linkbanner Updated on June 22, 2006

 

Don Nix
ドン・ニックス


The Man in Brief
メンフィスの音楽シーンで育ち、リオン・ラッセル周辺のLAスワンプの流れにも関わった、米国南部音楽の立役者。「ゴーイング・ダウン」の作曲者としても有名。ジェフ・ベックやアルバート・キングなど、ブルース・ロック系のプロデュースを得意とする。

生まれ: 1941年9月27日 メンフィス(米国テネシー州)

本名: ウィリアム・ドナルド・ニックス

現住所: メンフィス (米国テネシー州)

主なパート: ヴォーカル、ギター、サックス

参加グループ: マーキーズ('60-'65)、アラバマ・ステイト・トルーパーズ('71)

Biography
父親は運送業。地元の小学校で、スティーヴ・クロッパー、ドナルド・"ダック"・ダンと同級生になる。1955年頃、ロックンロールに夢中に。ギターを始め、まもなくダック・ダンらとともにガレージ・バンドを組み、58年はじめて公にギグを行う。翌年高校を卒業し、軍隊に入隊。

60年7月除隊、同年秋、クロッパーとダンが加入していたローヤル・スペーズ(Royal Spades)に、サックスで参加。まもなくバンド名は、マーキス(Marquis)を経て、マーキーズ(Mar-Keys)に。まだサテライトという名称だった当時の、開業したばかりのスタックスのスタジオを練習場所にする。

61年6月、マーキーズのデビュー・シングル「ラスト・ナイト」が発売され、全米2位の大ヒットに。TVの人気音楽番組「アメリカン・バンドスタンド」にマーキーズで出演。同年暮、タルサでのライヴの際に、はじめてリオン・ラッセルらと知り合う。また、この頃スタックスでの数々のスタジオ・セッションに、サックス奏者として参加。

63年までに、マーキーズでの活動はまばらに。同年秋、ジミー・マーカムのバンドに一時的に参加。64年、ドニー・ウィリアムズの芸名で、シングル「ミスターB」を発表、ソロデビュー。この時期数枚のシングルを発売、短期間ソロ活動を試みた。この頃から、ロサンジェルスのリオン・ラッセルのもとに頻繁に訪れるようになる。66年秋、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズのツアーに参加。67年、ラッセルと共作しゲイリー・ルイスに提供した「ルーザー」がヒット。

68年、年明けから約半年間、ロサンジェルスのリオン・ラッセル邸に寄宿。68年夏、独立のプロデューサーになる決心でメンフィスに戻り、ジョン・フライのアーデント・スタジオを拠点に活動を始める。69年、スタックスのハウス・プロデューサーに。同年、"ダック"・ダンとのチームで、デレイニー&ボニーやチャーリー・マッスルホワイトのプロデュースを手掛ける。また、モロクをはじめ、複数の地元バンドを手掛け、スタックスからデビューさせた。

70年、初のソロアルバム『イン・ゴッド・ウィ・トラスト』をマッスル・ショールズで収録、シェルターから発売。リオン・ラッセルらとテレビの特別ライヴ番組に出演。70年秋から、アルバート・キングの『ラヴジョイ』(71年)、フレディ・キングの『ゲッティング・レディ』(71年)をプロデュース、リオン・ラッセルと共同プロデュースした後者では、自作曲「ゴーイング・ダウン」を提供。

71年春、シェルター・レーベルを離脱、エレクトラと契約。このときの経緯で、リオン・ラッセルとは以後疎遠に。71年6月、セカンド・アルバム『リヴィング・バイ・ザ・デイズ』を発表。エレクトラの企画で、ジーニー・グリーン、ファリー・ルイスと一緒に、アラバマ・ステイト・トルーパーズとしてのジョイント・ツアーを行う。

71年夏、ジョージ・ハリスンと知り合い、まもなくバングラデシュ救援コンサートのコーラス隊の責任者を任せられる。同8月1日、ニューヨークで『コンサート・フォー・バングラデシュ』に出演。この頃、クローディア・レニアと一時結婚。

72年、スティーヴ・ウィンウッドもゲスト参加して、マッスル・ショールズ・リズム・セクションのアルバムをプロデュースするが、お蔵入りに。72年秋から『ベック・ボガート&アピス』(73年)をプロデュース。しばらくロンドンに滞在。

73年春、サード・アルバム『ホーボーズ・ヒーローズ・アンド・ストリート・コーナー・クラウンズ』をスタックスから発表。ジョン・メイオールに指名され、彼のキャリア10年目を記念するアルバム『テン・イヤーズ・アー・ゴーン』(73年)をプロデュース。73年秋から74年春まで、ラリー・ラズベリーのバンドを従えて、断続的に全米をツアー。

75年、ロンドンでマイケル・チャップマンのアルバムをプロデュース。翌年4thアルバム『ゴーン・トゥー・ロング』(76年)を発表。79年、5枚目『スカイライダー』を発表。以後、80年代前半は、しばらく音楽活動から遠のく。

85年、ドラッグを断つ。久しぶりに、ジョン・メイオールのアルバムを共同プロデュース。86年春、25歳年下の女性、カトリーナ・ロビンズと結婚。90年、メンフィスを離れ、ナッシュヴィル郊外の農場に移り住む。

94年、15年ぶりの新作『バック・トゥ・ザ・ウェル』を発表。以後、ラリー・ラズベリーと組んでときどきライヴ活動も行う。2002年に、過去の自作曲のセルフカヴァーを中心にしたアルバム『ゴーイング・ダウン』を発表。

2004年、故郷のメンフィスに移り住み、クラブでのライヴ活動を再開。2006年、最新作『I Don't Want No Trouble』を発表。

尚、弟のラリー・ニックスは、60年代からスタックスのエンジニアを務め、現在も、メンフィスにあるアーデント・スタジオのマスタリング・エンジニアとして活躍している。

Latest News
☆ラリー・ラズベリー&ドン・ニックス・レヴューとして、ライヴ活動を開始。(1999

1994年以来の新作を制作中、ゲストにはボニー・ブラムレット、スティーヴ・クロッパー、レスリー・ウェスト、デヴィッド・フッド、ビリー・リー・ライリーなどが参加する見込み。(2/2001)

20021015日、8年ぶりの新譜 Going Down: The Songs of Don Nix (Evidence Records) が発売に(amazon.co.jp)。(10/2002)

200354日、テネシー州メンフィスで開かれた、ビール・ストリート・ミュージック・フェスティヴァルに、ラリー・ラズベリーとともに出演。(5/2003)

20036月、テネシー州メンフィスで開かれた、メンフィス・イタリアン・フェスティヴァルで、ラリー・ラズベリーとともに演奏。(6/2003)

200458日、オクラホマ州タルサで開かれた、第10回オクラホマ・ブルース・フェスティヴァルに、ラリー・ラズベリーとともに出演。(5/2004)

2004723日、アラバマ州フローレンスで開かれた、W・C・ハンディ・ミュージック・フェスティヴァルに、ゲスト出演。(7/2004)

20041125日、テネシー州メンフィスのニールズ・バー&グリルでライヴを実施。故郷メンフィスでのクラブ出演は約20年ぶり。(11/2004)

2005913日、ドン・ニックスが71年に主催したAlabama State Troupersツアーのライヴ盤 Live for a Moment が初CD化(amazon.co.jp)。ボーナストラック付き。(9/2005)

2005112日、ドン・ニックスが出演したライヴ『バングラデシュ・コンサート』のCD2枚組リマスター版が発売に(amazon.co.jp)。(11/2005)

2005112日、ドン・ニックスが出演したライヴ『バングラデシュ・コンサート』のDVD2枚組リマスター版が発売に。通常版(amazon.co.jp)のほかに、ポスターなど記念アイテムを同封した特別仕様の初回限定版も同時発売(amazon.co.jp)。(11/2005)

20051116日、アラバマ・ステイト・トゥルーパーズのライヴ盤『ライブ・フォー・ア・モーメント』の日本盤が発売に(amazon.co.jp)。(11/2005)

20064月、4年ぶりの新譜 I Don't Want No Trouble (Section Eight Productions) が発売に(amazon.co.jp)。(4/2006)


Don Nix

スワンプ・ロックの代表と目される
メンフィス出身のミュージシャン

Basic Info
Major Works
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Special Column
コラム2 - 南部音楽の裏方たち 〜ドン・ニックス

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