由布院


これは、わたしが1999年に由布院を旅行した時の紀行文であり、写真を織り交ぜた日記でもあります。興味のある人はのんびりと読んでいってください。

由布院のこと

由布院は若い女性の集まる「気」の良い場所だと聞いたことがある。それ以上のことは知らない。キーワードは若い女性である。若い女性は流行に敏感で、「気」を見るのがうまい。「気」とは、「空気・ガスなどのように、目には見えないが何か・それ(そこ)を満たしているものと感じられるもの」である。科学的には、地磁気の強さ、マイナスイオン密度などで表現することもできるらしいが、わたしは詳しくない。人間の身体は女性が基本だから、そのような能力は女性の方が高いのだとも聞く。若い女性から始まった流れは、やがて若い男性、年配の女性にも広がり、全体的な流れとなる。女性は本能的に「気」の良さに惹きつけられているらしい。

久本本線

夕刻、大分発由布院行きのローカル線に乗り込んだ。由布院までは約一時間半、のんびりと車窓の風景でも眺めながらゆくことにしよう。電車は二両、車両の入り口には整理券の発行機があり、車内には整理券別運賃を表示する電光掲示板がある。バスでは見慣れた光景だが、電車で見るのは初めてである。いかにもローカル線らしく、この電車はワンマンで運転されているのだ。通勤帰りのサラリーマンや学生が乗り込んでくる。由布院への交通手段は、おそらくこのローカル線がメインではあろうが、久留米経由で「ゆふいんの森」という特急電車も運行されており、これは美しい電車で人気があるらしい。

大分を離れると、いきなり長閑な田園風景が広がる。線路は小高い丘の上に敷かれているらしく、美しい風景を眺めることができる。田畑の畦は土盛りであり、谷も自然のままの堤である。ところどころに竹林があり、少し遠くに山の傾斜がなだらかに広がる。まるで20年、30年前の日本にタイムスリップしたようで、何故かとても懐かしい。昔に見た風景に再び出会ったような気分である。サラリーマンや学生達は、駅が進むにつれて、次第に減っていく。この辺りは由布院への緩衝地帯であろうか。そんな風景がどこまでも続く。由布院は「気」が良いと理由が、わかるような気がしてきた。

由布院が近づくと、乗客はめっきりと減った。もう車両に数人しか残っていない。ふと車窓を見ると、農作業中の人々が手を休め、この電車に向かって手を振っている。電車の中を見回しても、特に知り合いがいるというわけでもなさそうだ。こんな光景が未だに日本に残っていたなんて、何とも感慨深い。

由布院駅

電車は由布院駅に到着した。車両からホームに降り立った。明らかにそれと分かる程に、空気がうまい。こんなにうまい空気は久しぶりだ。改札を抜け、駅の中をふらふらと歩いてみる。駅はデザインコンペで設計案を募ったらしく、美しいデザインである。駅舎内にはアート展示スペースがあり、ちょうど、特急列車「ふゆいんの森」を題材にしたポスター展示が行われている。

さて、明日はどこを観光したものか。駅内にある観光案内所を覗いてみる。同じ電車でやってきたと見える三人連れの女の子達が宿はないかと聞いている。もう夜の7時であるのに、宿の予約もしないで由布院に乗り込んでくるとは、なかなかの根性である。次には、男性一人が同じく宿はないかと聞いている。こういう客は案外に多いのかも知れない。観光名所はどこか、と聞いてみる。誰でも行くのは、民芸村と金鱗湖ということらしい。明日はそこを周ってみよう。

駅前辺りを少し歩いてみる。もう日は暮れかかっている。駅前の土産物屋が一軒開いている他は、既に店を締めてしまったらしい。土産物屋に入ってみるが、これはどこの観光地でも同じようで、特に興味を惹かれることもない。店を出ると、暮れかかった青い空に黄色い明かりを携えた黒い駅舎のシルエットが美しい。

由布院の宿

宿方面のバスの運行は既に終わっている。宿に電話をすると迎えに来てくれた。聞けば、本日の客は少ないらしい。宿の内部は木目を基調とした和風な造りで、廊下の床は黒い木目が光沢処理されて美しく輝いている。随所にこだわりの感じられる、素晴らしい宿のようである。宿について、さっそく風呂に入る。由布院は温泉が有名らしい。この宿の風呂も温泉である。温泉というのは、24時間絶えることなくお湯が出ているわけで、それが何だか豪華でもあり、有り難くもある。露天風呂ではないが、なかなか良い温泉である。

宿の食堂は開放されており、自由に使って良いようだ。入ってみるが、誰もいないようだ。綺麗に片付いており、木目のテーブルと木製の椅子が並んでいる。観光案内などの資料も置いてあるようだ。据えてあるミニコンポからはジョージ・ウィンストンのピアノ曲が流れている。窓からは由布院の町の夜景が見える。暗闇にほんの少しばかりの明かり、本当に小さな町だ。

誰もいない食堂で、椅子に腰掛ける。しばらくすると、老年の男性が現れた。定年間近で、初めて一人旅をしているのだという。近くの観光地の話などを取り留めもなくする。そうしているうちに、身体がとろとろと蕩けるように気持ちが良いのに気がついた。ただ腰掛けているだけで、どうしようもなく気持ちが良い。宿に着き、風呂に入り、少し落ち着いたので気づいたのだが、これはどうやら由布院の「気」によるものらしい。「気」の良い場所というのは、総じて気持ちの良いものである。

翌朝、草々に起きだし温泉に入る。朝から温泉に入るのは気持ちが良い。温泉を出て、少し宿の外を散歩してみることにする。朝の大気は清々しい。遠くに由布院の町が見える。猫が物欲しそうにこちらを見ているので、カバンにあったパンをやると、口に咥えて逃げていった。猫というのは安全な場所まで食べ物を運んでから食べるようだ。賢いものだ。多分、この宿の飼猫であろう。食事を済ませ、来たときと同じく、由布院駅まで送ってもらった。

由布院観光

駅では、レンタサイクルでも借りようかと思ったが、小雨がぱらついている。パンフレットをよく見ると、観光スポットまでは歩いてもいけそうである。傘を挿してのんびりと歩くことにした。町にはお洒落な店が並び、電話ボックスも美しいデザインになっている。小川に沿った道を歩いてゆく。堤はやはり自然な土のままであり、小川には水草が茂っている。今時、どうしてこんな風景が残っているのか、摩訶不思議でもある。

しばらく歩いて、民芸村に辿り着いた。大型の観光バスが何台も停まり、沢山の観光客が集まっている。解説によれば、民芸村では由布院の古い風俗などを見せるのだという。由布院まで来て武家屋敷を見るつもりもないので、そのまま通り過ぎて金鱗湖へ向かう。道中には、観光客目当ての土産物屋が軒を連ねている。

金鱗湖に着いた。金鱗湖からは湖面を白く染めるように、薄っすらと湯気が立ち上っている。水に手を浸けてみたが、特に熱いわけでもない。温泉からのお湯が流れ込んでいるらしい。魚も泳いでいるし、家鴨も浮かんでいる。湯気が立ち上っていることを除けば、どこにでもある小さな池である。

池には老人が釣り糸を垂れる。猫は傍らで老人が魚を釣ってくれるのを待っている。観光客はその姿を見ながら、ある者はビクを覗き込みながら、次々に通り過ぎていく。老人は一切お構いなく、釣り糸を垂れる。千年変わらぬがごとく、ただじっと座り、釣り糸を垂れる。由布院も最近でこそ、人がやってくるようになったが、昔はさぞ静かであったことだろう。

由布院インプレッション

由布院は温泉以外に何もない場所だ。小さな町に小さな池がひとつ。美術館が幾つかあるのは特徴かも知れない。町幅は縦横一キロメートロくらい。ゆっくり歩いても、一時間もあればぐるりと見て周れる。ところどころに、公衆温泉の建物がある。最近では人が集まるようになったために、観光施設や土産物屋は増えている。

町では生協に立ち寄り、ジュースを買った。レジの女性は30代くらいに見えたが、わたしに釣り銭を投げて返した。彼女はわたしが旅行者であり、ジュース1つだけを買ったことに腹を立てているのだった。わたしには、こんなに気の良い場所にいながら、どのようにしたら腹など立てることができるのか、不思議でならなかった。若い女性にも例外はあるらしい。彼女の態度を見れば、腹が立つ人もいるかも知れないし、自分が悪いと思えば、罪悪感を感じる人もいるかも知れない。誰かの不機嫌な表情は、それを見た人に於いて、外に対してか、内に対してか、いづれにせよ怒りを生むのだということを、我々は自省の意味を含めて再認識しなければならない。これが、由布院で出会った唯一の不機嫌な人であった。

それにしても、こんな何もない場所にこぞって人が集まってくるようになったというのは、何とも不思議な話である。やはり「気」のせいなのであろうか。町を散歩している間も、何か普通と違う気持ちの良さはずっと感じていた。

何が良かったかと聞かれれば、何も無いのが良かったと答えるような、由布院はそんな町である。いや、見ようと思えば観光施設は幾つかある。しかし、そこにいるだけで気持ちの良い場所である。ゆっくりと温泉を楽しみに出かけてみてはどうだろうか。

穏やかで静かな紀行文でした。いかがだったでしょうか?

由布院は蕩けそうに気持ち良い場所です(^^)

是非、出かけて見てください!

その前に。。。

ゆたかに感想をメールしよう!(^^;

ゆたかにメール


紀行の部屋へ戻る

ホームページへ戻る