいが、
書いてみようと思う。
くるまでスーパーやディスカウントショップ、その他いろいろな店に行くと、
必ず大きな駐車場がある(わたしの住んでいるところは田舎)。
それから、路上パーキングも至る所にある。路上パーキングの
料金は25セント/15分なので1時間とめても100円ぐらいである。
そのやすさを話題にしたいのではない。
そのパーキング(大駐車場と路上の両方)には必ずハンディキャップ用が
あり、しかもハンディがない人は絶対そこに駐車しない。
駐車場が満車でもそこには止めない。
日本だと簡単にとめてしまう。この違いはどうしてだろう?
1つには、アメリカの罰金がたかい。駐車違反やスピードリミットの罰金
は、はるかに日本よりやすい。しかし、もしハンディキャップ用の
パーキングに駐車した場合250ドル(単純計算で25,000円)、しかも
すぐにレッカー車がくるという。罰金が高いから停めないというは、すこし
ずれた考えかもしれない。でも、「それくらいやってはいけないこと」と
考えると納得がいく。日本では、最近、車椅子でも簡単に車に乗車でき、
そして運転しやすい車が登場してきている。車だけを作るのではなく、
運転した場合、まわりの環境のどこがいけないのかも、もっと考えてほしい
とおもう。多くのばあい、入り口のすぐそばに駐車場があるけど、そこに
駐車してあったら、一番遠くをパーキングを利用せねばならない。
都内のタワー型のパーキング。どうやって車椅子の人は降りるのだろう
か。必ずといっていいほど埋まっているファミリーレストランのハンディ
キャップ用駐車場。周りを見れば問題はいくらでもみつかる。
障害を持った人が車に乗れるようになってきたのは、大きな前進だと
おもう。
ならば、さらにもう1歩踏み出して、乗った場合に「何が困ること」なのか、
まわりのことにも目をむけてほしい。
ちょっと熱くなってしまった管理人...cool down ・ cool down
アメリカでの生活にあこがれている人は多いかもしれない。
そしてその夢がかない、夢と希望を抱えきれないほどもってアメリカに
きても、実際の生活が始まると結構「びびる」ものだ。
私の友人も渡米2日目、町をおそるおそる歩いていると、黒人に声を
かけられた。よく知らない町でごつい黒人に声を突然かけらたら、
多くの女性はそれだけで、ちょっとびびる。
しかも何を言っているのか全くわからない。
次第に黒人の声のテンションは高くなり、不安はいっそうつのる。
殴られるんじゃないか、殺されるんじゃないか...こういう時は
悪い方に考えるのが人間のセオリーである。
全く聞こえないフリをしている彼女に、完全に黒人は切れてしまい、
全開で怒鳴り散らし、罵倒の嵐だったという。
そんな彼女も、もう渡米して2年がたった。
今では何の問題もなく外人と話ができる。
最近になって彼女はその黒人がなんといっていたのか思い出したそうだ。
「すいません。今何時ですか?」
.......................
こういう事を積み重ねて人間は強くなっていく。
エアコン:同じ市内だが、半年ほど前に引っ越したため、いま住んでいる
アパートにはエアコンがない。
去年40度の夏をここで経験しているわたしは、その怖さを十分知っ
ている。
昨年、車で冬にカナダに行った時にも−20℃以下の気候に出会い、
海外にきてから気温に関してはいろいろ体験できている。
本題に戻る。車を持っている友人にお願いして、エアコンを買いに行った。
いわゆるディスカウントショップだ。
いくつか並んでいるのを見つけ、値段を見ると144ドル。238ドル。
368ドル。477ドル。一番大きいのには値段は書いてなかった。
はっきりいってやすい。単純計算だと一万円台で一番下のは買える。
6000BTU、8000BTU、10000BTUと値段に比例して数字が
記載してあったが何のことかわからん。
部屋の大きさもいっしょに記載してあったので多分パワーのことだろう。
一番下のでもよかったが私は下から2番目の238ドルのものを買った。
日本のように壁に取り付けるのではなく、窓につけるやつだ。
さっそく家に帰り、取り付けようと思ったが工具がない。
仕方なくその数日後にドライバーやスパナ、ペンチなどを買ってきて
とりつけてみた。ドライバーとペンチだけあれば簡単につく。
今までアメリカでどんなものを買っても、テンポラリー(一時的)にしか
使わないと思っていたが、この工具を買った瞬間
「あれ?もしかしたら長くいるのかな?あめりかに...」と強く感じた。
そんなことはさておき、エアコンのはなしだ。
このエアコンのスイッチをONにしてみた。冷たい風がでた。
当たり前である。
でも、@冷たい強A冷たい弱B送風強C送風弱。スイッチはこの4つだけ
である。タイマー?温度設定?ファジー?そんなものはない。
というかそんな機能がついたものは売ってない。
当然リモコンもない。そして、うるさい。でも...快適である。
いろんな機能がつけばそれだけコストがかかり、価格も上がる。
他人がいいものを持っているとそれをほしいと思う。
いろんな機能、最低限リモコンがないものなんて目もくれなかった。
日本でいいものばかりを探していた私自身がそこに見えた。
確かにいろんな機能があれば便利だと思う。でも、そのおかげで
本来の「冷たい風」に対する感謝は薄れていっているような気もする。
本来の目的である冷たい風。
ほんとはそれだけで十分なのかもしれない。
分厚い説明書を読んで、時間設定と温度設定。タイマーはどうするのか?
リモコンの電池を入れ、液晶画面とにらめっこする。
機械好きの私にとってそれはわずらわしいことではない。
でも、ただ冷たい風しか出ないエアコン。
自分で取り付けなくてはならないエアコン。
寒くなったらリモコンではなく本体のスイッチを切り、
暑くなったらスイッチを入れにいかなくてならないエアコン。
そんな手間のかかるエアコンでも...わるくないような気がする。
日本にいるときより、今、エアコンがありがたい...。
リモコンの電池切れなど心配することもなく...。
通っている語学学校は、さまざまな国の人がきている。
もちろんみんな英語を学びにきているので、英語圏の人はいない。
お互い片言の英語でも、次第に仲良くなり会話も弾む。
「どこからきたの?韓国?日本?」
「俺は、サウジアラビア」
「私はインドよ」などなど。
そんな中「わたしは、ターキー」といってるいる女性がいた。
ターキー? 聞いたことが無い。
話を聞いていると、小さなくにではない。ほかのクラスにもターキーから
きている人が2人いた。
いったいどこだ?話を聞けば聞くほど、知りたくなった。
しかも、高校時代私は地理を取っていた。はっきりいってくやしい。
地図を広げてみた。
みつからない。
彼女が言っていたことを頼りに探しつづけること30分。
Turkey。日本名「トルコ」。納得。
そして中国人の彼女が言う。
「私は中国から」
「中国のどの辺?」たいした知識も無い私だが、興味本位で聞いてみた。
「ベイジン」
「ごめん。わからないや」
「えっ!何で知らないの?首都だよ」
ん?首都?北京(ペキン)じゃなかった?
もうお分かりでしょう。正しくはベイジンと発音します。
ターキーとベイジン。
日本の教科書を何とかしてほしい。
どう聞いてもトルコとペキンにはならない。
このコーナー初の看護ネタである。看護関係者じゃない人、
ごめんなさい。でも、わかる内容だと思います。
久しぶりに病棟に行く機会があった。
しかも、1日看護婦について、病棟を回るので看護がみれる。
本来、日本人看護婦の研修のアシストをするためであるが、
転んでもただで起きない私は、しっかり病棟を見てやろうと野望に
燃えていた。
1日が終り、いろいろと収穫はあったが、一番驚いたのは看護の
システムだ。この病院には看護婦のランクが5つある。
レベル1〜5まである。指導してくれた看護婦はレベル3だった。
このレベルは、研修をうけ、要求される条件をこなしていけば、どんどん
上に上がれるのであるが、レベル4と5では、どんなリサーチをして、
どんなものを出版しているかまでとわれる。
何百人というナースがいるなか、レベル5は十数名だという。
数十名ではない。十数名だ。
しかも、おどろくことに、このレベルによって給料が違うという。
同じライセンスでありながら、給料が違う。
能力によって給料が違う。
がんばった人は、給料が多くもらえる。
だからみんながんばる。
がんばったことが、きちんとした評価であらわれる。
だからみんながんばる。
つぎの目標が見える。
だからみんながんばる。
日本のようにだらだらと過ごして、経験年数だけで給料が決まる
システムとは根本的にちがう。
私は指導してくれた看護婦を7〜8年目だと思っていた。
けしてふけて見えるわけではない。動きをみてそうおもった。
聞いてみると4年目だった。彼女は言っていた。
「将来的にはanesthesia nurse(麻酔看護婦)をとりたいの。
いつになるかわからないけど、いつか必ず取りたいわ」
日本の看護、がんばった人が認められる社会になるのは
いつのことだろうか。
少し、アメリカで働いてみたい気がした。
久々にお日様が顔を出し、弱い日差しがほんの少し寒さをやわれげて
くれている。
私のいでたちは、長袖のシャツの上にフリースを着て、下はジーンズ。
最近チャリ通学のわたしは、風を切るのでそれでも少し肌寒い。
そろそろコートを出そうかと考えていた。
そんな時に未知なる生物と遭遇した。
大学の建物の前にある階段で、一人のアメリカ人が本を読んでいた。
それ自体めずらしいことではない。よく見かける一般的な光景だ。
でも...
demo...
デモ...、彼は上半身 裸(はだか) だった。
走ってきた後でもなんでもない。普通の読書の時間のようだ。
私の30ウン年間の人生経験と
8年間の看護経験と
客観的なデータ−と視点。
それから
信念と
威厳と
確信と
自信をもって、
そして神に誓いながら
彼と向かい合って
きっぱりといいたい。
「今日は寒いよ...」
いくらお日様が出ていても、今日は焼けないとおもう。
そういう季節は過ぎ去った...
夏にしがみつくのはもうよそう。
100歩ゆずって半袖までは許そう。
お願いだから、何か着てほしい。
彼を見ているだけで、私の背中がぞくっとする。
寒さがいっそう厳しくなるPittsbutghであった...
日本でおこなっていた趣味がことごとくやれないわけだから、
当然といえば当然である。
でも、ほっておくと厄介なことになりかねないので、何かコーピング
(解消)しなくてはならない。
ふと思いついた。
アロマテラピ−だ。
友人に聞くと「お香」を売っているお店を教えてくれた。
幸い学校の近くだ。
アジアの国々にアクセサリーや置物などを売るその店はなんとなく
怪しい。
店に入ってほどなくして、見つけることが出来た。
日本の文字も目に入る。
「金閣」「京しぐれ」。日本的なイメージだが、
ここから香りは想像できない。
なんのこっちゃわからんので、それは買わなかった。
その近くに、50センチ四方のケースがあり、ますめ上にしきってある。
25個ぐらいのますめにしきったそのケースには、たくさんのお香が
あった。
各ますめに30本前後のお香がある。
「バニラ」
「ココナッツミルク」
「バナナ」
「ピーチ」
「コーヒー」
.....わたしが捜し求めていた、いわゆる「お香」はなかった。
もっと、中国・日本風のリラックスできる香りがほしかった。
あきらめて帰ろうとしたときに、その中の2つケースだけが1本残らず
売れている。
1つは読めなかったが、もう一つのところには「opium」とあった。
日本名「アヘン」である。
これ売っていいのぉー−−−−!!!!!????
と心の中で叫ぶと同時に、それが売り切れのアメリカにも納得した。
友人に聞いた話である。
友人がピアスを買いに行った。
彼女の耳には今3個の穴が開いている。ピアスを買うのと同時に
もう1つ穴をあけてもらうつもりで、ピアスショップに行った。
先客が降り、彼女は順番を待っていた。
子供連れの3人家族だった。待っている旦那さんをしり目に、奥さんは
真剣にピアス選びをしているようだ。
「これにするわ!」同やら決まったらしい。
「じゃここに座って」店員さんに促されて、そこに座ったのは
子供の方だった。
見たところ、1歳未満。10ヶ月といったところか。
母親に抱かれて、椅子に座り、無邪気な笑顔。
つぎの瞬間.....当然大泣き。
わたしは思う。これはまぎれもない「虐待」ではないだろうか。
子供の権利には、何かとうるさいアメリカ。
親が子供の権利を奪うことは許されず、親子の関係といえども
政府は介入してくる。
幼児への暴力にたいして厳しい法規制があり、一人で子供を家に置く
ことすら虐待になるアメリカ。
友人のアメリカ人に聞いてみた。
「これ虐待じゃないの?」
「そうなんだ。親によっては結構あるんだよ。おれは絶対やらない
けどね」
友人のこの言葉を聞いて、全部の親がそうでないことがわかりすこし
安心した。
このピアスショップの話にはつづきがある。
その友人の「穴あけ」が終わった後、あるご婦人が店員に聞いた。
「何歳から穴あけてもらえるの?」
「3ヶ月です」
「この子は4ヶ月だから大丈夫ね」
全く自分の意思がいえない幼児。いや乳幼児。
化膿する可能性や、つけた後のわずらわしさもさることながら、
一瞬であり、痛い思いをするのである。
何の必要性もないのに。
単に文化の違いという言葉では割り切れない思いがした。
前回も登場の友人S。20代。女性。
「それじゃ、まな板の下の鯉だよね!」(押さえつけてどうする!)
友人にお見舞いの電話をしたとき、別れ際に
「お元気で!」(あんたどっか行くんかい。それは旅立ちのとき。
常識的には おだいじに です)
初登場。友人T。アメリカ在住長年。20代。女性。グリーンカード保持者。
「このオークションで とうさつ したのってさぁ..」
( 盗み撮り−盗撮−してどうする...それは落札)
「この きょうはくざい 色落ちるかなぁ」
(脅かしてどうする−脅迫罪−それは漂白剤)
この友人Tは、ほぼ10分おきぐらいにでてくる...まさに悲劇。
時に必要だが、過ぎると怖いもの。それは「慣れ」。
数ヶ月前に買い物帰りにバスに乗っていた時だった。
それほど混んではいなかったが、座るところはなく、後ろの席の
の方で立っていた。
前には、黒人のごっついおばちゃん...失礼。ふくよかな女性が
座っている。
しばらくすると、その女性は立ちあがり、次ぎのバス停で
降りていった。
私はなにも意識せずに、開いた席に座った。
そしてその瞬間気づいた。
「ここ、2人掛けだったんだぁ...」
あまりにすっぽりとそこに女性がはまっていた...いやいやおすわりに
なっていたんで、まったく気がつかなかったが、紛れもなくそこは2人用。
アメリカにいると、ほんとに力士レベルの方がたくさんいる。
これはけして大げさに行っているのではない。
そして、それを見慣れてしまっている自分もいる。
この他にも、自分の気づいていないところで日常生活にも入りこんでいる。
以前日本に帰った時に、○カリスウェットの500mlをずっと200mlだと
思って飲んでいた。
次回日本に帰った時が こ、こわい。
本当に久々の更新である。
ネタをためるためにかかなかったのではない。
怠惰な自分を見つめてみたかったのである。
そんな、とってつけたようないいわけはこの辺にしておいて、
素直にごめんなさいである。
さて本題。軽い話から書きたい。
先日友人と車で買い物にいったときである。
少々「がらの悪い地域」を通った際の出来事だ。
買い物を終え、アメリカ人の友人と車に戻り、走りだして間もないく
のことである。
突然15人くらいの、黒人(注意:けして差別ではない。わかりやすく
表現するために用いているだけだ)の子供たちに囲まれた。
年齢はさまざまだが、一番上でも小学校高学年くらい。下は幼稚園
クラスまでいる。
いくら幼い子供たちとはいえ、ここはアメリカ。
何が出てくるかわからない。
鉄パイプ。
金属バット。
癌。いやGUN。
ライフル。
パトリオット。
一応、最悪のケースを考えたが、これ以上はあるまい...
とかまえた。
子供たちはなにやら叫びながら、更に距離を縮めている。
よく聞くと「びーびーびー」といっている。
すると突然、友人はクラクションを2回鳴らした。
刺激しない方がいいのでは...と思った瞬間、クモの子を散らすように
子供たちはいっせいにわれわれの車からはなれ、今度は
われわれの逆側からやってくる車に同じ事をしていた。
友人に聞くと、彼達のいっているのは「クラクションを鳴らせ」という
意味らしい。
ここまで来て、やっとわかった。
遊び。
単なる、遊びである。
今ピッツバーグで子供たちの間で一番はやっている(かどうかは
わからないが)らしい。
だが、子供たちとはいえ、集団に囲まれるというのはほんとに
恐ろしいものだ。
やはり異国の地に住むには、その土地の文化、習慣を学ぶ必要が
あると、また一つ勉強になった。
前に書いた、日本人の悲劇ではない。
これはシリアスな方である。
そう、ニューヨーク・DC・ピッツバーグで起きた大惨事だ。
その件についての直接の意見はまた別の機会にしたい。
延々と書き続きそうだからだ。
それに伴う、身近な話題を書きたい。
今回の惨事でいろいろな人がいろいろな被害を受けている。
私の通っている学校にもその被害者がいた。
新しいクラスメートとのはじめての会話だった。
彼はアラビック。例外なく陽気で明るい。
悪くいえば、「調子」がいい。
まだ20歳にならないだろう。これから大学にいくつもりらしい。
私がきいた。
私「何が専門?」
彼「メディカル」
私「そう。どんな分野?」
彼「外科医になりたいんだ」
そのあとも、たわいのない質問をした。
いくつかの会話を経たあとで
私「どこからきたの?」
彼の顔色が変わった。
そして小さな声で
「...サウジアラビア」と答えた。
今回の件(惨事)で彼に落ち度は全くない。
ただ、まわりからいろいろと言われているせいであろう。
ただ単にアラビックというだけで、引け目を感じているのかも
知れない。
私は、日本という国は好きであるが、それほど強い愛国論者ではない。
しかし、今後日本がどんな道を歩もうとしても、出身国を聞かれたら
「日本だ」と自信を持って答えたい。
だからこそ、間違った道を日本が歩んでほしくないとも思う。
歴史は多くの過ちを繰り返してきた。
だが、自分生きている間に、自分の祖国だけは過ちを起こしてほしくない
と思う。
自分に何ができるかはわからないが、そういう信念だけは持ちつづけたいと
おもう。
いくつになっても、誕生日を祝ってもらえるのはうれしいものだ。
アメリカという国は、プレゼントと同じくらい、もしくはそれ以上にカードを
大切にする。
カードが無いプレゼントは、
「薬味」の無い「そば」のようなものであり、「アセトアミノフェン」が入って
ない「解熱風邪薬」のようであり、炭酸がぬけたコーラのようであり、
我が家のコーヒーを切らすくらいやってはいけないことらしい。
例をあげればあげるほどわからなくなるのも、このコーナーの特徴である。
ようするにカードは重要である。本題に入る。
先日、予定より早いが友人達がバースデイパーティを開いてくれた。
といってもなぜか場所は我が家であった。
友人いわく、一番集まりやすい場所だという。
快く?了解して、我が家でパーティをやったときに、プレゼントと一緒に
カードも受け取った。
1つはみんなで寄せ書きするタイプだ。
「これからも日本語教えてね。僕も英語のほうを協力するから」
アメリカ人の友人である。ありがたい言葉だ。
「いつもお世話になってます。これからもお世話してください」
はいはい。
「大きくなっても、ずっと仲良しでいてください」
はいはい。
「ハッピーバ−スデイ 2U」
はいはい。
そしてもう1人。
「これからも平和の為に戦ってください」
おい...なんかちがうだろ。いろんな意味で。
バースデイカードだし...
笑っている私に対し、「どうしておかしいの?なんで?なんで?」
まじボケだった....
特にアメリカネタではなかったが、そのことに気付いたのは書き終わった
あとで、消してしまうと、この30分が異常に無駄に感じてしまうので
アップします。
今回は少々まじめな医療の話し。難しい話ではない。
というか難しい話しは書けない。
前置きはさておき、毎年の事ながら、今年も日本から十名ほどの看護婦が
研修にやってきた。
毎年20数名の看護婦がやってくるのだが、今回のNYの大惨事の為に
いくつかの病院上層部からSTOPがかかり、参加者は例年の半分くらい
であった(このぐらいの人数の方が研修の中身は濃い)
わたしも、このイベントに関わらせて頂いて今回で3回目になる。
病院の中で研修する看護婦のサポート、及びアシストがわたしの
使命である。
通訳といえばカッコが言いが、まあ、「いないよりマシ」程度の通訳で
あることはいまさらいうまでもない。
今回は一人の看護婦について、ナーシングホームにいくことになった。
病院外施設の看護をみるのは初めてなので少々興味があった。
そこのナーシングホームはおもに短期間の入所であり、重症患者は
いない。
だが、投薬や点滴、処置、リハビリを含めほとんど病院と変わらない
ケアーがおこなわれていた。
すべてが2人部屋であり、廊下には処置の台車や、薬のカートなどが
おいてあるのは日本と変わりない。
(ただし、一般薬のカートだが、毎回鍵使って取り出す)
ずいぶんと長いイントロだったが今回はカルテの話しだ。
廊下にある細長いテーブルの上に看護婦の処置記録・看護記録や、
投薬の指示及び実施 、リハビリの予定・実施などに関した記録が置いて
あり、何時でもすぐに記録やチェックができるようになっている。
ICUのチャートのようなものがいっぱいファイルされていると、
医療者の方はおもってほしい。
医療者でない方はがんばって想像力を膨らませてほしい。
どうしても思い浮かばない方は、レンタルビデオにいって、ERを
借りてほしい。
それでもわからないかたはメールしてほしい。
(いつもかかさぬ、無期限・無制限のアフターサービス by YOSSY)
で、そのカルテであるが、ある私服の一人がそのカルテを見出した。
後できいたらスタッフであった。
そこで、研修に来ていた看護婦からの質問で
「家族がカルテをみれるのか聞いてほしい」とのことで、さっそくその日の
指導者に聞いてみた。
わたしとしては、「当然みれる」と考えていたが、意外な答えが帰ってきた。
「もちろんみれるわよ。でも、患者に聞いて、患者がOKを出したら
みていいわ。」
正直驚いた。患者に確認するという。
指導者はこう付け加えた。
「もし、医療訴訟などが起きているケースは弁護士にも確認する必要が
あるけど、それ以外は患者が決めるのよ。」
たとえ家族でも、判断は患者が決める。
日本の場合、誰が許可を出すであろうか?
それは医療者であり、医者もしくは看護者である。
ここで考えた。
カルテとはいったい誰のものであろうか?
記載はほとんどの場合、医療者がおこなう。
しかし、それは誤解を恐れないでいわせてもらえば
われわれ医療者のためのものではない。
もちろん、治療方針をはじめ、現在の状況など、われわれが医療を
提供していく上でなくてはならないものであり、
われわれの為にもそれは必要なものだ。
カルテがなければ患者把握ができず、チーム医療ができず、
おそらく、いや間違いなく事故がおき、医療自体が行えないだろう。
しかし、しかしである。
一番根底の、一番おおもととなる部分で、医療が何の為に
提供されているかを考えると、それは紛れもなく患者のためであり、
カルテはその1つの道具にしか過ぎない。
その主役である患者がカルテを見れないはずはないのである。
そしてその権利は当然患者にゆだねられるはずである。。
最近ではカルテ開示が問題になり、かなり公開されて来ているが
まだまだ患者本人でさえおもうようにみれない日本の現状が
ここの医療現場では根底から覆されている。
わかっているつもりでも、まだまだわたしの認識が甘いことが
思い知らされる場面であった。
日本の患者権利。今一度、考える必要がある。
また、うろこが3枚ほど落ちていった...
わたしの友人(アメリカ人)が誕生日にマッサージの無料券をくれた。
わたしの肩こり and 頭痛を気遣ってくれてのことである。
ほんとにありがたいものだ。
仲のよいわたしの友人2人(女性)も誕生日に同じ物をもらったので、
有効期限が切れないうちに、また血行障害でわたしの頭が
はたらかなくなる前に使おうと決心し、3人でいってみた。
ホテルの1Fにある、そのマッサージ施設はちょっとおしゃれな感じの
とても雰囲気のよいところだった。
前日に予約をしていたためにスムーズにことが運びそれぞれ一時間の
マッサージを満喫した。
そのときの会話である。
マッサージ師(以下Mとする)「日本からきたの?」
わたし「そうだよ」
M「働いているの?学生?」
わたし「学生。医療倫理を勉強したくてきてるんだ」
一分ほどの沈黙。あれ?通じなかったかな?
M「医療倫理だと、あなたは医者?弁護士?」
わたし 「(なんだ、通じてるじゃん)看護師だよ」
更に一分ほど沈黙。
M「えっ?なんで看護師が勉強するの?」
わたし「(この会話のペースつかれる....)看護師でも勉強しなくては
ならない分野なんだよ。日本ではまだ一般的じゃないけど」
アメリカではナースでも医療倫理を勉強することは一般的だと
おもっていたが、それほど浸透していないようである。
その後わたしはうとうとと眠りにはいった。
3人がマッサージを終えて帰るときに、当然話題は今回のマッサージの話に
なる。3人とも同じマッサージ師がおこなった。
友人「彼はロシア人らしいよ」
どうりでなまりがきつかったと思ったが、ロシア人だったのか。
なら、医療倫理の感覚がアメリカとは少し違っても仕方ないか...
わたしは次ぎの友人の言葉を聞くまではそう考えていた。
友人「わたし、彼にこう聞かれたんだ」
M「日本人て奥さん何人もてるの?」
友人「......」
当然絶句。
そうです。かれはアメリカの医療背景を知らなかったのではありません。
ただ、一般常識がないだけです。
完全に中東のどこかの国と勘違いしているか、もしくは日本が中東に
あると思っているかのどちらかです。
いくらロシア人とはいえ、これだけ日本車が走っているアメリカに
住んでいながらこの程度の認識。
日本の知名度なんて世界規模でみたらこんなものかも。
ちなみにマッサージの腕はたいしたことなかったです。
実に1年ぶりのUPである。
ここで読者は98%わたしの手抜きであると考えるだろう。
その通りである。
いや、やっぱりちがう(ことにする)。
ここはアメリカでの話題であるから、一時帰国したために
書きたくてもかけなかった
のである。
ではなぜ、今はUPできるのか。
細かいことは置いといて本題に入りたい。
正月が来れば、日本では会う人会う人に挨拶をかわす。
「明けましておめでとうございます」が最も一般的であろう。
アメリカでもそれはおなじであるが、日本ほどいつまでも挨拶をしない。
せいぜい3日がいいところだ。10日過ぎに言っていると???という
顔をされるかもしれない。
そのことがメインの話ではない。
「A Happy New Year」
年賀状でもよく見かける、ほとんど日本語化した言葉である。
日本語に興味あるアメリカ人は当然聞いてくるであろう。
「A Happy New Year って日本語でなんていうの?」と。
わたしの友人の友人、Zは(直接の友人でないことが救いである)は
アメリカ人の問いかけ「あけましておめでとうございます」
とは答えずにこう答えた。
Z「あけおめ」
私「........」
こうして間違った日本語が全世界へと広がっていく。
ちなみにこの友人の友人は「Good morning」を
「おっはー」とアメリカ人に教えていた。