個人的な問題を抱えていたダグと、「世界的な成功を収めるためにはよりよいボーカリストが必要」と判断した残りのメンバーと間に亀裂が走り、ダグは脱退(後に彼はティンドラムなどに加入)。5月に入り、ニューヨークのバンド「ジャッカル」のボーカリストだったトニー・ハーネルのデモテープを聞いたバンドは、トニーのクリアーなハイトーンボイスを気に入り、元MSGのゲーリー・バーデンにほぼ決まっていたダグの後任に決定した。次のアルバムのレコーディングのためにスタジオに入る3日前のことであった。トニーの加入後、ヴァーティゴとのノルウェー国内の契約から、ポリグラムとの世界的な契約となった。そしてセカンドアルバムKnights Of The New Thunder発表。すでに出来上がっていたオケにボーカルを重ねただけだけのトニーであったが、バイキングのイメージを追求するために、ハーネルの名字をハンセンとしてクレジットされている(ダグの英語名がD.D.ダイナマイトだったように)。すべて英語の歌詞になり1枚目よりは洗練されたサウンドで、Seven Seasのヒットもありノルウェーツアーも大成功だった。ニューヨークのマネージメント会社、フリーフォールプロダクションとも契約し、東海岸でのクラブツアーも行った。
サードアルバムTell No Tales発表。トニーのハイトーンボーカルとロニーのクールなギターがミックスされたポップメタルあるばむで、10,000 Lovers (In One)やEveryone's A Starなどが全米のFM局でもオンエアされた。ストライパーとラウドネスの前座を勤めたクラブツアーの後、トニーとの不仲を理由にディーゼルが脱退(後にティンドラムなどに加入)。後任には、モーティーの旧友でTell No Talesのデモテープ製作時にエンジニアーだったケネス・オディインを迎えた。
レコード契約を失ったものの、1週間後にアトランティックと契約したTNTは、5枚目のアルバムのレコーディングに入ったと伝えられていた。が、実際はかなりのスローペースのためにメンバーにひまができ、モーティーはThin Lizzyのカバーバンド「バッドハビッツ」を結成。自主制作で"Johnny The Fox Meets The Jimmy The Weed"をシングルとして発売した。
1992
ケネスの後釜に、トゥイステッドシスターのドラマー、ジョー・フランコの教え子でもありPITでインストラクターをしていたジョニー・マッカルーソを迎え入れ、アルバムの製作に本腰を入れた。そして通算5枚目のRealized Fantasies発表。楽曲のクオリティーは悪くはないものの、Tell No Tales、Intuitionと続いたポップメタル路線を望んでいたファンのなかには、「ストリート感覚」でブルージーさやグルーブが強調されたこのアルバムには戸惑う人もいた。2度目の来日公演を行ったものの、レコード会社に操られることに嫌気の差したメンバーは、トニーとジョニーの不仲や、ロニーとモーティーのいるノルウェーとトニーのいるニューヨークの物理的な距離からくる問題なども含め、結局バンドを解散させた。その後ロニーとモーティーはBad Habitzのフルアルバムを発表し、TNTの時よりも多い回数ノルウェーで演奏した。ジョニーは日本公演の直前にRiotに参加。アルバムThe Brethren Of The Long Houseでプレーし、教則ビデオNo Turning Backも発売した。
ヴァガボンドが2枚目のA Huge Fan Of Life発表。TNTのようなキャッチーなハードロックのこのアルバムでロニーのギターも炸裂し、ファンも納得した。
1996
ポリグラムが日本でのみTNTのベスト盤Till Next Time (The Best Of TNT)を発売。好セールスを記録し、ロニーとトニーの話し合いの結果、4年ぶりについに待望のTNT復活となる。サポートドラマーはフロード・ハンセン、サポートキーボードはおなじみのダグ・ストッケを迎えたアルバムの製作に入った。大晦日にノルウェーのテレビ番組に出演し、Fireflyと呼ばれる新アルバムからの曲を演奏した。
9月24日、TNTのマネージャーからEメールが届いた。「トニーをボーカルに迎えて、TNTは新しいアルバムの製作に入ります。」1年ぶりにトニーが復帰。早速ロニーとトニーはスペインへ飛び曲作りを始めた。その間に、ロニーの待望のソロアルバムExtra Strong Stringがノルウェーでリリースされ(後に日本でも)、トニーのTNT脱退の原因だったソロプロジェクトはWestworldという形で現れた。トニーはセガのゲーム機ドリームキャスト用のゲームのサントラSongs With Attitudeにも参加し、ファンにとっては次のTNTのアルバムを待つ間の前祝いとなった。
1999
スタジオアルバムとしては7枚目となるTransistorが8月に発売になった。いつものように「TNTらしさ」がでたアルバムだったが、それでもIntuitionやTell No Tales時代とは曲調が違っており、売上も伸びなかった。日本はおろか、本国ノルウェーでさえもツアーは行われず、しばらくの間TNTとしての活動が停止することになる。