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共犯と身分T 総説 1. 身分犯の共犯
一定の「身分」の存在が構成要件要素となっている身分犯において、非身分者と身分者とが構成要件の実現に関与した場合における共犯関係をどのように解するかが問題となる。
この点について、65条は1項で、単独で行えば処罰されないのに共犯としてなら処罰されるという意味での連帯的作用を明示し、2項ではそれぞれの関与者の身分に応じた刑を科すという個別的作用を規定する。たとえば、公務員でないAは単独では収賄(197条)として処罰されることはないが、そのAが公務員Bに収賄をそそのかした場合には65条1項により、A(非身分者)に収賄の教唆犯(61条1項)が成立するのである。また、保護義務者である妻Cが寝たきりとなった夫Xを世話していたが、保護義務者でないD(非身分者)がCをそそのかして夫Xを遺棄させたという場合、妻Cには保護責任者遺棄(218条)が成立し、D(非身分者)は単純遺棄(217条)の規定により罰せられるのである(65条2項)。
前者の収賄は公務員という身分があることによって初めて犯罪行為となる構成的身分犯(真正身分犯)である。また、後者の保護責任者遺棄は保護義務者という身分がなくても犯罪行為(単純遺棄)となるが、身分の存在により刑が加重・減軽される加減的身分犯(不真正身分犯)である。
2. 65条1項と2項
以上のような65条1項と2項の内容は、矛盾した関係にあるといわれている。なぜならば、1項は連帯的作用を規定して非身分者も身分者と同じ扱いをしているのに、2項は個別的作用を規定して非身分者については身分者と同じ扱いをしないとしているからである。問題は、このような一見相反した内容を持つ両規定をどのように解釈するかである。
U 65条1項と2項の関係 1. 共犯従属性を徹底する立場
この見解は65条1項が連帯的・従属的作用を持つことを重視し、共犯従属性説の立場から1項に中心的な意味を与えるものである。これによれば、中心的な意味をもつ1項は構成的身分犯のみならず加減的身分犯にも適用されるものであり、身分犯の全体を通じて、非身分者についても身分者の犯罪への共犯が成立すると規定したものと解されるのである。これにより犯罪の「成立」については従属性が徹底され、2項は特に加減的身分について刑を調整するための規定に過ぎないとされるのである。上述の保護責任者遺棄事例では保護義務者でないD(非身分者)にも1項により保護責任者遺棄の教唆犯が成立し、2項により単純遺棄の教唆犯の刑が科されるのである。
このように65条1項を共犯の成立に関する規定であり、2項を量刑に関する規定だとする解釈は、「共犯とする」(1項)、「通常の刑を科する」(2項)との文理にも合致しているといえよう。
しかしながら、不真正身分犯につき重い刑の犯罪が「成立」することを認めながら、刑についてはなぜ軽い通常の犯罪の法定刑が科されるのかは明らかでない。上述の例でいえば、D(非身分者)には保護責任者遺棄の教唆犯が成立しているのであるから、保護責任者遺棄の法定刑を科しても良いはずである。この見解は、2項が適用されるから単純遺棄の刑が科されるという以上の理由を説明することができない点に疑問を残すが、それは加減的身分犯について犯罪の「成立」と「科刑」の問題を分離するという方法論自体に限界があることを示しているといえよう。
2. 法文の文理に従う立場
この見解は、65条1項は構成的身分の連帯作用を、2項は加減的身分の個別作用を定めたものとする見解である。条文をそのままの形で素直に理解したものといえ、かなり明快な法の適用を可能とする。前述の保護責任者遺棄事例では、身分者である妻Cには1項により保護責任者遺棄が成立し、非身分者であるDには2項により単純遺棄の教唆犯が成立するというものである。
しかしながら、この見解によるとしても、65条が1項で構成的身分犯については身分の連帯的作用を認め、2項で加減的身分犯については身分の個別的作用を認めていることの実質的根拠が明らかにされたとはいえない。そこで、1項は「違法身分」、2項は「責任身分」に関するものであるとの主張がなされるのである。
1項が連帯的な扱いをするのは、共犯者間で連帯するはずの違法性に関する身分だからであり、2項が個別的扱いをするのは共犯者ごとの固有の問題である責任に関するものだからであると説明されるのである。これは「違法は連帯に、責任は個別に」という制限従属性説の立場からの主張である。ただ、これによると現実の身分犯規定をうまく説明できないとの指摘がなされている。たとえば、「公務員」を違法身分と解した場合、公務員という身分が収賄(197条)では構成的身分とされることは説明できるが、特別公務員職権濫用(194条)では(違法身分であるはずの)公務員という身分が一般に加減的身分とされることの説明がつかないのである。
3. 制限従属性説を徹底する立場
そこで、制限従属性説を徹底し、構成的違法身分と加減的違法身分は正犯と共犯の間で連帯し、構成的責任身分と加減的責任身分は個別化すると解する見解が主張される。たとえば、EがFの犯罪に協力した場合、Fの身分が行為の違法性に影響する要素であれば、身分があることによって肯定されたFの行為の違法性はEの行為をも違法とするし、逆にFの身分が責任に影響する要素であれば、それはFについてのみ意味を持つものに過ぎない。
しかしながら、この見解によると構成的身分でも責任身分と解釈されれば1項が適用されず、不可罰とされてしまう点で65条の文理解釈としては苦しいものとなろう。また、たとえば、保護責任者遺棄における「保護義務者」は、結果無価値論によれば責任身分とされ2項が適用されるが、行為無価値論によれば違法身分とされ1項が適用されるというような結論が導かれるとしたら、それは問題であろう。ここでの行為無価値論による結論は大方の見解と食い違うものとなってしまっているし、逆に結果無価値論の立場からも一身的に作用する違法身分が認められる必要があろう。違法身分か責任身分かという判断基準は、具体的な個別の問題を解決するには困難な場合が多いと思われるのである。
4. 惹起説の立場
こうして見ると、基本的には構成的身分犯か加減的身分犯かの区別により65条1項と2項の適用範囲を決する見解(法文の文理に従う立場)によるのが妥当である。問題は、構成的身分犯に関する1項と加減的身分犯に関する2項の関係をどう説明するかである。
この点に関しては次のように考えることができる。65条は基本的にア身分がなくても身分者を介して犯罪結果に因果的影響を与えた者は原則として共犯として可罰的であると考える。また、イ身分に応じて刑罰を変更する場合は、できるだけ各構成要件にその旨を明らかにし、そのような規定のある場合は、それに従って個別的な結論の妥当性・合理性を確保すべきだと考えたといえる。
そして、65条は1項で構成的身分犯についてアの原則を明示し、2項は加減的身分犯についてアの原則を当然の前提として含んだ上でイの考え方を明らかにしたのである。
アの原則は身分者の構成要件該当行為を通して犯罪結果を発生させた非身分者を共犯として処罰するというもので、混合惹起説(正犯の不法を共犯処罰の必要条件とする見解)を基礎とする考え方である。公務員であるBが収賄をすれば、公務員の職務の公正とそれに対する社会一般の信頼は侵害されるが、その結果に教唆によって因果的影響を与えたA(非身分者)にも収賄の教唆犯が成立するというのである。これは正犯が法益侵害を惹起したことのみを根拠として共犯の処罰を認めるものではない。あくまで正犯を介した(間接的な、あるいは非身分者が全く因果的寄与を及ぼし得ないとはいえないという意味での)因果的寄与を根拠に、背後者たる共犯を処罰するというものである。1項はこの惹起説によるひとつの帰結を規定したものといってよいのである。
アの惹起説(因果共犯論)によると、責任共犯論のように責任の共同が要求されず、したがって故意の共同が共犯の成立要件となることはない。故意の共同を要求する見解は犯罪共同説であるが、たとえば、Aが暴行の故意で正犯者BをそそのかしBが殺人の故意で被害者を死亡させた場合、犯罪共同説によればAに殺人の教唆犯は成立しない。この場合、ABに故意の共同(同一性)がないからである。この見解を貫く限り、ABがともに殺人の故意を有している場合にのみ共犯が成立することになるから、正犯者と共犯者の罪名は常に一致することになる。このように、責任共犯論=犯罪共同説の立場からは罪名従属性が要求されるが、惹起説によればそのようなことはない。惹起説によれば故意の共同は共犯の成立要件にならないから、上述の例ではBに殺人が成立し、Bと故意の異なるAには傷害致死の教唆犯が成立することが認められ、罪名従属性が要求されないのである。これが行為共同説である。
このように、アの惹起説を前提とすると結果に因果的影響を与えた場合には非身分者も処罰されるが、罪名従属性が要求されない以上、イの考え方により身分によっては個別的な扱いも許されることになるのである。保護責任者遺棄の事例ではD(非身分者)のそそのかしにより妻Cが遺棄をし、それによって夫Xの身体の安全が侵害されるから、それに因果的影響を与えたD(非身分者)は処罰を免れない(ア)。ただし、保護義務は妻Cに一身に帰属するものであるから、D(非身分者)には作用せず、Dには単純遺棄のみが成立するのである(イ)。こうして1項は惹起説により、2項は惹起説を前提とした行為共同説の考え方により説明することができるのである。
V 惹起説からの帰結 1. 65条1項の「共犯」と共同正犯
構成的身分犯については、非身分者はおよそその犯罪の主体(正犯)とはなり得ない者であり、「共同して犯罪を実行する」(60条)ことはできないから、共同「正犯」とはなり得ないとする見解がある。この見解によれば、「身分のない者」(65条1項)が共同正犯として犯罪に関与する余地はないことになり、65条1項に共同正犯を含めることはあり得ないこととなろう(また、元来共犯の処罰根拠論は狭義の共犯にのみ当てはまるものであるから、惹起説の立場から65条1項に「共同正犯」を含めることはできないのではないかという疑問もあろう)。
しかしながら、単独では正犯となり得ない者も、身分者と共同してであれば、構成要件該当事実を共同惹起することは可能であり、非身分者についても身分犯の共同正犯が成立しうるのである。惹起説の立場からは65条1項の共犯から共同正犯を除外する理由はないといえる。
2. 事後強盗
特に問題となるのは、窃盗を行った者による事後の暴行・脅迫のみに関与した者の罪責がいかなるものかである。
この点についても、惹起説の立場から結論を導くことができる。事後強盗(238条)は事前の窃盗と事後の暴行・脅迫の結合犯であるとの理解からは、暴行・脅迫のみに関与した者は窃盗の結果につきアの原則は適用されないことになる。したがって、事前の窃盗に因果的影響を与えていない事後の関与者には1項が適用されず、(事後の因果経過のみにアの原則を適用する事を前提にイの考え方を適用し)2項により暴行・脅迫の罪責にとどまると解されるのである。
3. 身分者が非身分者に加功した場合
65条2項について特に問題となるのが、普通とは逆に、身分者が非身分者の犯罪に加功した場合である。たとえば、麻雀賭博の常習者であるG(身分者)が、常習者でないH(非身分者)らが麻雀賭博をすることを知りながらこれを幇助したという場合、H(非身分者)らは単純賭博となるが、G(身分者)がどのような罪責を負うかが問題となる。
文理により忠実な解釈によれば、65条2項は正犯に身分がある場合を想定していると考えられるから、正犯者であるHに身分がないこの場合には65条2項の適用はなく、G(身分者)は62条1項により単純賭博の幇助犯の罪責を負うにとどまるということになる。
しかしながら、惹起説=行為共同説を前提とする以上、罪名従属性は要求されないのであるから、正犯と共犯の罪名が異なることには別段問題はないのである。したがって、むしろGの常習性という一身的な要素に着目した犯罪の成否を論ずる方が妥当であり、Gには65条2項が適用され常習賭博が成立すると解される。
W 参考文献浅田和茂 「共犯と身分」刑法の争点[第3版]102頁
井田良 「共犯と身分」現代刑事法41号104頁
前田雅英 「共犯と身分」刑法理論の現代的展開総論U248頁
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