旦那のアメリカ赴任が決まったのはまだ妊娠する前でした。秋には赴任、ということで結婚(3月末)そうそう、英会話を習うことにしたのです。月謝は高いけど、まったく英語の話せないまま赴任はあまりにも大変すぎる、という考えでした。
ところが入会したそうそう、秋には妊娠してしまい、バスで一時間弱かかる(乗り継ぎはナシ)京都市内までの教室通いがかなりつらくなりました。つわりはほとんどなかったのですが、乗り物に弱いわたくしは、このバスが苦手。とにかく一時間弱(距離はさほどでもないけれど、混んでいるので)バスに乗って、降りたら気分が悪いのでしばらくどこかで休んで、それからレッスン。レッスンのあとまたバスに乗って帰ってきたら、はっきりいって体力の限界(弱い………)という感じで、しばらく休憩しなくては、買い物にもいけませんでした。
そんなこんなで、いいかげんに通いながらも、旦那はあけて3月に赴任。出産は5月。当然、いそげはアメリカで出産も可能だったのですが、標準よりかなり大きなおなかというのもあって、日本で出産、首が据わってから出発することに。
ところがー。
ところがなんです。借りていたマンションは条件つきのところで、大家さんが近く自分が住むために維持していた物件で、3月には出なくてはならなかったのです。あの神戸の大震災の直後に結婚したので(結婚式もできるかどうか確認にいったくらいですから)住居の選定はかなり難しく、このマンションは夫婦ふたりで住むには大きすぎるものだったのですが(3LDK)ここしかもう空きがなかったという状況下で借りたものだったのです。
おなかは大きいわ、引越しだわ、しかも海外引越し便なので、コンテナに置いていくもの、船便にするもの、航空便にするもの、おのおのの実家に置いていくもの、と細かく分けなくてはいけません。それほど物は多くないはずでしたが、大きな住居に住んでいると自然と物は集まっているものですねー………。
とにかく、わたしも出発まで実家にいようと思ったものの、折悪しく、というかおめでたく、というべきか、弟がその年の7月に結婚することに。で、同居するというのです。うーん。
仕方がないので、6月いっぱいまでは実家にいて、7月からは旦那の実家にお世話になることに。結局、姑さまには9月いっぱいまでお世話になりました。
姑さま、あなたの老後は安泰です。安心しててね。

というわけで、うちの息子、たけるくんは、生後すぐから住居を点々としながらさすらいの生活をスタートさせたのでした………。

4ヶ月。秋空をアメリカに向けてわたしたちは出発しました。なんと、生まれてはじめて、ビジネスクラスのシートに座らせていただきました。うーん、快適--っ。あとから旦那いわく「一生に一度あるかないか」のシートだそうな。息子は一番前のバシネットに乗せてもらったものの、生まれた時から結構大きめサイズの彼は、今にも落ちそう。寝返りはまだほんのすこし、という4ヶ月のベビーだったのに、なんだか怖かったです。でも彼は結構いい子で(よく泣いたけど、今から考えるとたいしたことなかった)ロサンゼルス着。パパお迎え。「大きくなったねー」と抱っこしてもらいました。

新しいおうちはコンドミニアムというタイプで、一戸建てではありませんでした。でも、アパートとは違って、自分の住んでいるところの上にも下にも人は住んでなくて、物音はほとんど聞こえません。それにUCIにとても近くて、静かで、大きな公園が目の前にあって、なかなか快適なところでした。それに思っていたアメリカンハウスほど広くなくて、住み心地がいいんです。
日本にいるときから、あまり広いところは掃除が大変だし、ほどほどのところにしてね、と旦那にいっていたとおりの物件を見つけてくれたもよう。ありがとね。
でもこのあたりは家賃が高いのです。アーバインという町はできてから30年ほどだそうで、もともとは砂漠の真中だったらしい。で、水を引いてきて、町を作ったものの、わたしたちがこしてくる1996年までは引いてこられる水の量が足りなくて、新しい家の建設は禁止されていたのです。
しかし1998年ごろから急速にイチゴ畑などが宅地化され、アーバインはどんどん巨大化しています。ものすごいです。そうして家賃も2001年現在、東京都下より高いのではあるまいか、という高騰ぶりで、アパートだってものすごい。10万円以下でこの町には住めません。

右も左もわからぬわ、英語はまともに話せないわ、会社の奥さんたちは知っているけど、その他には友達もない。こんなないないづくしのなかではじまったわたしのアメリカ生活。しかしよく考えたら、よくこんな状況で、アメリカに行こうなんて思ったよなー………。つくづくわたしってムボー、と思ってしまう(笑)。



まずはじめにつまずいたのは、スーパーマーケットでした。旦那に付き添ってもらってはじめてのお買い物をしてみることに。
キャッシャーでいよいよ順番、となったとき、旦那は「あっちで見てるから」と向こうへいってしまいました。わたしはクレジットカード(日本製)を握り締めて、覚悟を決めていましたが、まず、それを差し出したとき、なにかいわれました。どうやらなにか見せろといっているらしい。三回くらい聞き返して、どうやら身分証明書らしいと判明。わたしは唯一の身分証明であるパスポートを提示しましたが、ノー、というのです。なにぃっ。
あとでわかったことですが、アメリカではドライバーズライセンス(仮免でも発行してくれる)という写真つきの身分証明書は、その人のクレジット暦にアクセスできるらしく、つまり、その人がちゃんと貯金残高を持っているかどうかを即座にお店の人は知ることができるらしいのです。パスポートはもちろん、そんなことわかりませんよね。だからキャッシャーのおばさんは執拗にわたしにIDプリーズといったわけです。
しかしないものはない。青くなっているとさすがに旦那が飛んできて、マネージャーを呼びました。マネージャーはしばらく旦那と問答していましたが(これもかなりしどろもどろ。旦那の英語力もたいしたことないな、と感じてしまいました。ごめーん………)とりあえず、クレジットカードで決済できました。

旦那はこれにこりて、急いでわたしの名前の入ったチェックブックをオーダー。しかしあとからわかったことですが、このチェックブックにこそ、IDが必要だったのです。(これを使うときは必ず電話番号を聞かれますからね)



そうはいってもそう簡単には免許は取れない。アメリカでは簡単とはいうけれど、なにしろ言葉のハンデが大きすぎる………。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

5/14

水曜日、ヤマハの体験無料レッスンにいってきました。音感を全面的に押し出して音感をつけるためのレッスンだとディレクターは連呼するのですが、わたしにはあの模擬レッスンではどこがその音感レッスンだったのかわかりませんでした。たぶん、あの付属テープを毎日聴かせることなんだろうな、と想像しています。(その日、プレーヤーの調子が悪いらしく、それは視聴させてもらえなかった。あれが聴きたくていったのに)

まあ、不満がかなり残る模擬レッスンだったわけですが、とりあえず行くことに決定。悪ガキは結構楽しんでいて、半年くらい通うのも悪くないかな、と思ったから。でも、発表会にすぐに出ろというのは賛同できなかったので(あれはやっぱり子供がそれなりに練習を積んで、子供がそれなりに心の準備ができてから出演して、はじめて実益のあるものではないか、という気がするんですが、みなさんはどうお考えでしょうか)発表会が終わってからの参加にしました。

先生はまだ若くてアジア系の女性。化粧っけがなくて、かわいらしい人。歌はあまりうまくないけど、音感はなかなかよさそう。もうちょっと大きい声で歌ってくださると、うれしいな、という感じ。(わたし、ちょっと点数辛いかな?)

日本のレッスンはヤマハではなくカワイしか知らないのですが(もと、わたしの職場でしたから)アメリカのレッスンはかなり先生からの指示が明確できっちり「やらせる」という感じがします。わたしがレッスンしていたときは三歳の子供に「やらせる」というのではなく「誘って」「乗らせる」というレッスンをしていたので、かなり違和感があります。日本ではレッスンに起伏をつけて、子供の集中がつづく五分が限界とみて、次々に新しい興味をそそらせる言葉かけ、音などを与えて、目的地に先導していくという形式でしたが、こちらのはひとつひとつが独立しすぎていて(ひとつひとつの目的ははっきりとわかるのですが)、ひとつのことが終わったらまた、一から違うことをはじめるという感じで、レッスンに盛り上がりがないんですね。なんか物足りない感じで終わってしまう。

こんなこと感じるのわたしだけなのかなあ。


8/3

なんかねー、違うんですよ、3歳のコースなので、リトミックとか音感が中心だとおもったんだけど、体を動かすこと少ないし、かといって音感やるのはほんの1,2分だし。体験レッスンの説明と違うなーと。

息子はあんまり楽しくないみたい。英語がわからないだけにしてはあまりにも違うことばっかりしすぎるし(というか無理矢理逆らっているように見える)プリスクールでは先生が「英語はよく理解している」なんていってくれているのに。

今月いっぱいでここのおけいこはおしまいにして、一月くらいいろんな教室の体験受けさせようかな、とおもっています。体操教室系のほうがやっぱりあってるみたいだなあ。それとも冬くらいまで待って、スズキメソッドのバイオリンにいれるか、4歳になるまで待ってチェロの先生のところに連れて行くかしてみようとおもってます。

前途多難です。


2000/1/10

最近、彼は「自分は英語が話せる」とおもい込んでいる。いや、そりゃまあ、話せないこともない………通じていないこともない………のだが(笑) 長い冬休みの間、することもなく、時間をつぶすために公園に毎日毎日通っていましたが(午前中は大掃除とおせち、クリスマスなどの料理の下準備などで大変大変忙しかったので、午後からです)、おんなじような目的の親子連れがたくさんいまして(笑)彼はたちまち友達になるという特技を発揮。彼より小さいか同年齢くらいだと彼の英語で通じるのですが、少し大きくなると、「おまえの英語はわかんないよ、どこからきたの?」とさんざん聞かれる始末。でも、よくしたもので、とあるツインズの男の子のおかあさんは「あの子は日本語ができるんだよ、英語を教えてあげて、日本語を教えてもらいなさい」と口添えしてくれ、彼にせっせと英語を教えてくれました。

おもわず、これが日本だったらどうかなぁ、と考え、なんか寒くなったのね。日本に帰っても、世界各国日本語わかんない人たちには優しく親切になろうって親子で決意する日々を過ごしております………。

アメリカ、アーバインにお住まいの方々、本当にいつもお世話かけております………(って日本語でかいてもなぁ)

この図太い性格と人懐っこさは、音楽より、演劇なんかの方が向いているかもしれない、と思わず感じた親馬鹿ちゃんちゃきでした。