linkbanner Updated on July 2, 2004

 

Donny Hathaway
ダニー・ハサウェイ


The Man in Brief
知識と精神性に裏打ちされた圧倒的な表現力で、ソウル・ミュージックの新時代を切り開いた「ニューソウルの旗手」。

乗りで勝負という面の強かったソウル・ミュージックの表現の幅を格段に広げ、今日のブラック・コンテンポラリーに結びつく音を生み出した。ジャズ的なセンスとビロードのようなテナー・ボイスで知られる。アトランティック・ソウルの次世代の星として才能を高く評価されながら、実質的な活動期間10年間で不慮の死を遂げた。ロバータ・フラックとのデュエットでも有名。

生まれ: 1945年10月1日 シカゴ(米国イリノイ州)

死去: 1979年1月13日 ニューヨーク(米国ニューヨーク州)

本名: ダニー・エドワード・ハサウェイ

主なパート: ヴォーカル、キーボード、ピアノ

Biography
3歳で祖母とともにプロのゴスペル・グループとして興行に参加する。高校時代の同級生にロバータ・フラックがいた。64年ワシントンDCの黒人専門の名門大学、ハワード大学に入学、ピアノと音楽理論を修める。まもなく学内でジャズ・トリオを結成。

68年、大学に公演に来たカーティス・メイフィールドに影響され、メイフィールド・シンガーズという名のコーラス・グループを結成。すぐにメイフィールドのカートム・レーベルに所属、大学を中退してシカゴに戻る。ジューン&ダニーのデュオとしてプロデビューする一方、レーベルの裏方としてインプレッションズなどに曲を提供。

まもなくキング・カーティスに見出され、彼の紹介でアトランティック・レコーズとソロ契約、70年レコードデビュー。以後アトランティックから計3枚のスタジオ盤と、1枚のライヴ盤を発表。72年、テレビのコメディー番組「モード」の主題歌を担当、映画『カム・バック・チャールズトン・ブルー』のサントラも手掛ける。

72年、ロバータ・フラックとのデュエット・アルバムがヒット、翌年のグラミー賞では「ホエア・イズ・ザ・ラヴ」で最優秀デュオ/グループに選ばれる。73年、最後のソロアルバム『エクステンション・オヴ・ア・マン』を発表。同年末精神分裂病の診断を受ける。

78年、ロバータ・フラックと再度デュエットしたシングル「クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」がヒット。しかし、フラックとのアルバムを制作している最中の79年1月に、ニューヨークのエクソン・ハウス・ホテルの15階から投身自殺を遂げた。

68年に結婚した妻ユーローラとの間に生まれた2人の娘、レイラ・ハサウェイケニア・ハサウェイは、現在共にプロ歌手。レイラは1990年にアルバムデビューを果たし、現在までにソロアルバムを2枚発表、これまでに何度も来日している。

当サイト内の関連記事

Column 9 - ニューソウルの誕生(1) 〜新たな黒人音楽の先駆者たち

Latest News
☆72年発表の『ライヴ』が、日本限定でリマスター紙ジャケ仕様で再発。(1997

☆ケニー・ラティモアはセカンド・アルバム From the Soul of Man で、ダニー・ハサウェイにトリビュート、彼に倣って"I Love You More than You'll Ever Know"をカヴァー。(10/1998)

☆日本独自編集盤として、『フリー・ソウル:クラシック・オブ・ダニー・ハサウェイ』が発売に(amazon.co.jp)(4/2000)

☆9・11の被害者を追悼する特別音楽番組「トリビュート・トゥー・ヒーローズ」で、アリシア・キーズがハサウェイの「いつか自由に」をカヴァー。(9/2001)

☆2002年2月11日、米国クリーヴランドにあるロックンロールの殿堂博物館の主催で、同博物館のメインステージで、ダニー・ハサウェイ記念コンサートが行われた。出演はマーク・ドーシーらアトランティック所属の若手、またレイラ・ハサウェイが特別ゲストとして出演した。(2/2002)

200468日、ハサウェイのライヴ音源を集めた編集盤 These Songs for You, Live! がアメリカで発売に(amazon.co.jp)。従来のライヴ盤『ライヴ』(72年)、『イン・パフォーマンス』(80年)で発表された音源に、新たに6曲分の未発表ライヴを加えたもの。(6/2004)


Donny Hathaway

ビロードのような歌声を持つ
ニューソウルの旗手


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