Arto Lindsayのギターについて

ニューヨークのミュージシャン、アート・リンゼイの弾くエレクトリック・ギターとは何か?

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"Whirlwind"
(Arto Lindsay, Andres Levin, Melvin Gibbs)

Words don't cede to unbecoming fact
Whirlwind, whirlwind
How round is down
Balanced on slippery acts?
(Guitar)
How round is down
Balanced on slippery acts? 
It was danger we long for
or at least some rain
(with Guitar) Self-portraits, crowds bathing,
are hardly proof at all
(Guitar)
How round is down

水口政美によるドキュメンタリーヴィデオ作品"Public Movie"では、1998年リスボン世界博においてArto Lindsayがキュレートをつとめたミュージック・シリーズを収めている。そのなかで、Arto自身のバンドの演奏のうちこの曲"Whirlwind"については、いくつかのライブ・テイクを継ぎ接ぎしながら、上記のようにまとめている。
(Guitar)と記しておいたのはもちろん、1970年代の終わりから彼自身が一貫したスタイルで鳴らしつづけているエレクトリック・ギターのことである。

1945年にニューヨークに生まれ、宣教師であった両親の仕事の関係で3歳から17歳までの間をブラジル北東部の町レシーフェで過ごす。18歳で帰国し、フロリダの大学に進学後、ニューヨークに戻り、1978年に結成したバンド"DNA"においてデビュー。
一般にはその後「ニューヨークにおける前衛音楽シーンをリード」した存在と紹介されるのが常である。確かにDNAをはじめ、その後の80年代前半において頻繁に行っていたJohn Zorn、John Lurie、Anton Fierらとのコラボレーションにおいてはその面が大きい。しかし前衛音楽のリーダーという呼称は必ずしも正確ではない。実はもっと広範に渡る音楽的素養を兼ね備えた、総合的な音楽的媒体とでも呼びうる存在なのである。彼自身の言葉を借りるならば…"I'm the vessel of music."

少年期をブラジルで過ごし、現在でも一年のうち数ヶ月をブラジルで過ごすという彼にとってブラジル音楽とその土壌としての文化の影響についても注記を要する。ボサノヴァの名曲をさらりと歌ってみせ、自身でポルトガル語の詩を書き、曲をつくり、あるいは現在ではCaetano Veloso、Marisa Monte、Gal Costa、Carlinhos Brownら多くのブラジルのミュージシャンたちのプロデュースも手掛けることによって、それらを世界に紹介する役割も果たしている。日本においても坂本龍一との親交があつく、彼のアルバムに多く参加しているほか、テイ・トウワ、葉加瀬太郎、大貫妙子、中谷美紀、ゴンチチなどのプロデュースや作品提供もおこなっている。

彼の詩の世界はCaetano Velosoに代表されるようなブラジルにおいて最も知的なミュージシャンたちの直系といえるもので興味深いが、ここで特に問題としたいのは、「ギタリスト」としてのArto Lindsayである。

現在多くのミュージシャンに信頼をおかれ、多くのプロデュースを手掛ける彼は、実は自らの声以外には、正確な意味においては「演奏できる」楽器を持っていない。ギタリストではあるのだが、あらゆる意味において、彼のギターは通常の「ギタリスト」の範疇を逸脱しているのである。
"DNA"以来、エフェクターの構成など音づくりの編成は変わりこそすれ、そのスタイルは変わっていない。12弦のギターに、11本の弦を張っているのだという。ギター用のストリングではなく、ピアノ線を張っているのだという噂さえある。そしてチューニングをしているのかどうか不明、少なくとも通常のように5フレットを押さえた音と隣の開放弦の音とを揃えるというようなチューニングは、行ってはいない。当然ながら、ギター教本に書いてあるとおりにフレットを押さえたからといって、特定のコードが響くことはない。彼は、一切のコードを鳴らすことを放棄しているのである。
アマチュアのバンド時代、それまでヴォーカルを担当していた彼が、初めてギターを手にした2週間後にはそれをもってステージに立ったのだという。コードなど覚えている暇はない。

「通常の意味でギターを演奏することができない」。「チューニングをおこなわない」。「コードを鳴らさない」。彼のギターはいつも否定形をもって説明される。そしてその音を表現するために次に出てくる言葉は「ノイズ」。「彼はノイジーなギターをかき鳴らし…」。
しかし彼のギターは「ノイズ」などという言葉では説明のつかない、ある強い強度をもった運動体なのだ。

2

ここでエレクトリック・ギターという楽器について考えてみよう。

音楽の歴史をみるとき、楽器の発達とそれを支えるテクノロジーという一側面がある。たとえばモーツァルトの時代、チェンバロという楽器は貴族のサロンの場といった限られた空間と聴衆を前提とし、それ以上に大きな空間では音量的に無理であったのだ。そこにピアノという楽器が登場し、大きな音を出すことを可能とし、音楽ホールでの演奏会という形式への道を拓く。ピアノはその名前「Piano-Forte」自身が明快に示しているように、微かな音量から非常に大きな音までダイナミックレンジの広い、幅広い表現力を持ちえた楽器であった。そして、その楽器に非常に高い張力で数多くの弦を張るには、鋳鉄によるフレームの製造技術が不可欠であったわけであり、ピアノという楽器は当時の最新のテクノロジーの成果だったのである。
あるいは時を経て20世紀になって誕生した、シンセサイザー。音とは音源が発した振動が空気中を伝わる運動であったところを、逆に振動の形状を電気的に合成して、音源なき音源を作り出したわけであるから、これは革命的な出来事であった。ヴァレーズ、クセナキスらによる初期のコンピューター・ミュージックの試みには今でも瞠目すべきものが多い。

エレクトリック・ギターもまた、そのような文脈において興味深い楽器である。
ギター自身には共鳴器を持たず(ソリッドギター)、弦の振動を電気的にピックアップして、任意のフィルターで加工した後でアンプフィルターから任意のボリュームで音を出す。こちらも1930年代に生まれた、20世紀のテクノロジーの産物だ。

ガット(羊の腸)弦ではなく、金属弦が張られているということ、すなわちエレクトリック・ギターの音が金属由来であるということにも注意をしておきたい。
ギリシア神話の鍛冶神ファイストスが片目であったことをはじめとして、洋の東西を問わず、鍛冶職人には不具者として語られることが多い。片目を瞑り、片足で歩く日本の「ひょっとこ」でさえ、語源的には「火男」であり、鍛冶由来なのだという。ギリシア神話が直接に伝播したものとみるよりは、まず、金属という物質の特殊性を考えるべきだろう。

金属はその鈍い光沢もさることながら、その特有の金属音が人々に畏怖の念を思い描かせたのではないか。他の音に比較して非常に複雑な倍音構成をもつ「キーン」という音。
歴史において鍛冶の占めた位置が、現代の音楽におけるエレクトリック・ギターのそれに対応するものだとしたら。

しかし実際には、エレクトリック・ギターがそのように特異なものとして扱われることは稀である。アコースティックギターと同じように語られ、それと代替可能なものと認識されている。なかにはジャズ演奏などに用いられる「セミ・アコースティック・ギター」などもあるくらいである。これは、共鳴器をもったギターであり、それを電気的にピックアップするというプロセスを踏む面ではエレクトリック・ギターなのであるが、よりアコースティックに近い響きを獲得できるのだという。
これらは、シンセサイザーという革命的な楽器を手にしながら、既存の音色に近づけることを考えた冨田勲のような演奏者がおかした誤謬を想起させるものだ。

多くのロック・バンドが、エレクトリック・ギターを採用している。しかしそれは一義的には、アンプフィルターによる自在なボリューム制御という恩恵にあずかるために採用しているにほかならない。彼らの弾くコードでさえ、アコースティックのものとなんら変わりはない。

しかしここに、もっとラディカルにエレクトリック・ギターを弾くギタリストが居る。Arto Lindsayにほかならない。
彼は純粋に金属を振動させている。そして純粋に電気的加工を施す。わざわざアンプフィルターとの電気的なやりとりを強調するために、その接続ジャックを半分抜いて、接触不良にしてみせたりもする。


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彼のギターは本質的に即興であるから、その効果はライブ演奏においてもっとも効果が発揮される。
彼自身そのことをよく心得ており、ライブにおいては派手なギターを見せる曲であっても、CDアルバムに収めている音源では非常に抑えた演奏としている。冒頭の曲"Whirlwind"においてもまさにそうである。

音楽が何らかの意味で人間の快楽の感覚と関わっているとするなら、すぐれた音楽についてエロティシズムを語ることもできるはずだ。バッハの対位法の音楽が感覚を飛翔させる力をエロティックと表現することは十分に可能だし、ワーグナーのオペラや、あるいは負のワーグナーであったというべきスクリャービンらについては、その点において確信犯であったというべきだろう。
そして私はArto Lindsayの出演するライブに初めて行った際、彼がギターを弾く行為がまるで自涜行為に見えたことも告白しておこう。彼のギターは非常に濃密なエロティシズムを湛えている。

現代の「鍛冶」。エレクトリック・ギターに秘められていた無数の金属の剣を初めて白日の下に曝したミュージシャン。彼のことをそのように評価しておきたい。
そしてそのギターの応用力の広さは恐ろしいほどである。前述のDNAをはじめとしたフリーミュージック系の前衛的な音楽、Lounge Lizardsに代表されたジャズ系音楽でのソロ、Peter Schererとのユニット"Ambitious Lovers"で見せたポップな音楽、ボサノヴァの曲、さらには坂本龍一がピアノソロで弾いたサミュエル・バーバー"ADAGIO"のバックに至るまで。

彼は決してアヴァンギャルドを目指していたようなわけではない。ただ単に、つねに音楽的にラディカルであったのだ。それがあるときには前衛的なフリー・ミュージックとして、またあるときには甘く詩的なメロディーとして現れたというだけなのである。


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そして彼のギターは、我々に「自由であること」について考えさせざずにおかない。
あるいはそれは、音楽において最も重要なことなのではないか。自由であることについて語ることは困難であるが、相対的にいうならば、既存の音楽からの自由、歴史からの自由、言語からの自由、音楽そのものからの自由…。
カウンター・カルチャーを旨として活動するハードロック・バンドが、果たして「自由」を獲得しているだろうか? …否。彼らはドラム−ベース−ギター−ヴォーカルという「4点セット」を疑うこともせず、A-B-サビ-A-B-A-等のパターンの繰り返し。そもそも、20世紀になって音楽家たちが躍起になって取り組んだ「調性の破壊」さえ、昔話ととらえて相手にしない。「自由であること」とは、単に歴史を無視をすることではない。絶対的な理解と応用の領域からワープすることなのである。

フリーミュージックを演奏すること。そのうえでフリーミュージックから自由であること。ボサノヴァを演奏すること。そのうえでボサノヴァから自由であること。自らの音楽的な感覚とラディカルなエレクトリック・ギターを頼りとして、自由であること。あるいはそれを言い換えて、音楽的なるものの根源を目指すこと。それがArto Lindsayの仕事である。

 

■CD / VIDEO参考リスト
(Video)
水口政美
"PUBLIC MOVIE" ユーロスペース ESV-041 1999
(CD)
DNA et al.
"NO NEW YORK" Antilles AN 7067 1978
John Zorn:
"LOCUS SOLUS" eva records WWCX2035 (1983録音)
Arto Lindsay:
"Noon Chill" FOR LIFE FLCG-3031 1997
Arto Lindsay Trio
"Aggregates 1-26" Knitting Factory 1995

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最終更新日02/02/08