これは、わたしが1999年に喫茶アンデルセンを訪問したときの紀行文です。わたしの記憶だけで記述しますので、内容に間違いがあるかも知れません。
いつものことだが、物事には始まりがある。わたしのもとに、一通のメールが舞い込んだ。それは喫茶アンデルセンに関するものだった。アンデルセンと聞いて何を思い出すであろう。一般の人にとっては、もちろん決まっている。デンマーク生まれの世界的に有名な童話作家・小説家・詩人である。小説「絵のない絵本」、童話「マッチ売りの少女」などが有名である。アンデルセンの作品には可哀相な主人公が登場するものが多い。北欧の貧弱で痩せた土壌からは、そのような作品が生まれるのだろうか。ところで、一部の人にとっては、この名前は全く別の意味を持つ。そう、長崎にある喫茶店の名前だ。なんでも、ここのマスターは超能力者で金属を自由な形に変形したりできるのだそうだ。わたしも、数年前に店の噂だけは聞いたことがあった。いや、その後も何度か聞いたかも知れない。メールは、この喫茶店で行われるサイキック・ショーの内容が事細かにレポートされたものであった。そのレポートはまるで科学実験のように時間軸に沿って、何が起ったかを事細かに詳細に記述したものであった。
よく考えてみると、九州には旅行してみたいと思っていた。久留米には友人もいる。旅行には良い時候でもある。よし、行ってみるか。そう思い立ったら、いつものことだが、すべては急に始まる。すぐに久留米の友人に会えるかどうかと問い合わせのFAXを送る。しばらく待ってみたが、返事がない。しかたないので夜を待って電話してみる。
何事も、こんなに簡単に決まれば苦労しないものだ。
久留米駅に着き、ジョージを待つ。既に8時は過ぎている。しばらく待ってみるが、ジョージは現れない。ジョージが現れなかったら、今からホテルを探さないといけないなと考えはじめた頃、ジョージが現れた。ジョージとは、一年半程前にいっしょに玉置神社に行って以来の再会だ。髪も伸びて、まるで別人のようにも見える。久しぶりの再会は何だかぎこちなくて変な気分だ。
というわけで、我々は車に乗り込み久留米ラーメンの店に向かった。店に入ると、店内は豚骨の強烈な匂いで満ちている。店は古い建物のようで、どことなく煤けている。広い店内に、コンクリート張りの床にテーブルが適当に並び、学校の部活帰りの学生たちが体操着を着たままラーメンを啜っている。何故か店内には警察犬のポスターが張りまくられ、警察犬のイメージソングがかかっている。表の自動販売機で食券を買う。ラーメン一杯350円、とっても庶民的な店だ。九州は物価が安いのだろうか。ラーメンはこってりとした味でとても美味しかった。
途中で銭湯に立ち寄り、ジョージの家に辿り着く。マンション形式の住居で3階に住んでいるということらしい。部屋に入り、明かりがついて驚いた。あまりにもきれいに整理整頓されていたからだ。部屋の中には塵一つ落ちていない、掃除も行き届いている。そして、さらに驚くことには、いろいろと不思議なものがあることだ。壁一面には、どこかで見たような波動画が張られているし、波動調整装置があちこちに置かれている。エネルギーの入っているというVideoディスクを再生し、同じくのMD媒体を聞かせてもらう。なんとなくふわふわた気持ちになって、眠たくなってきてしまった。
# この時点で計画に無理があることに気づいた読者は賢い(^^)
予定通りにジョージ宅を出発し、長崎へ向かう。地図を見ながら高速道路を飛ばす。順調に進み、佐世保に近づいた頃であった。
この時点で既に8:00を超えてしまった。高速を降りて、さっそく、アンデルセンに予約の電話をしてみることにした。ジョージが公衆電話から帰ってきた。なんだか、浮かない表情である。両手を上に向けて肩の辺りまであげている。
というわけで、アンデルセンへの夢は果てたかのように見えたのであったが、ここで諦めないところが肝心である。やっと、アンデルセンに着いたのは、9:00くらいであった。駐車場にジョージを残し、キャンセル待ちを申し出てみることにした。予約はアンデルセンの階下にあるギフトフーズひさむらで行なっている。こちらはマスターのご両親が経営されているらしい。
店は小さな駅の近くにある。店頭にはガラス張りのショーケースに入ったバナナが大事そうに並べられている。ショーケースの鍵はかかっていないようだ。店内はどこの田舎にもある雑貨屋のようにも見えるが、仏式の供え物のようなものも並んでいる。
結局、10:40にも来て確認してみたが、やはり午前のキャンセルは無い模様だった。無理もない、みんな朝早くから並んでいるのだ。そのうち何人かは徹夜で前日から並んでいるらしかった。
我々は15:30まで時間を潰すことにした。アンデルセンのある街はとてもとても小さな街だ。人口がどの程度なのかは知らないが、駅を見れば一目でそれはわかる。おそらく、アンデルセンという小さな喫茶店がなければ、毎日のように県外ナンバーの車が街に溢れることもないだろう。逆に言えば、県外ナンバーの車はすべて、アンデルセンへの客とみなされるようである。わたしの感触では街の人々は概ね親切だ。街にいる場所もないので、少しだけ遠ざかり、車を静かな川沿いの道に移動させた。近くには田園が広がり、人通りがある様子もない。我々は堰堤の道をのほほんのほほんと散歩した。
ジョージは医大を卒業したばかりだが、農業をやってみるのも悪くないと思っているらしい。農業というのは、考えれば考えるほど重要で素晴らしい仕事であると思う。人は何かを食べなければ生きていけないし、この身体を構成する物質は、すべて食物からの同化によってである。その食物が農薬で汚染されていたり、化学肥料で不自然な姿になっていたりすれば、人間の活動のすべてに影響を与えることだろう。もちろん、ジョージの目指している農業は自然との調和の取れた無農薬、無化学肥料の農業である。晴耕雨読、農業をするということは自然のリズムにマッチした生き方をすることでもある。それも魅力的なことではある。
時間に間に合うように、駅まで戻り駐車場に車を止めることにした。駐車場といえば、駅の駐車場しかないわけだが、入れようとすると、なんと一杯だ。駐車場が空くまでのんびりと待っているわけにもいかない。アンデルセンでは1秒でも遅れれば、キャンセルとみなされてしまうのだ。「ここまで来て、アンデルセンに入れないのか」とジョージが焦っている。駐車場のおじさんに話をすると、時間を聞いてスペースを融通してくれたようだ。田舎の良さというのは、こんな人の良さかも知れない。
アンデルセンの前で行列に並んで待つ。整理券を持っているので気は楽だが、午前の部がなかなか終わらないようだ。しばらくすると、午前の参加者が一人また一人と店から出てくる。並んでいる人々は珍しい人でも見るかのように注目して見る。みんな、手に手にぐにゃぐにゃに曲がったスプーンなどを持っている。16:00くらいになって、やっと午後の人達が入れることになった。一人づつ、整理券の順番に二階にある店内へ入っていく。店の前には「ただいま、満席です。」という立て札が立っているが、これは営業中、ずっと立っているのだ。何も知らない人は不思議に思うかも知れない。しかし、この街で知らない人はいないのかも知れない。
店内に入り、みんな、それぞれに席に着く。店内はどこにでもある、あまりきれいでない田舎の喫茶店といった感じである。カウンターがあり、離れて独立したテーブルが幾つかある。壁には難しそうな折り紙が掛かっている。知っているだろうか。折り紙というのは、非常に奥の深い趣味である。誰でもが知ってる鶴などの確立された折り方もがあるが、もちろん趣味としてやるのは独自創作だ。折るのに何時間もかかるものもあり、その折り方を編み出すのは、まさに芸術だ。マスターは折り紙も好きなようだ。カウンターの上には沢山の写真が画鋲で留められて並んでいる。この店に来た有名人のようだ。さすがに有名人も沢山来るようだ。わたしは芸能人には詳しくないが、見たような顔も幾つかある。謀S*NYの会長、謀N*Cの会長なども来ている模様だ。謀S*NYは社内にESP研究室があったことは、この世界では有名だ。
みんなが席に着いたら、一斉に注文を取る。そして、淡々とメニューが出てくるのを待つ。店内に入っている人数は30人。作っているのはマスターと思しき人が一人。さすがに時間がかかる。マスターは誰と話すわけでもなく、黙々とオーダーを作る。なんだか無愛想な人のようだ。客も落ち着いて、一頻り会話が弾んだ後は静かになる。そこにいる客すべてが、これから起る奇蹟に期待しながら、静かに待つ。みんな、営々と待ち、マスターは黙々と作る。だが、みんなの意識は出てくるメニューには無い。少し不思議な空間がそこに生まれる。メニューが出てきて、それぞれに、それを消化する。当然、簡単なメニューを注文するほうがショーの時間は長くなるわけだが、店の経営という面では、どちらが良いのかは、わたしにはわからない。みんなの消化が終わると、片づけが始まり、会計が始まり、そして、すべての準備が整う。時間は18:00くらいになっている。
さて、カウンターの前に椅子を並べ始め、これもまた整理券の番号順に良い席から並んでいく、最前列の6人くらい以外はすべて立ち見となる。ショーの目安は1.5時間であるから、少なくとも、そのくらいの時間は立てる心積もりでいなければならない。準備が整うとマスターがカウンターの向こうに顔を出した。いきなり表情が打って変わってにこやかである。ジョークを飛ばしながら、ショーが進んでいく。手を触れずに物が動く、物が空中に浮かぶ、物の形が変わる、その度に観客から感嘆の声が洩れる。マスターは超能力と呼ばれるものは、ほとんどすべてできるようである。以下にその内容を載せておこう。
マスターの超能力は確かに素晴らしいが、それよりも素晴らしいのはマスターのトークである。軽快なリズムとジョークで観客を笑わせながら進行していくが、その知識はかなり幅広く奥深いことが伺える。また、ポイントを抑えていて正確であるようにも、わたしには感じられる。以下にマスターの名言を載せておこう。
「こんなこと(超能力)できても、実際にはあまり意味ありません。 イメージしたことが、そのまま現実になる、その事実が大切なのです。」 「超能力は右脳を使います。でも、左脳(理論、知識)が邪魔しますね。 理論、知識じゃありません。イメージできれば、誰にでもできるんです。」 「できないって思ったら、それがそのまま現実になります。」 「曲がる前にイメージできなければ、スプーンは曲がりません。」 「繰り返すことが大切です。プラス思考でも、成功哲学でもいっしょですね。 人間は100回以上繰り返さなければ、それを自分の観念にできないんです。」 「病気になる人、事故に会う人は、それを自分で引き寄せているんです。 健康に執着すること、無事故に執着すること、逆の意味で引き寄せてますね。」 「ニュースでも、報道されることだけみていたら、本当の姿は見えません。」 「百聞は一見にしかず、百見は一体験にしかず、どんどん体験してください。」 「プラス思考で生きれば、明るく楽しい人生になります。 マイナス思考で生きれば、暗く悲しい人生になります。 思考がすべてを引き寄せ、現実にするということですね。」 「過去はどんなに素晴らしくても、生ゴミです。それは、過去にこだわっても、 意味がないってことです。生ゴミを食べてたら、お腹壊しますよね。」
楽しいショーが終わり、信じられないものを見た感動に、どの顔も晴れやかに変わっている。人々はぐにゃぐにゃに曲がったスプーンを、お土産に買って帰っていく。そのスプーンには、奇蹟が確かに起るのだという確証が封印されている。それでも、多くの人は現実の社会に帰り、思考が現実になるということと、プラス思考の大切さを忘れてしまうのだろう。そう、繰り返すことが大切なのだ。このショーの語っていることはシンプルな真実であり、法則である。「イメージしたことが、そのとおりになる。」ということだ。マスターは言及しなかったが、この能力を延長すれば、何もないところから物を取り出したり(物質化現象)、瞬時に別の場所に移動すること(テレポーテーション)も可能であることは、わたしには明らかだった。わたしとジョージも満ち足りた気分で帰途についた。時計は20:00をまわっていた。
珍しく写真のない紀行文でしたが、いかがでしたでしょうか?
えっ、面白くない?(^^;
そのとおりの現実が生まれるでしょう(笑)
それはそれとして。。。
ゆたかに感想をメールしよう!(^^;
アンデルセンに行きたい人へ、少しだけ情報提供します。 サイキック・ショーは平日は一日二回、土日は一日三回です。 会場に同時に入れるのは30名までです。 予約は当日のみです。 当日の朝7:40から並んでいる人に順番に整理券を渡していきます。 席が余った場合には、朝8:00から電話予約可能です。 整理券の順番にショーの時に良い席が確保されます。 最前列は6人くらい、だいたい前日からの徹夜の人々です。 土日であれば、朝には50〜60人程度が行列を作っています。 (確実に入りたい場合には朝7:40までに並んでください。) 整理券をもらった後は予定の時間の前に店の前に並びます。 1秒でも遅れたら、キャンセルとみなされ、 キャンセル待ちの人が店に入ります。 この街では県外ナンバーの車はアンデルセンへの客とみなされます。 店に迷惑をかけないようにマナーに気をつけてください。 休日 第一、第三日曜日 住所 長崎県川棚町栄町2
サイキック・ショーが手品であると主張する人々もいます。 実際のところはどうなのか、わたしにはわかりません。 サイキック・ショーを見て勇気をもらったという人々がいる反面、 後で手品だと知ってがっかりし、憤りを感じたという人々もいます。 何かを信じることは素敵なことですが、 そのことに依存してはいけません。 奇跡があなたを虜にするなら、あなたは奇跡に依存しています。 その奇跡があなたの実生活とあまり縁のないことを思い出してください。 奇跡があるかないかで、あなたの人生が変わるわけではありません。 あなたの人生を変えるものは、あなたの考え方であり、在り方なのです。 奇跡はあなたに夢と希望を与えてくれるかもしれませんが、 それは、あなたの考え方を変えるためのきっかけに過ぎないのです。 ところで、わたしは上記のショーの中でカードの透視ができました。 カードをめくる前にその裏に書かれている模様がわかったのです。 まるで、カードの上に模様が浮かび上がるかのように。 カードは4枚ありました。そして、すべて当たりました。 もちろん、わたし以外は知らないことなんですけれどね。 特殊な環境の中でわたしの潜在能力が活性化したのでしょうか? あるいは、模様が浮かび上がる手品のカードだったのでしょうか? それは、わたしにとって、どうでも良いことです。 今回の旅行は、良い思い出となりました。