テトラレンマさんとの対話


この対話はテトラレンマさんとの間で掲示板により行われました。以下の内容は掲示板での遣り取りの内容にほぼ忠実ですが、明かに関係無い話題、不必要と思われる部分はカットしています。しかし、掲示板からの抜き出しという性格上、どうしても分かり難い部分があるかも知れません。

発言者:ゆたか

泉>???縁起せずに存在しているものは無いのでしょう??? 
を!
マスター泉から、鋭い指摘!(笑)

泉>それから、「自我」というのは何を差して言うのでしょうか?
あまり、沢山、質問するとテトラレンマさん混乱しますよ(^^;
それとも、読んでいる我々が混乱するのだろうか。。。(^^;

発言者:テトラレンマ

☆仏教では、「自我」というものはありません。
これでは説明になっていませんね。(^^;;

>>それから、「自我」というのは何を差して言うのでしょうか?
>あまり、沢山、質問するとテトラレンマさん混乱しますよ(^^;
>それとも、読んでいる我々が混乱するのだろうか。。。(^^;
それより「自我」について何か知っているなら書いてください。(^^;;
わたしの説明のどこがいけないのか参考にします。m(_4_)m

発言者:ゆたか

>それより「自我」について何か知っているなら書いてください。(^^;;
自我は真我と対をなす言葉だと思っています。

自我=我=アートマン=心=偽物の我=表面上の我=エゴ(=縁起)
真我=梵=ブラフマン=魂=本物の我=深遠なる我=慈愛(=空)

自我は個を全体から区別する言葉であり、そのために存在し、
真我は全体を個から区別する言葉であり、そのために存在します。

>わたしの説明のどこがいけないのか参考にします。m(_4_)m
それでは。。。

1>縁起せずに存在するものは無い(タイトル)
2さんた>縁起せずに存在し、他と区別できるものは、いったいどのような
3さんた>もの、状態を考えているのですか?
4>他によらずに存在するものです。
5>他によるとは、穴は壁によって存在するということです。
6>壁は穴にはよりませんが、壁が何ものにもよらないで
7>存在できるならば、それは他と区別できるといえます。 

1行目で「縁起せずに存在するものは無い」と言っています。
ところが4行目ですでに
「(縁起せずに存在するものは)他によらずに存在するものです。」

もう、ここで矛盾しています。無いといったものが有ると言っているのです。

そして、6、7行目では壁が「他によらずに存在する」可能性を
示唆しています。
つまり、「縁起せずに存在するもの」が有る可能性はますます高く
なりました。

つまり、最初に否定しておきながら、後で肯定しているわけです。
まったくの矛盾です。

結局、これらの文章を読むと。。。

「この人は何もわかっていないのでは?」という印象を与えます(^^;

発言者:テトラレンマ

> >それより「自我」について何か知っているなら書いてください。(^^;;
> 自我は真我と対をなす言葉だと思っています。
> 自我=我=アートマン=心=偽物の我=表面上の我=エゴ
> 真我=梵=ブラフマン=魂=本物の我=深遠なる我=慈愛
> 自我は個を全体から区別する言葉であり、そのために存在し、
> 真我は全体を個から区別する言葉であり、そのために存在します。
> 
私の場合、
自我=我=アートマン=真我です。
ブラフマン=真我=梵我一如です。
と定義します。
(注意:梵我一如が事実であると認めている発言ではありません。)
そして、自我=我=アートマン=真我は、実体が無い=空であると申し上げています。

> >わたしの説明のどこがいけないのか参考にします。m(_4_)m
> それでは。。。
以下の件は、さんちゃんとゆたかさんで受け取り方がことなりましたね。

------------------------------------------------------------------- 
> 1>縁起せずに存在するものは無い(タイトル)
> 2さんた>縁起せずに存在し、他と区別できるものは、いったいどのような
> 3さんた>もの、状態を考えているのですか?
> 4>他によらずに存在するものです。
> 5>他によるとは、穴は壁によって存在するということです。
> 6>壁は穴にはよりませんが、壁が何ものにもよらないで
> 7>存在できるならば、それは他と区別できるといえます。 
> 
> 1行目で「縁起せずに存在するものは無い」と言っています。
> ところが4行目ですでに
> 「(縁起せずに存在するものは)他によらずに存在するものです。」
> 
> もう、ここで矛盾しています。無いといったものが有ると言っているのです。

なるほど、ゆたかさんが、この文章をそのように受け取ったということが
わかりました。

2さんた>縁起せずに存在し、他と区別できるものは、いったいどのような
3さんた>もの、状態を考えているのですか?
この質問の意図は「縁起しないものの状態」についての説明を求めています。
「縁起しないもの」が存在するかしないかという質問ではありません。
質問:縁起しないものの状態というのは?
> 4>他によらずに存在するものです。
したがって、答えとしては、これで合っているはずです。
質問の意図にそった答えです。
プログラマにとって、
「他によらずに存在するものです。」という言葉は、
1.他によらずに存在するものが存在する。
ともいっていないし、
2.他によらずに存在するものが存在しない。
ともいっていないということです。

わたしが以前、”総合的に判断して”と断ったのは、そういう意味です。
1行目のタイトルは、4行目の発言を想定して、
あらかじめ結論を、断っておいたものです。
------------------------------------------------------------ 
> そして、6、7行目では壁が「他によらずに存在する」可能性を
> 示唆しています。
> つまり、「縁起せずに存在するもの」が有る可能性はますます高く
> なりました。
> 
> つまり、最初に否定しておきながら、後で肯定しているわけです。
> まったくの矛盾です。
違います。
☆ 証拠 1580
☆縁起しないものはどういものかという問いだったので、
☆あのような答えになりました。

くりかえしますと、縁起しないものは、"こういったもの"で、
結局、"こういたもの"は存在しないのだから、
すべては縁起しているという論法です。帰謬法といいます。

> 6>壁は穴にはよりませんが、壁が何ものにもよらないで
> 7>存在できるならば、それは他と区別できるといえます。 
ここで重要な部分は、
「壁が何ものにもよらないで存在できるならば」と仮定している
ところです。あとで、その仮定を否定しています。
さんちゃんが指摘したとおり「壁は大地に依存している」ということが結論です。
☆ 証拠1565
☆ただし、壁は、穴には依存しませんが、たとえば大地に依存していますね。

> 結局、これらの文章を読むと。。。
> 
> 「この人は何もわかっていないのでは?」という印象を与えます(^^;
> 
わたしの文章は、上から下へ、右から左へ読んでください。
また、文章の途中で結論をださず、文章の最後まで読んで、
総合的に判断してください。
また、他のページにかかれていることも考慮して判断していただければ
確実ですね。
マニュアルを読むときの鉄則です。

発言者:ゆたか

★ >わたしの視点には、”わたし”を含まないようにしています。
それ、無茶苦茶じゃないですか?(^^;
言葉の論理からして、間違っているような気がしますが(^^;

★ (いろいろな教えが、ごちゃごちゃで良く分からないという)飛鳥さんの指摘
それは、わたしも感じるところです。
「これは〜です」とテトラレンマさんが言うことがあります。
で、いろんな人が質問してみると、
原始仏教ではそうです。わたしが思いました。釈尊はこう言いました。
伝統的解釈ではそうです。原始仏教以外ではそうです。
などと言う答えがランダムに!(読み手としては(^^;)返ってきます。

★ 論理的には正しいか?それで、それは理解されるのか?
テトラレンマさんの言っていることは、
確か論理的には正しいこともあります。
しかし、良く考えてみてください。
読んでいる人々はスーパー・コンピュータでもなければ、
ジグソー・パズルをしているわけでもなく、
ましてや、テトラレンマ学を研究するため、世界中から
資料を集めて研究しているわけでもありません。

すべての論理を繋ぎ合わせろとか、それはあちこちに散らばして
書いてあると言われても、読者は理解してくれません。
まず、理解してもらいたいと思うなら(!)
誤解を避ける文章を書くべきでしょう。
それは、主張が一貫していて、それがわかりやすいことです。

論理的に合っていることと、それを読者が理解してくれることは別です。

もちろん、誰にもミス(間違い)はありますが、
少なくとも、そう努力することが大切だと思います(^^)

発言者:テトラレンマ

>★ >わたしの視点には、”わたし”を含まないようにしています。
>それ、無茶苦茶じゃないですか?(^^;
>言葉の論理からして、間違っているような気がしますが(^^;
ええと?
この問いに関して、泉さんへの返答を見ていただいていますでしょうか?
[No.1604]
☆自分の意見を差し挟まない、という程度の意味で捉えていただければ

☆よろしいかと思います。
☆つまり、科学者が、なるべく客観的にものごとを見ようとする姿勢を

☆見習っているつもりです。

わたしが、ゆたかさんへ何と答えるべきか、[No.1604]をゆたかさんが
見ているか、みていないかによって変わってきますね。
通常であれば、すでに見ているものとして返答しますが、
今回は、おそらくみていないのだろうと判断し[No.1604]を引用しました。

>まず、理解してもらいたいと思うなら(!)
>誤解を避ける文章を書くべきでしょう。
>それは、主張が一貫していて、それがわかりやすいことです。

>論理的に合っていることと、それを読者が理解してくれることは別です。
なるほど、今回のご指摘で、その辺がすれ違っていたことは、
よくわかりました。m(_4_)m
これからは、いわないでもわかるだろうと思うことも、
なるべく解説するようにします。

-----------------------------------------------------
わたしが、釈尊の仏教にこだわっていると感じている人へ

多くの場合、わたしは釈尊の教えを引用して根拠としますが、
わたし自身は、釈尊の教えではなく、プレアデス人の教えに
従っています。(^^)
釈尊の教えを引用するのは、プレアデス人の本を引用するより、
理解しやすいと考えるからです。
-----------------------------------------------------

>わたしの視点には、”わたし”を含まないようにしています。
おそらく、誤解されやすい表現なのでしょう。
補足しますね。

☆わたしの視点には、”わたしの損得”を含まないようにしています。
☆わたしの視点には、”わたしの知識”を含まないようにしています。
☆わたしの視点には、”わたしの常識”を含まないようにしています。
☆わたしの視点には、”わたしの判断”を含まないようにしています。

発言者:ゆたか

>今回は、おそらくみていないのだろうと判断し[No.1604]を引用しました。

それは、賢明だと思います。実際には見ていましたが。。。

>自分の意見を差し挟まない、という程度の意味で捉えていただければ
>よろしいかと思います。
>つまり、科学者が、なるべく客観的にものごとを見ようとする姿勢を
>見習っているつもりです。

それは、それで結構です。
でも、答えにはなっていないような気がします。
答えになっていないというよりも、テトラレンマさんの言葉の
使い方は他の人と随分と違うのかも知れませんね。
それでは、コミュニケーションが取れません。

「自分の意見がないのなら、あなたの存在価値はない」
くらいに、わたしは思いますね。
科学者だって、物事を総合的に判断した上で、自分の意見(理解)を
言うと思いますが。。。
でなければ、科学者の存在価値がないでしょう。

意見というのは、理解でもあります。
「宇宙には2000億の恒星がある」と言ったところで、
それは、理解であり、事実かどうかはわかりません。
理解とは意見であり、事実に対する解釈です。
それを分離することはほとんど不可能に見えます。

一歩譲って、事実だけを伝えることができて、
それに対する自分の意見は言わないとします。
すると、引用だけになって、自分の言葉がない
ことになります。。。
なるほど、他の人は、そんな理解のない引用だけの
言葉を見ても、理解できないでしょう。
これで、当ってるのかな?

>☆わたしの視点には、”わたしの損得”を含まないようにしています。
>☆わたしの視点には、”わたしの知識”を含まないようにしています。
>☆わたしの視点には、”わたしの常識”を含まないようにしています。
>☆わたしの視点には、”わたしの判断”を含まないようにしています。

すべて、不可能だと思いますが(^^;

もし、泉さんに書いたようなことが言いたいのなら、そのとおりに
言えば良いと思います。

「わたしは、できるだけ客観的に言おうとしています」とね。

そこに、わたしの損得、わたしの知識、わたしの常識、わたしの判断
など、わたしの視点と切り離せない要素を挙げるから、
(少なくとも読者には)わけがわからなくなるのだと思います。

>わたしの視点は、カメラのように

写真と言うのは、写真家の創作(自己主張)であって、
それが事実なわけではありません。

写真家は世界から見せたい部分だけを切り取り、
写真を見るひとが、通常の世界では味わえない感覚を
与えています。

事実のように見えるから、事実だと考えるのは間違いです。
それが、トリックです。
人は、事実のように見えるものにダマされやすいのです。

発言者:テトラレンマ

釈尊が「おのれこそおのれのよるべ」と教えても、
矛盾するとは誰もいわないのにもかかわらず、
プレアデス人の教えに従っています、と宣言して
「おのれこそおのれのよるべ」というと、
矛盾しているというご指摘をいただくというあたり
原因が、わたしにあるとは思えません。(^^;;

プレアデス人の教え
「わたしたちのいうことを信じてはいけません。」

発言者:ゆたか

>プレアデス人の教え
>「わたしたちのいうことを信じてはいけません。」

この信条に沿ってるから、テトラレンマさんの言うことは。。。
何言ってるのか分からないのかなあ。。。(^^;

だって、最後には。。。
「わたしの言うことを信じてはいけません」
だからね(笑)

つまり、何? 何が言いたいわけ? みたいな。。。(^^;

発言者:テトラレンマ

> >プレアデス人の教え
> >「わたしたちのいうことを信じてはいけません。」
> 
> この信条に沿ってるから、テトラレンマさんの言うことは。。。
> 何言ってるのか分からないのかなあ。。。(^^;

それは、ちがうと思いますよ。
なぜならプレアデス人の言うことは、よくわかりますから。(^^)
わたしの文章作成能力が未熟ということでしょう。

> だって、最後には。。。
> 「わたしの言うことを信じてはいけません」
> だからね(笑)
> 
> つまり、何? 何が言いたいわけ? みたいな。。。(^^;

何がいいたいかって?
わたしには主張というものが無い・・・じゃあだめ?

>「プレアデス人の教えに従っている」けれども、
>「無批判に信じているわけではない」というようなことを
>言いたいのではないかな?
そう指摘されると、そうかなとも思います。

ここで、「信じてはいけない」という言葉に対する、
各人の考え方の相違も、影響しているようです。

プレアデス人には、頼りにされたくない、という姿勢があります。
ですから、こちらも、プレアデス人を頼ってはいけません。

☆自分のことは、自分でする。
☆神に何とかしてもらうのではなく。
その一方で、
☆なんでもかんでも自分で背負い込まないように。
☆宇宙(あるところのものすべて)を信頼する。

☆わたしには主張というものが無い

人が何かを主張するとはどういうことか、ということを
ちょっと考えてみてください。
何かを主張するのは、実は、その何かについてよくわかっていない
ということです。

わかっていないことについては、"判断しない"という姿勢を
「わたしには主張というものが無い」と表現しています。

発言者:ゆたか

>何がいいたいかって?
>わたしには主張というものが無い・・・じゃあだめ?
だめ〜(笑)

主張がないなら、何も書かないってことだな〜
何か書くなら、それが主張だなあ〜
「主張がない」と書くなら、それが主張だにゃ〜

>>「プレアデス人の教えに従っている」けれども、
>>「無批判に信じているわけではない」というようなことを
>>言いたいのではないかな?
>そう指摘されると、そうかなとも思います。

「そう指摘されると」ってのがポイントね。
「そう指摘されないと」そうは思ってないわけだから。

で、そう指摘されない前では、そう考えていないということです。

当らずとも遠からじ(^^;

>わたしがプレアデス人の教えに従っているということは、
>「プレアデス人に依存しないように」という教えを、
>わたしが信頼しているということです。

和尚「すべての教えを捨てよ」
弟子「あなたの教えを守って、すべての教えを捨てます」
和尚「それを捨てよ」

>何かを主張するのは、実は、その何かについてよくわかっていない
ということです。
>わかっていないことについては、"判断しない"という姿勢を
「わたしには主張というものが無い」と表現しています。

新たな説が提案されました。

「主張する」=「わかっていない」=「判断する」

ほんとにそれでいいのか?(笑)

発言者:テトラレンマ

> >何かを主張するのは、実は、その何かについてよくわかっていない
> ということです。
そうですね。賢明なる読者諸君のご意見を伺いたいものです。(^^)の

> >わかっていないことについては、"判断しない"という姿勢を
> 「わたしには主張というものが無い」と表現しています。
うむ。これはわたしの主張ですね。(^^;;早くも矛盾が・・

> 新たな説が提案されました。
> 
> 「主張する」=「わかっていない」=「判断する」
> 
> ほんとにそれでいいのか?(笑)
> 
どう思います。(^^?

---------------------------------
補足・・になるかどうか・・

仏教における伝統的解釈
☆「仏は、真理について争わない。」(スッタニパータ)
なぜなら
☆「これのみが真実であると主張しない」(スッタニパータ)
から
---------------------------------

発言者:ゆたか

>☆「仏は、真理について争わない。」(スッタニパータ)
>☆「これのみが真実であると主張しない」(スッタニパータ)

ごもっとも、意義なし!(笑)

>わたしには、神に対する信仰心が無い、というだけで、
>かなり個性的だと思っています。(^^)

ほとんどの日本人って、信仰心ないんじゃないの?
すると、個性的でもないが。。。(^^;

泉>>いったいどいつが認識しとんのじゃい。
>GODが、認識することに他ならないのです。

>>>立場を中立に保ちたいと思っています。
泉>>誰にとっての中立やねん。」
>自分自身ですよ。

認識するのは神(GOD)?
自分にとって中立?

「認識するのは神」と認識しているのは誰だろう?
「中立を保つ」ようにしているのは誰だろう?

発言者:テトラレンマ

わざわざ大文字でGODと書いたのは、
(信仰の対象としての)神という概念と区別するためです。
大文字でGODについては、以前、波動の掲示板で説明しているのですが・・
ここに居られる方々が知っているわけが無いので、
再度、説明しますね。(って最初から説明しろってか)

それは、奇をてらったわけではなく、一度に全部話すよりは、
相手の反応を見ながら、どの辺に興味があるかで説明の仕方
が変わってくるというだけのことです。

さて、GODとは、あるところのものすべて、という意味で
使用しています。
もともと、GODとキリスト教のYHWHは別な存在でした・・
(そんなことをいうのもわたしくらいか・・)
ですから、あるところのものすべてとは、宇宙といってもいいし、
まあ、神といってもいいのですが、
プレアデス人のまねをして、大文字で3文字でGODと表現
してみました。プレアデス人のいうGODと、
わたしのいうGODは、意味がことなりますけどね。

あるところのものすべて、とは、まさに、縁起している存在の
ことです。

>自分にとって中立?
これは、中道(ちゅうどう)を意味します。
(また専門用語ですが・・)
他人の価値観ではなく、自分の価値観にたつという意味で
使用しています。(ふつうの言葉で、話せって?)

>「認識するのは神」と認識しているのは誰だろう?
> 中立を保つ」ようにしているのは誰だろう?
どちらも、わたし、です。わたしは、わたし。

>ほとんどの日本人って、信仰心ないんじゃないの?
さんちゃんもそういってましたが、わたしの見たところ、
日本人は、結構、信仰心が厚いとおもいますね。
ただ、キリスト教的な信仰心とはまったく別のようです。
日本人は、多神教的なのでしょうね。
なんでもかんでも、信仰してしまうのでは?
いわしの頭とか。

>信仰心が無い、が、GOD(神)は認める?
この場合、GODを認めるということではなく、
GODという言葉を自分で定義して使用しているということです。
「神」という概念が人それぞれ違うように。

GODとは、あるところのものすべて、です。
もともと、GODという言葉は、キリスト教よりも歴史が古く、
ヨーロッパ周辺で広く用いられてきた、多神教的な神の概念です。

発言者:ゆたか

>>GODが、認識することに他ならないのです。
>この場合、GODを認めるということではなく、
>GODという言葉を自分で定義して使用しているということです。
>GODとは、あるところのものすべて、です。

>>「認識するのは神」と認識しているのは誰だろう?
>どちらも、わたし、です。わたしは、わたし。

すると、「GOD(=あるところのものすべて)が認識する」
と「わたし」が認識しているのですね?

ということは、「わたし」はGODの存在を認めていますね。
で、「GODの存在を認めること」は「GODを認めること」
とは違うのですか?

ちなみに。。。「わたし」って誰ですか?
通常、テトラレンマさんが書く、主語が省略されている文の主語は
「テトラレンマ」ですか、それとも「わたし」ですか?
「テトラレンマ」と「わたし」の関係はどのようなものでしょう?

# 質問するたびに、新しい言葉が増えていく、というか、
# 問題が新しい言葉の意味ですりかえられていくような気もするが。。。(笑)

発言者:テトラレンマ

>ということは、「わたし」はGODの存在を認めていますね。
そうとも言えますが、最初のGODと後のGODの違いを
説明したはずですが。。

>「GODを認めること」とは違うのですか?
質問が変化していませんか?
最初の質問は、
>信仰心が無い、が、GOD(神)は認める?
でしたね。
信仰心とGODをペアにしたときのGODは、
わたしの言うGODではないという話をしています。

ですから、GODを認めるかときかれればNOともいいますし、
また、YESともいいます。文章のながれによって。

>「私というものは無い」のではなかったのですね。(^^; 
「私というもの(に)は(主体が)無い」といっています。
省略して、「私というものは無い」とも言うこともあります。

おおむね「空の概念」は理解していただけたでしょうか?
納得できるかどうかは別問題として。

GODを認めるというより、GODという名を付けた
ということですが。
どうしても「GODを認めた」と表現したいのなら、
まあ、それでもいいです。

>ちなみに。。。「わたし」って誰ですか?
>通常、テトラレンマさんが書く、主語が省略されている文の主語は
>「テトラレンマ」ですか、それとも「わたし」ですか?
>「テトラレンマ」と「わたし」の関係はどのようなものでしょう?
文章の流れにそって、適当に使っています。
あまり意識しては使用していません。
あくまで、文章の流れですね、文章の流れ。

ちなみに、新しい言葉も、新しい概念も、使用していません。
いずれも、波動の掲示板で何度か説明しています。

発言者:ゆたか

>>「GODを認めること」とは違うのですか?
>質問が変化していませんか?
質問は当然ながら、変化しています。
テトラレンマさんが、GODという言葉に新しい意味をつけたのですから。
しかも新しい質問にはGODという言葉の新しい意味まで書いてあります(^^;

>ちなみに、新しい言葉も、新しい概念も、使用していません。
>いずれも、波動の掲示板で何度か説明しています。
そういう問題ではありません。
そのような言葉無しで表現できるということです。
テトラレンマさんのやっていることは、単語に新しい意味を
自分で勝手に付けて、話をややこしくしているだけで、
それらの新しい言葉を使うことが本質的な議論の展開に
何も貢献していないということです。

>信仰心とGODをペアにしたときのGODは、
>わたしの言うGODではないという話をしています。
それは無理があると思います。
テトラレンマさんはGODという言葉に
第一の意味、第二の意味を付けました。
第一の意味でのGODは認めていません。
第二の意味でのGODは認めています。
ということは、第二の意味でのGODを信仰しているということです。

# 今日はこんなところか(笑)

# この辺のやりとり、面白いと思ったら、波動の部屋に展示させて
# もらうかも知れません。

# 前回のは不毛な議論だし、美しくないから(笑)

## 不毛な議論になりそうだったから、止めたというのが近いか。。。

発言者:テトラレンマ

>ということは、第二の意味でのGODを信仰しているということです。
それは、信仰ということばの定義が、わたしと違うということになります。
そのように違う意味で、言葉を使用すると、不毛な会話になりますね。

発言者:ゆたか

>そのように違う意味で、言葉を使用すると、不毛な会話になりますね。
もう、テトラレンマさん、最高です!(笑)

さて、今回の遣り取りはこのくらいにしておきましょう(^^)


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