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排除法則の基礎と役割T 排除法則の意義 「違法収集証拠の排除法則(以下、排除法則)とは、証拠の収集手続が違法であった場合に、その証拠能力を否定し、事実認定の資料から排除する原則である」と定義されています。捜査機関が違法な活動によって獲得した証拠は、それ以降の手続から排除するというもので、当然といえば当然のように思います。しかし、ここで注意すべきことがあります。それは、排除法則を適用する際にはその証拠の信憑性ないし信用性が問題にならないということです。これはどういうことかというと、排除法則を適用した結果、真犯人を逃がしてしまうという効果があるということです。このような劇薬ともいうべき効果は何の根拠もなく認められるものではありません。そこで、アメリカ合衆国では連邦最高裁がその根拠についていくつかの説明をしてきました。
U 排除法則の根拠 排除法則(exclusionary rule)の根拠については憲法保障説、司法の廉潔性説、抑止効説という3つの見解が主張されています。この議論はどの教科書でも説明されていますが、これは実はアメリカ合衆国の議論をそのまま紹介しているものです。
この根拠をめぐる議論を考えるにあたっては、次のような事例を頭に浮かべるといいと思います。
<事例>全米デビューを目指す宮原君が家でSaturday Night Liveを見ていたところ、FBIのOnizuka捜査官が無令状で宮原君宅に突入し、その後しばらく捜索活動をして覚せい剤を押収した。後に宮原君は覚せい剤所持で起訴され、証拠としてOnizuka捜査官が押収した覚せい剤が提出された。 このような無令状の押収手続は合衆国憲法第4修正に違反します。この第4修正は日本国憲法35条と同じ規定と考えてください。さて、このように捜査機関による基本権侵害が行われた場合に、連邦最高裁はどのように判断してきたのでしょうか。
1. 憲法保障説(規範説)
まず、1914年のウィークス事件 で連邦最高裁は、世界で初めて排除法則の適用を宣言しました。捜査機関の基本権侵害活動により得られた証拠を利用すれば、憲法の人権規定が「字面だけのもの(form of words)」になってしまうとして排除法則を適用しました。これは憲法保障説とか規範説(以下、規範説で統一)とか呼ばれるものです。捜査機関が憲法上の約束を破った場合、その約束不履行から捜査機関は一切利益を享受してはいけませんというものです。
このウィークス事件判決はかなり思い切った判断をしたわけですが、これに対してはもちろん批判がありました。上記の事例に当てはめていえば、捜査官Onizukaのミスで真犯人宮原君を逃がすのはおかしいというものです。憲法を保障するための排除法則というが、やはり真犯人の処罰ができないという効果には抵抗があります。
2. 司法の廉潔性説
そこで、司法の廉潔性(judicial integrity)が問題とされました。捜査機関の基本権侵害活動により得られた証拠を裁判所が利用すれば、司法に対する信頼が損なわれるのではないかということです。違法に収集された証拠はいわば「汚染された」証拠であり、それを裁判所が利用すれば裁判所も「汚染された」状態になってしまうというものです。しかしこれに対しても、排除法則は結局真犯人を釈放するだけであり、誰のためにもならないのではないかとの疑問が残りました。
3. 抑止効説
そこで、1961年のマップ事件判決 では、捜査機関が基本権侵害活動によって獲得した証拠を排除することで、将来捜査機関が基本権侵害活動をすることを抑止することに排除法則の目的があるとされました。排除法則を適用すれば、捜査機関の違憲な活動が抑止されて、将来の国民が人権規定の保障を十分に享受できるというものです。これにより国民の利益のために排除法則があるのだということが明確になりました。もちろん抑止効というのは実証するのが難しいという批判がありますが、「誰のための排除法則か」という疑問にはしっかりと答えています。排除法則により、Onizuka捜査官が2度と基本権侵害活動を行わなくなり、宮原君の隣人である市原君の基本権も将来安泰だということです。
V 排除法則の性格 排除法則の性格を押さえることは、学習上かなり重要なことで、これは最も基本的な事項だといえます。
排除法則の根拠に関する規範説、司法の廉潔性説、抑止効説は、いずれも捜査機関の基本権侵害活動に関心を寄せています。ここから、排除法則は捜査機関による違憲な活動を規律するものだということが分かります。これは排除法則が「憲法原則」であることを示しています。ウィークス事件判決でも、マップ事件判決でも、連邦最高裁は合衆国憲法第4修正が排除法則の根拠になるとしました。つまり、排除法則は伝聞法則のような「証拠法則」とは異なり、捜査法上の「憲法原則」だということです。伝聞法則は事実認定段階での「証拠の排除」ですが、排除法則は捜査段階の「活動の排除」を目的としているということです。この証拠法上の「証拠法則」と捜査法上の「憲法原則」の違いは排除法則を理解する上では欠かせないものとなります。排除法則は「活動の排除」だということもしっかりと押さえてください。
W 証拠排除の基準 さて、以上を前提として、証拠が実際に排除されるのはどのような場合かを考えてみましょう。ここでは規範説と抑止効説が対立しており、司法の廉潔性説は姿を消す形となっています。
1. 規範説
まず、規範説がどのような見解かを思い出してみましょう。これは「捜査機関は基本権侵害活動から一切利益を享受してはいけない」というものでした。ここからいえるのは、Onizuka捜査官は宮原君の基本権を侵害したのだから、そこから得た証拠は一切使えないということです。基本権侵害活動により獲得した証拠は絶対に使えませんよ、ということになります。したがって、規範説は絶対的排除基準というものを導きます。
2. 抑止効説
これに対して、抑止効説は「証拠の排除により、捜査機関の基本権侵害活動を抑止することが排除法則の目的だ」といいます。そうなると、基本権侵害活動があっても抑止効が期待できないような場合には、排除法則は適用しないことになります。
たとえば、Lee捜査官が無令状で捜索を行ったが、実はLeeが「同行している捜査官Wonが令状を持ってきている」と勘違いしていた場合はどうでしょうか。この場合、Leeは無令状の事実を知らないから、「善意」で基本権侵害活動を行っています。そうなると、無令状捜索はいけないという命令はLeeにとって意味を持たなくなりますから、ここでは抑止効は期待できないことになります。したがって、このような場合には、基本権侵害活動があるにもかかわらず、抑止効が期待できません。ここでは排除法則の適用が否定されます。
このように抑止効説は基本権侵害活動があっても、抑止効という政策的な見地から排除法則の適用を否定する場合があります。これを相対的排除基準といいます。
3. 注意点
注意すべきは、規範説も抑止効説も基本権侵害活動の場合にのみ排除法則を適用するということです。たとえば、任意捜査の限界を越えて違法という場合は、単に刑訴法197条1項本文に違反したという法律違反しかないので、排除法則は規範説からも適用されません。憲法違反があって初めて排除法則が適用されます。
4. 相対的排除説
ここで注意しなければならない学説があります。それは教科書でも紹介されている「相対的排除説(井上説)」と呼ばれるものです。
この相対的排除説(井上説)というのは規範説なのか抑止効説なのかどっちなのか分かりません。相対的排除説(井上説)は憲法違反の場合は、絶対に排除するといっています。この限りでは、規範説と同じです。それに加えて、法律違反の場合も政策的に排除するときがあるといっています。
規範説も抑止効説も法律違反に過ぎない場合には排除法則は適用しませんから、この相対的排除説(井上説)はいったい何説を採用しているのか分からないということになります。つまり、法律違反の場合には規範説や抑止効説と結びつかない議論をしているといえます。したがって、この相対的排除説(井上説)と呼ばれるものは、よほどマニアックな勉強をしたい人以外は押さえる必要はないと思います 。簡単にいうと、これは学習上無視していい学説だといえます。
あくまで規範説と抑止効説からの帰結が基本となります。上記の規範説→絶対的排除基準、抑止効説→相対的排除基準を押さえれば十分です。
5. 我が国の最高裁判例
また、この段階では我が国の判例の基準も無視してください。我が国の最高裁は憲法違反の場合に排除法則の適否を問題とする事態に直面したことがなく、排除基準として規範説を採用したか抑止効説を採用したかは厳密には分からないからです。ある程度学習が進んでから判例の基準について勉強する方がいいと思います。
X 自白法則との関係 1. 自白法則と排除法則
さらに問題となるのが、自白法則と排除法則の関係です。
自白法則は証拠法上の原則で、18世紀後半に生まれたものです。これに対して排除法則は1914年のウィークス事件判決で初めて生まれたものです。この自白法則はコモン・ロー上の法則で、虚偽排除に基礎づけられてきました。任意性(voluntariness)のない自白はウソのおそれがあるから証拠能力がないということです。例えば、肉体的苦痛を加えられたら、その肉体的苦痛から逃れるためにウソでもいいから自白するということが経験則から分かるということになります。伝聞法則は、伝聞証拠について反対尋問で真実性を確認することができず、信用性がないから証拠能力を否定するという「証拠法則」です。自白法則も信用できない証拠を排除するという「証拠法則」として発展してきました。
これに対して、排除法則は20世紀前半に生まれたニュー・フェイスで、捜査法上の「憲法原則」です。その目的は「証拠法則」のように「証拠の排除」にあるのではなく、「活動の排除」にあります。つまり、自白法則が公判(事実認定過程)を規律する原理であるのに対し、排除法則は捜査(証拠収集過程)を規律する原理だという違いがあります。さらにいうと、自白法則には毒樹の果実法理が伴わないのに対して、排除法則には当然に伴うという違いもあります。
2. 違法排除説
違法排除説は田宮教授によって提唱されたのですが、田宮教授は上記のような自白法則と排除法則の違いを十分に承知した上で同説を主張されました。自白法則が自白の証拠能力を否定するという効果を、自白法則=排除法則だという説明により基礎づけようとしたものです。なぜこのように性格の異なる法則を「同じもの」として説明したかということは、しっかりと認識する必要があります。自白法則と排除法則は水と油の関係で、自白法則を排除法則で説明するなどということは本来矛盾しているはずだからです。
これは1963年の論文を読めば分かるのですが、田宮教授が違法排除説を主張されたのは、まさに「自白法則を否定するため」といえます。水と油の関係ですから、どちらかが必ず排斥されることになります。違法排除説は、捜査官による違法な自白収集活動のみならず、実は自白法則そのものを排除したかったのだといえます。
3. 違法排除説の自白排除基準
田宮教授の自白排除基準はかなり規範説に近いものです。たとえば、捜査官Jeffが証拠もないのに、「お前が犯人だという証拠はある」といって被疑者を騙して自白させた場合はどうでしょうか。田宮教授によれば、この自白は排除されます。その理由は、被疑者を騙すなんて礼儀をわきまえた捜査官のすべきことではないから、ということになります。礼儀をわきまえないのは、適正手続の観点から違法で、排除するということです。憲法31条違反ということですね。
これはおそらく、規範説という「厳格な」排除法則を輸入するという意図があったのだと思います。我が国では刑訴法上、取調に関して権利告知の規定しかなく、取調の違法を認定することは困難です。そこで、取調べについては憲法解釈によって規律する必要があると考えたのかもしれません。「厳格な」排除法則という憲法原則によって、取調準則を確立する必要があったのでしょう。
4. ミランダ事件判決
実は憲法解釈によって取調準則を確立するということは、アメリカ合衆国では一定の成果を収めています。ミランダ事件判決 は黙秘権の告知や弁護人選任権の告知を怠って取調をした場合、その取調によって黙秘権侵害がなされたと推定するというものです。これは合衆国憲法第5修正の解釈です。日本では憲法38条1項ですね。つまり、黙秘権侵害を推定し、さらにそこから得られた自白を証拠から排除するというものです。さすがにこのようなルールがあれば、悪徳捜査官JeffやOnizukaも取調は慎重に行うと思います。ミランダ・ルールはアメリカ合衆国では小学生でも知っています。
Y 結語 アメリカ合衆国でこのような取調準則が登場したのは、1930年代に警察による拷問が多発したからです。日本国では戦前に拷問がなされたこともあったみたいです。
いずれにしても、アメリカ合衆国でも日本国でも自白事件がほとんどですから、取調は重要な問題です。排除法則は捜査を規律する憲法原則ですから、ルールがほとんど確立されていない取調では大きな役割を果たすかもしれません。排除法則は単に証拠を排除するというものではなく、捜査を規律するための法則だということをしっかりと認識してください。これは違法排除説を(その採否に関わらず)理解する際にも重要なポイントになります。
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