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条件関係T 条件関係公式 当該行為が存在しなければ当該結果が発生しなかったであろうという関係(「あれなくばこれなし」の関係)を条件関係(conditio sine qua non)と呼ぶのが従来の通説的見解であり、これが欠ける場合には因果関係が肯定されないとされてきた。条件関係の有無を判断する際に、現実に行われた行為に代えて、ある仮定された行為を置き換えて、それでも結果は発生したであろうかが問題されてきたのである(これは仮定的消去法と呼ばれる)。結果が欠落しない場合にはその行為が当該の結果を惹起したものではない(ほかに原因がある)として、条件関係、ひいては、構成要件要素としての構成要件該当性が否定されることになる。
たとえば、拳銃で被害者を撃ち殺したとき、拳銃で撃たなかったならば弾丸による死亡の結果は発生しなかったのであるから、条件関係は肯定される。
U 仮定的消去法による判断 仮定的消去法による判断の際には、結果も行為も具体的に把握されなければならないとされる。たとえば、拳銃による殺人の場合、行為者が拳銃を発射しなくても、被害者はいずれ寿命で「死亡」するのだから、拳銃の発射がなくても被害者は「死亡」していたとすることはできないというのである。この場合、「寿命による死亡」はいずれにせよ発生したであろうが、「拳銃の発射によって生じたであろう死亡」は行為がなければ発生しなかったであろうとされるのである。
結果はおよそ「死亡」ではなく「拳銃の発射によって生じたであろう死亡」というように具体的に把握される。このように結果を具体的に把握するのは、結果を単に「死亡」としたのでは、ここで前提となっている殺人を論ずることができないからであろう。
V 仮定的消去法の問題点 結果は具体的に把握するにしても、仮定的消去法の適用に関してはいくつかの問題点が指摘されている。特に実際に行われた行為のほかに、結果を惹起しうる代替的原因が存在する場合に仮定的消去法によっても良いのかということが指摘されている。これには、その代替的原因が現実化している場合である「択一的競合」事例と、代替的原因がいまだ潜在的・仮定的なものにとどまる場合である「仮定的因果経過」事例というものがある。
択一的競合事例の典型とされるのは「AとBがそれぞれ独立に、Xのコーヒーカップに致死量(100%)の毒薬を入れ、Xはそれを飲んで死亡したが、それぞれの相乗効果はなく、同時に死亡した」というものである。この事例の場合、Aが致死量の毒薬を入れなくても、(Bが致死量の毒を入れたことにより)Xは死亡したであろうから、仮定的消去法を適用すればXの死亡とAの行為との条件関係は否定されることになる。この結論に対しては、Aは独立して人を殺害しうる行為をし、その結果人が死んでいるのに条件関係を否定するのは不当であるとの批判がある。
仮定的因果経過事例の典型とされるのは「死刑執行人Bが死刑囚Xの死刑執行ボタンを押そうとしたそのときに、第三者Aがボタンを押してXを死亡させた」というものである。この場合、Aがボタンを押さなくても、(Bによりボタンが押され)やはりXは同時刻に死亡したであろうから、仮定的消去法によればXの死亡とAの行為との条件関係は否定されることになる。この結論も不当とされる。
そこで、択一的競合事例の場合と仮定的因果経過事例の場合に、どのように対応するかが問題となるのである。
W 問題点への対応 1. 条件関係公式の修正
問題点への対応として、条件関係公式、すなわち、仮定的消去法による判断を修正するものがある。この見解は上記の択一的競合事例の場合について、理論的にみても、Aの行為とBの行為は現実に競合して行われているのであるから、AとBを別々に評価するのは妥当ではなく、両者を一括して取り除く必要があるとする。そして、両者を共に取り除けば結果が発生しない場合であり、競合する行為と結果との間に事実的な結びつきがあるから、条件関係を認めてよいとするのである(全条件一括消去説)。
また、仮定的因果経過事例については、「あれなくばこれなし」という場合、Aの行為を除いた場合には結果は生じなかったであろうという趣旨であるから、その条件以外に、他の行為や事実を付け加えて判断することは許されないとする。これによれば、死刑執行ボタンを押したであろうというBの行為は条件関係を判断する際に全く考慮されず、Aが現実にボタンを押した行為のみが問題とされる。したがって、Aがボタンを押さなければ死刑囚Xは死亡しなかったという関係があるのだから、結果と行為の間の条件関係は否定されないという結論を導くのである(付け加え禁止説)。
しかしながら、全条件一括消去説、付け加え禁止説の両説は条件関係公式を修正する理論的な根拠が明らかでないと批判される(注@) 。
さらに、付け加え禁止説によると不当な結論が導かれる場合がある。たとえば、Xが毒蛇にかまれ、救助義務者(たとえば医師)Bが血清入りの注射をしようとするときに、A(Xを救助する義務がないことを前提とする)がアンプルを損壊して注射を不可能にすることにより、Xを死亡するに至らせたという事例(毒蛇事例)が考えられる。もし、「B(医師)が血清を注射したであろう」という仮定的な付け加えの判断が禁止されるとすれば、Aの損壊行為がなくても全く同じように結果が発生していたことになるから不当にも条件関係が否定されてしまうのである(「Bが血清を注射したであろう」という仮定が禁止されるから、「いずれにせよXは蛇の毒で死亡したであろう」という結果が導かれてしまうのである)。
以上の通り、条件関係公式の修正による対応は理論的に明らかでないことに加え、不当な結論を導くこともある。そこで、次のような見解が主張されている。
2. 合法則的条件関係説
この見解は、条件関係公式を放棄し、結果と行為の間をつなぐ事実的経過を順次にたどりつつ検討し、それぞれが自然法則により説明できる形でつながっている場合に条件関係を肯定するものである。これによれば、毒蛇事例においても、(Aによる)アンプルの損壊行為と被害者(X)の死亡との間には、自然法則により説明できる事実のつながりが存在する(血清のアンプルを壊す→医師が血清を注射できない→被害者が死亡するという流れは、自然法則にのっとって説明できる)ことから条件関係は肯定されるということになる。また、この見解の中には、択一的競合事例の場合にも結果と行為との間の事実的経過のみを問題とし、条件関係の存在を肯定するものもある(Aが致死量の毒をコーヒーカップに入れる→Aの入れた致死量の毒がXに作用する→毒の作用でXが死亡するという流れは、自然法則にのっとって説明することができるとするのであろう)。
しかしながら、択一的競合事例においては、そもそもAが入れた致死量の毒が作用してXが死亡したのかが不明であり(Bの入れた致死量の毒が作用したのかもしれないのである)、合法則的条件関係説によっても条件関係を肯定することには疑問が残るのである。
3. 結果回避可能性説
以上の通り、全条件一括消去説、付け加え禁止説、合法則的条件関係説には問題がある。
そこで、条件関係公式を維持しつつも、仮定的消去法による判断に独自の意義を見出そうとする見解が主張される。それは、行為がなくても結果が依然として発生したであろうという場合は、当該結果は回避不可能であり、そのような行為を処罰の対象にしても法益侵害の抑止という観点からはその効果がありえず、したがって処罰は正当化しえないとするのである。択一的競合事例の場合、この見解によれば、Aが致死量の毒を入れなくても、Bが致死量の毒を入れたことにより「Xが死亡する結果は回避可能でなかった」から、条件関係は否定される 。仮定的因果経過事例の場合、この見解によれば、Aが死刑執行ボタンを押さなければ、「Xがその時点で死亡したという結果は回避可能であった」から、条件関係は肯定される。仮定的因果経過事例については以下で検討する。
X 検討 以上の通り、択一的競合事例の場合には結論として条件関係を肯定するのは妥当でない。問題は仮定的因果経過事例の場合をどう説明するかである。死刑執行事例の場合、「Aがボタンを押さなければ同時刻にXが死亡する結果は回避可能であった」というのが結果回避可能性説の帰結である。しかしながら、このような判断方法は従来の仮定的消去法で十分説明することができるように思われる。すなわち、従来の仮定的消去法によっても結果は具体的に把握しなければならないとされてきたのであり、たとえば、「Aがボタンを押さなければ、その時点でXは死亡しなかったであろう」とすることで条件関係を肯定することは十分に可能なのである。ただ、ここでは死刑執行人Bがボタンを押す行為を考慮しないために、「その時点でのXの死亡」というように結果を具体的に把握しているだけなのである。結局のところ、このように結果を具体的に把握するのは、死刑執行人Bがボタンを押す行為を付け加えてはならないという付け加え禁止説そのものであるともいえる。しかしながら、付け加え禁止説は既に述べたように毒蛇事例において不当な結論を導くから採用することはできない。したがって、合法則的条件関係によって条件関係を判断するのが妥当であろう(Aが死刑執行ボタンを押す→死刑装置がXに対して作動する→Xが死刑装置によって死亡するという流れは自然法則にのっとって説明することができるから、条件関係は肯定される)。
<注@> 択一的競合事例の場合、Aが致死量の毒を入れなかったならばXは死亡していなかったであろうかということが問題となっている。全条件一括消去説による「ABが双方とも致死量の毒を入れなかったならば」という仮定は、本来の「Aが致死量の毒を入れなかったならば」という仮定とは全く別の事象であり、異質の問題である。したがって、なぜそのような異質な事象を仮定することができるのかについて理論的な根拠を示さなければならないが、それが示されていない点が批判の対象となるのである。
<注A> 択一的競合事例について、AB双方が致死量の半分(50%)の毒を混入した場合にはAの行為について条件関係を肯定しうるのに、致死量(100%)の毒の混入という「より悪質な行為」を行った場合に条件関係を否定することは不当であると批判されることがある。しかしながら、この場合、Aが「より悪質な行為」を行ったから条件関係が否定されるのではない。たとえば、Aが致死量に満たない(50%)の毒を入れ、Bが致死量(100%)の毒を入れた場合、Aの行為が「より軽い」から条件関係が否定されているわけではない。Bが致死量(100%)の毒を入れたから、Aの行為につき条件関係が否定されているのである(「Aの行為がなくても、Bが入れた毒でXは死亡していたであろう」ということになる)。
Y 参考文献井田良 「因果関係の理論」現代刑事法4号61頁
伊東研祐 「『相当因果関係説の危機』の意味と『客観的帰属論』試論」現代刑事法4号16頁
川口浩一 「条件関係」刑法の争点[第3版]20頁
齋野彦弥 「原因の複数と因果性について」現代刑事法26号51頁
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