3歳で祖母とともにプロのゴスペル・グループとして興行に参加する。高校時代の同級生にロバータ・フラックがいた。64年ワシントンDCの黒人専門の名門大学、ハワード大学に入学、ピアノと音楽理論を修める。まもなく学内でジャズ・トリオを結成。 68年、大学に公演に来たカーティス・メイフィールドに影響され、メイフィールド・シンガーズという名のコーラス・グループを結成。すぐにメイフィールドのカートム・レーベルに所属、大学を中退してシカゴに戻る。ジューン&ダニーのデュオとしてプロデビューする一方、レーベルの裏方としてインプレッションズなどに曲を提供。
まもなくキング・カーティスに見出され、彼の紹介でアトランティック・レコーズとソロ契約、70年レコードデビュー。以後アトランティックから計3枚のスタジオ盤と、1枚のライヴ盤を発表。72年、テレビのコメディー番組「モード」の主題歌を担当、映画『カム・バック・チャールズトン・ブルー』のサントラも手掛ける。
72年、ロバータ・フラックとのデュエット・アルバムがヒット、翌年のグラミー賞では「ホエア・イズ・ザ・ラヴ」で最優秀デュオ/グループに選ばれる。73年、最後のソロアルバム『エクステンション・オヴ・ア・マン』を発表。同年末精神分裂病の診断を受ける。
78年、ロバータ・フラックと再度デュエットしたシングル「クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」がヒット。しかし、フラックとのアルバムを制作している最中の79年1月に、ニューヨークのエクソン・ハウス・ホテルの15階から投身自殺を遂げた。
68年に結婚した妻ユーローラとの間に生まれた2人の娘、レイラ・ハサウェイとケニア・ハサウェイは、現在共にプロ歌手。レイラは1990年にアルバムデビューを果たし、現在までにソロアルバムを2枚発表、これまでに何度も来日している。
当サイト内の関連記事
Column 9 - ニューソウルの誕生(1) 〜新たな黒人音楽の先駆者たち
|