さんたさんとの対話
この対話は、「神との対話の掲示板」で行われました。
発言者:ゆたか
>悪い事は、起こらないほうが良いに決まっている。
悪いことは起こらないんだよ(笑)
発言者:さんた
>>悪い事は、起こらないほうが良いに決まっている。
> 悪いことは起こらないんだよ(笑)
そうですね。私もそういう言い方をすることもありますが、
今は、フィンドホーンのアイリーン・キャディさんのいう
「すべてはよきことのために起きている」の方が正確だと思います。
善悪を超えた上で、善いことや悪いことを論じれるのは、
「善悪を超える」ということが、古いパラダイムの善悪を超えるという意味だからです。
新しいパラダイムで考えると、
すべてはよきことのために起きている、のであり、
悪いことも起きているがそれは善きことのために起きているということだと思います。
ゆたかさんが「悪いことは起こらないんだよ」と言う時の
「よいこと、悪いこと」の判断基準はなんですか?
私は統合に向かうことがよきことで、分離に向かうことが悪いことだと思います。
しかし、「その分離に向かうこと」とその結果でさえ、
よきことへ向かう気づきとしての意味を持つという点から
その人にとってみれば悪いことではない、と言えるのだと思います。
しかし、今回のテロ事件が気づきのためになるからとしても、
統合から離れたという意味においては、悪いことだとも言えるということです。
アメリカの報復がなくても人々に気づきがあれば、
それは意識が統合へ向かうということであり、
報復は不要になる、それは望まない、ということ、
そういうことを「悪い事は、起こらないほうが良いに決まっている。」
と表現しているのだと思うけど。
発言者:ゆたか
>ゆたかさんが「悪いことは起こらないんだよ」と言う時の
>「よいこと、悪いこと」の判断基準はなんですか?
判断基準はありません。判断してないからです(^^;
起こることはだだ起こっています。
そこに、良い、悪い、という意味をつけるのは我々です。
だから、意味をつけないこともできます。
もっとも、わたしは「悪いことは起こらない」と言った理由には
次のような意味も含まれています。。。
最高の(神の)意識から言えば、すべてが完璧ですから、
良いことしか起こりません。
つまり、悪いことは何も起こらないってことですね。
↑絶対的な概念を表現すると、言葉を超えてしまいます。
言葉的には矛盾が生じていますね(笑)
神の意識から言えば、「良い」も「悪い」もないからです(^^;
起こることをすべて受け入れなさい
すべてを祝福しなさい
神とは喜びである
(^^)
>ゆたかさんが「悪いことは起こらないんだよ」と言う時の
>「よいこと、悪いこと」の判断基準はなんですか?
ちょい、補足。
起こることは中立だと言うのが最初の趣旨です。
最初から「悪い」ものは何も無いということです。
晴れて欲しいと思っているときに雨が降ると、雨は「悪い」ことかも知れませんが、
雨が降って欲しいと思っているときに雨が降ると、雨は「良い」ことになります。
起こることが「中立」なら、次のようにも言えます。
「良いことは起こらないんだよ。」
でも、「良いことは起こらないんだよ」というのと、「悪いことは起こらないんだよ」
というのとどちらが好きですか?
「悪いことは起こらないんだよ」と言えば、
わたしの考えを理解できなくても、
それを読んだ人は希望を持つことが出来ます。
人々は、世界は、「恐れ」でなく、「希望」から行動するのが良いと思います(^^)
発言者:さんた
> 起こることは中立だと言うのが最初の趣旨です。
> 最初から「悪い」ものは何も無いということです。
まったくそのとおりだと思います。(^^)でも、
> 「良いことは起こらないんだよ」というのと、「悪いことは起こらないんだよ」
> というのとどちらが好きですか?
もちろん、前者です。
すべてが中立であることを理解したうえで、
二極化を楽しみのために使うとすれば、どうすればよいのか?
それは結果が何であれ、自分に必要なことが起こることを知った上で、
起きた事は受け容れる心構えで、望み、希望を持つことです。
否定から始まった望み、希望によって喜べるのは、
望み、希望が達成された瞬間だけです。
肯定から始まった望み、希望の場合は、
結果に頓着(とんじゃく)しませんから
結果に至るすべての過程を楽しむことができます。
おりおんくんの考えがそこまで深いものとは思えませんでしたが、
その話の脈絡において
「悪い事は、起こらないほうが良いに決まっている」
という言葉に対して、
「すべては中立なのですよ」と答えるのと、
悪いこととは目的に適わないこと、と考えれて
「まったく、その通りですね」
というのとどちらが好きですか?(笑)
>「悪いことは起こらないんだよ」と言えば、
> わたしの考えを理解できなくても、
> それを読んだ人は希望を持つことが出来ます。
「まったく、その通りですね」と言えば、
おりおんくんの考えが今はまだ浅いものでも、
おりおんくんは希望を持ち、
二極化を楽しむという考えを深めることができるかもしれません。(^^)
発言者:ゆたか
>否定から始まった望み、希望によって喜べるのは、
>望み、希望が達成された瞬間だけです。
>肯定から始まった望み、希望の場合は、
>結果に頓着(とんじゃく)しませんから
>結果に至るすべての過程を楽しむことができます。
否定/肯定を物事の始まりとみなして重要とする考えが
さんたさんの考え方の基本となっているのはわかります。
そういうふうに分類できる個別の事例も想像ができます。
しかし、すべてがそのように明確に分類できるものでも
ないかなと思います。
また、分類できたとして、分類して指摘するのが、
相手にとって効果的な方法かどうかは、さらに疑問です(^^;
>おりおんくんの考えがそこまで深いものとは思えませんでしたが、
>その話の脈絡において
>「悪い事は、起こらないほうが良いに決まっている」
>という言葉に対して、
>「すべては中立なのですよ」と答えるのと、
>悪いこととは目的に適わないこと、と考えれて
>「まったく、その通りですね」
>というのとどちらが好きですか?(笑)
まず、わたしは、この発言において、特に相手を意識していません。
したがって、発言者の考えの深さはあまり気にしていません。
また、相手を意識して書いている場合であっても、他の人がその文章を
読むことを知っていれば、相手だけに書いている文章とは自然と
内容が異なってきます。
また、わたしは、「すべては中立なのですよ」とも言っていません。
上記の二つのフレーズは、どちらも、わたしの選ばない選択です。
そして、さんたさんのいつもの選択は前者
(「すべては中立なのですよ」と答えること)であること
が多いように感じますが、最近、考えを変えたのでしょうか?(笑)
>>「悪いことは起こらないんだよ」と言えば、
>> わたしの考えを理解できなくても、
>> それを読んだ人は希望を持つことが出来ます。
>「まったく、その通りですね」と言えば、
>おりおんくんの考えが今はまだ浅いものでも、
>おりおんくんは希望を持ち、
>二極化を楽しむという考えを深めることができるかもしれません。(^^)
人が誰からより大きな影響を受けるかは誰にも分かりません。
その人の過去の体験、現在の状況、相性の問題にもよりますし、
最終的には、それはその人の選択です。
ある人が「この人の考えは素晴らしい」と感動しても、
他の人は全くそう思わないということは良くあることです。
人は必要なときに、必要な人から学んでいきます。
大切なことは、必要なときに、必要な人を選べることです。
つまり、教師は多いほうがいいのです(^^)
一部の人のために、「すべての人がすべての人の教師である」
と付け加えておきましょう(笑)
# 子供には、多くの大人に合える機会を与えましょう(^^)
発言者:さんた
> 相手にとって効果的な方法かどうかは、さらに疑問です(^^;
効果的?面白いこと言いますね。(笑)
>> 最高の(神の)意識から言えば、すべてが完璧ですから、
>> 良いことしか起こりません。
だとしたら、最適なんじゃないですか?
私は効果的かどうかなどという肉体としての私の力の及ばぬことに
価値を置くことはやめました。(そうしたいときは別として(笑))
そういうことは、宇宙にお任せしております。
> また、わたしは、「すべては中立なのですよ」とも言っていません。
2423の
> 起こることは中立だと言うのが最初の趣旨です。
> 最初から「悪い」ものは何も無いということです。
>
> 晴れて欲しいと思っているときに雨が降ると、雨は「悪い」ことかも知れませんが、
> 雨が降って欲しいと思っているときに雨が降ると、雨は「良い」ことになります。
ここでそう言っているのかと思いました。こりゃ失礼。
> (「すべては中立なのですよ」と答えること)であること
> が多いように感じますが、最近、考えを変えたのでしょうか?(笑)
変わっていないですよ。
全ては中立で、良いことかどうかは自分の考え方によるのだから、
悪いことと思うことも、観念を変えれば良いことにもなる、ということです。
そして、その観念を変えるということは、
既存の価値観ではなく、ニューエイジ的な価値観を選択することだ。
ということです。
発言者:ゆたか
>> 相手にとって効果的な方法かどうかは、さらに疑問です(^^;
>効果的?面白いこと言いますね。(笑)
我々が何か行為をするのは、この世界に自分の求める変化を
もたらすためであって、その行為が変化に結びついたときに、
それを効果があったと言います。そして、効果が早く現れたり、
効果が大きかったりすると、効果的であるといいますね。
この世界に自分の求める変化が現れることは「目的」であり、
何か行為をするのは「方法」です。そして、「方法」により、
「目的」が達成される度合いが「どれだけ効果的であるか」です。
「目的」を達成するために「方法」があるわけですから、
当然ながら、我々は「効果的」(であると考えられる)「方法」を
選択しようとします。それは、自然なことだと思います。
どのような「方法」を選択するかということと、
その選択の結果として起こることを受け入れること
は別のことです。
これで、回答になっているかな?(笑)
>> また、わたしは、「すべては中立なのですよ」とも言っていません。
>> 起こることは中立だと言うのが最初の趣旨です。
>> 最初から「悪い」ものは何も無いということです。
>ここでそう言っているのかと思いました。こりゃ失礼。
わたしは論点は以下のやりとりだと思っていますので、
上記の説明になっています。
つまり、「すべては中立なのですよ」は伝えたい趣旨の一つです。
趣旨を伝えることを「目的」とすれば、その「方法」として選択
したのが、以下の発言「悪いことは起こらないんだよ」です。
>>悪い事は、起こらないほうが良いに決まっている。
>悪いことは起こらないんだよ(笑)
ここで、大切なことは「趣旨」、「わたしの発言」、「そこから
相手が何を得るか」はすべて別のことだということです。
細かいことを気にしなければ、
「意図」「方法」「結果」と言ってもいいですね(^^)
「すべての聖なる言葉は直感的だ」(CWG)
というのがあります。
直感的な言葉は、抽象的です。
抽象的な言葉は、多様な意味を含みます。
したがって、多くの人が、
それぞれに必要な意味を受け取れるということになります。
わたしの言葉はときどき抽象的です。
それは上記の理由によります。
そして、わたしは直感的に書いています(笑)
# 言葉の内容が直感的であることと、その言葉を得る行為が
# 直感的に行われることには違いがあると思うのだけれども。
# CWGの言葉自体が抽象的(直感的?)なので、どちらを
# あるいはどちらをも意味しているのかは、何とも言えません(^^;
# 別の言い方をすれば。。。
# わたしは、ほとんど考えていないとも言える(爆)
# そんな何気ないわたしの言葉の意味を考えると、内容が
# ここまで広がってしまうことに、わたしは感心しています(自爆)
>> (「すべては中立なのですよ」と答えること)であること
>> が多いように感じますが、最近、考えを変えたのでしょうか?(笑)
>変わっていないですよ。
「悪い事は、起こらないほうが良いに決まっている。」
に対するレスとして
1.「すべては中立なのですよ」
2.「まったく、その通りですね」
今回は、1.ではなく、2.を選択されているようだったので、
そのように聞きました。
発言者:さんた
ゆたかさんは分かっているけれど、考えが整理されていないようですね。
ゆたかさんの最初の答えは、最後の言葉に対する私がしたい答えと同じです。
> この世界に自分の求める変化が現れることは「目的」であり、
何か行為をするのは「方法」です。そして、「方法」により、
「目的」が達成される度合いが「どれだけ効果的であるか」です。
つまり、このことをさして私は
>「悪い事は、起こらないほうが良いに決まっている。」
に「そうですね」と答えているわけです。
(この時点ですでにおりおんくんの考えとは違っているようですが)
中立であり、すべて善きことのために起きている贈り物であったとしても、
人生を楽しむときには、平坦であるより山と谷があることが必要なのです。
そのためには、敢えて『望み』を持つことがポイントです。
その望みが達成されることが良い事で、達成されないことが悪いことになりますね。
実際に今回のテロ事件に関して、
人類に対する気づきのために必要な出来事だ、と言っている人もいました。
中立であり、すべて善きことのために起きている贈り物だと考える人も、
報復から長い戦争に至らないことを望む人も多かったのではないかと思います。
次に、前の件に関してですが、
たとえば、AさんがBさんの気づきのために言葉をかけたいと思ったとき、
どのように言えば一番効果的か考える、とゆたかさんは言っているのですよね?
そのためには、
言いたいと思うことの80%に抑えたほうがいいという結論になるかもしれないし、
人を介して伝えたほうが良いという結論になるかもしれません。
しかし、私が言いたいのは
自分の望みと神の意図(面倒なのでこう言います)は違うかもしれないということです。
それは、AさんはBさんのためと思ったけれど、そのことが、宇宙的に(神から)見たら、
二人を見守るCさんの気づき、他のための出来事かもしれないからです。
実際は、ABCさんすべて+もっと、だと思うけれど。
つまり、私が言いたいと思ったとき、それを素直に100%実行することが
私らしいことであり、宇宙(神の意図)に一番貢献している、と考えているということです。
自分の楽しみ(目的)のために手段を弄するのが楽しければそうすればいいし、
ストレートに言いたければ、そうすればいい。ということです。
例題のような出来事のとき、
神はこう考えているかもしれない。
Aよ、誰かが望む結果のために効率を考えるより、
自分らしくあることを選ぶチャンスだよ。
Bよ、Aが言うことがエゴとして気に入らなくても、
それをあるがままに贈り物として受け容れるチャンスだよ。それが本当のあなただよ。
Cよ、AとBにあなたの思いを伝えるチャンスだよ。
思うことは行為にしなければならないのだよ。
と。
いずれにせよ、出来事状況には、100もの要素があり、その影響は100にも及びます。
わたしたちが予測できるのはわずかです。
そのために自分らしく在ることができないとしたら
一番の目的『あるがままの(素の)自分であること』から外れてしまうということです。
発言者:ゆたか
すこし忙しくなってきたので、ゆっくりと、簡略にいきます。
>ゆたかさんは分かっているけれど、考えが整理されていないようですね。
何を持って考えが整理されていないと言っているのか
良く分かりません。
>ゆたかさんの最初の答えは、
>最後の言葉に対する私がしたい答えと同じです。
これもよく分からないな。。。(^^;
最初の答えというのは、「効率的」に関する説明で、
>「我々が何かをするのは、
>(中略)
>どのような「方法」を選択するかということと、
>その選択の結果として起こることを受け入れること
>は別のことです。」
という部分だと思いますが、最後の言葉というのは、
>「悪い事は、起こらないほうが良いに決まっている。」
>に対するレスとして
>1.「すべては中立なのですよ」
>2.「まったく、その通りですね」
>「今回は、1.ではなく、2.を選択されているようだったので、
>そのように聞きました。」
これのことなんだろうか?
わたしが示唆したのは、別にどちらを選択しても良いのだけれど、
A.2.を選択するという行為
B.以下での回答
が対立しているように見えたということです。
ゆたか>(「すべては中立なのですよ」と答えること)であること
ゆたか>が多いように感じますが、最近、考えを変えたのでしょうか?(笑)
さんた>変わっていないですよ。
で、今回のレスから推察するに、
>「すべては中立なのですよ」と答えること
は文字通りの意味ではなく、「まったく、その通りですね」と答えること
を含むということになるのだけれど。。。まあ、どうでもいいか(笑)
>つまり、このことをさして私は
>>「悪い事は、起こらないほうが良いに決まっている。」
>に「そうですね」と答えているわけです。
このこととは、「効果的」の話ですから、
つまり、「効果的でないことは起こらないほうが良いですね」
と言っていることになりますが。。。
やっぱり、わたしはそうは答えないでしょう(笑)
それは、さんたさんの言葉を使えば、次の通りだからです。
>自分の望みと神の意図(面倒なのでこう言います)は
>違うかもしれないということです。
わたしの言葉を使えば、「すべてが完璧だから」です。
>わたしたちが予測できるのはわずかです。
>そのために自分らしく在ることができないとしたら
>一番の目的『あるがままの(素の)自分であること』
>から外れてしまうということです。
「効率を追求すること」と「自分であること」が
矛盾する考えであるとは思いません。
効率的であるために、自分でないこともできれば、
効率的であるために、自分であることもできます。
つまり、「効率を追求すること」は「自分であること」
の表現の一つに成り得ます。
「効率」であっても、何であっても構いませんが、
人が、その人の基になっている考えに基づいて行動するとき、
それが、その人自身を表していることになります。
発言者:さんた
> わたしの言葉を使えば、「すべてが完璧だから」です。
つまり、霊的に成長して、いわゆる悪いことが不要になれば、
悪いことは起きなくなります。
>「悪い事は、起こらないほうが良い」
霊的に成長したいと望む人にとって、悪いことは起きなくなるということは、
その必要がなくなった、成長した、ということだし、
成長すれば、「すべてが中立で、完璧だ」と分かるわけで、
>「悪い事は、起こらないほうが良いに決まっている。」
に対し、どの意識レベルの人に対しても、それが言えるわけです。
だから
「まったく、その通りですね」
ということです。
ゆたかさんの言いたいことも良くわかるし、
私もそういう言い方をすることもあります。
どっちでもいいんです。見方を変えれば、どちらも正しいのだから。
というわけて・・・・・まあ、どうでもいいや(笑)
発言者:ゆたか
お後がよろしいようで。。。
# きっと我々は漫才やってたんだな、うん(爆)
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