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今回の特集は特別編。「夜明けの口笛吹き」によくいらして頂いているタイラさんの、書き下ろし傑作「ブルースから逃れて〜John Mayall
& The Bluesbreakers」です。かねてから、軽快で暖かい文体とブルースをこよなく愛するご様子に僕が感激していて、ふとしたきっかけで執筆をお願いしたのですが、さっそく熱のこもった特集を送って下さいました。本文は全編タイラさんの作品、僕は末尾のメンバー表と、ところどころに
印のコラムだけ付け加えさせて頂きました。特集のテーマは、イギリス時代のジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズです。ブリティッシュ・ブルースの発展に限りなく貢献したメイオールと、彼と関わった素晴らしいミュージシャンたちの軌跡の物語をお楽しみ下さい。(ここまで文責・むさし)
*ぜひ、ご感想をタイラさんにお送り下さい。
Akihiko
Taira Presents ... |
「ブルースから逃れて」 |
−Headline−
Bluesに浸る、Bluesに溺れる・・・
Blues好きな人たちは(私も含め)こんな表現をよく用います。
何故Bluesを聴くのかって?
時には激しく、時にはやさしくBluesのリズムに酔いしれからだを揺らして底無し沼のようなBluesの魅力にどっぷりとハマってしまうのです。
でも何かが違う。それは・・・
その原点が黒人のいや奴隷であった人々の辛辣な心の叫びであったからに他ならないのです。日本人などには特に解りづらいのですが、そのストレートで猥雑な歌詞は誰に伝えると言うのでもない心の奥底を押し広げて、自然に口に出た言葉を表現する・・・
だから Bluesには同じ歌詞のリフレインが多いんですね。結局、Bluesは黒人奴隷の労働歌のようなものであったわけですから、黒人以外の人種が唄えば(まねをするならば)当然
区別されてWhite
BluesだとかYellow Bluesなんて呼ばれている訳です。(ソウルにも同じような事が言えますが)
で、White Blues――白人のブルースとなると、ブリティッシュ・ホワイト・ブルースの父とも呼ばれるジョン・メイオール が出てくる訳ですね。
父というよりは爺様の領域に入っておりますが、現役ブリバリのブルースマンであります。実際に息子ギャズ・メイオールもミュージシャンであり、自らレコード会社を設立し、何組かのプロデュースもしているという、やや畑は違えども音楽やってます。
−JOHN MAYALL
& The
Bluesbreakers−

ジョン・メイオール(写真)。簡単に彼のプロフィールを紹介すると
1933年11月29日イギリスはチェシャー州マックルスフィールド生まれ。
13歳の時、両親が離婚するという憂き目に遭い、マンチェスターの祖父のもとへ移り住みそこでギターやピアノを始めました。
既にブルー入っていたのかな?
兵役についた時、朝鮮戦争に従軍(MASHの世界です)休暇で日本に立ち寄りギターを購入したとのエピソードも。 ただこの時始めてギターを手にしたとも言われていますが、これは間違いで日本で買ったギターは一応イギリスに持ち帰り、 改造して使ったと後にジョンは述べています。
メーカーまでは定かでないんですけど・・・
帰国後、マンチェスター・アート・カレッジに進学した時点で学友と共に
Powerhouse
Four を結成、最初のバンド活動から既にブルースを演っていたそうで、ブルース大好きあんちゃん(当時)でありました。
学校卒業後は広告デザイナーなどの仕事をしながらBodega Jazz Clubなどのライブ・クラブで演奏活動、
セミプロとして頑張っておりました。よくある話ではありますが、この二足の草鞋を履く涙ぐましい努力もアレクシス・コーナーに見出されることによって報われるのであります。
この出会いを機会に2つ目のR&Bバンド Blues Syndicate を組みギグを繰り返すうち、コーナーの強い勧めで、1963年1月ロンドンに移り
、やはり昼間は製図工として働く傍ら、コーナーに紹介されたミュージシャンと共に
何度もリハーサルを繰り返し、メンバーは流動的ながら遂に
Bluesbreakers の結成となりました。
それは1963年3月のことでした。
(話しの都合上、これを第一期 Bluesbreakers としましょう)
−ジョン・メイオール学校 Bluesbreakers−
多くのロックミュージシャンはそのルーツにブルースやR&Bを挙げています。
ロックにせよ躍動や感動、何かを他人に伝えたい・・・それには心の叫びをストレートにリズムに乗せて歌う ブルースを模倣する事は手段としては、まさにうってつけであったかも知れません。ロックの原点とも言われるようなビル・ヘイリーやチャック・ベリーも曲の展開としてはブルースそのものでありまして"ノリ"の部分だけを強調したとも言えなくはないのでしょうか。ちょっと強引ですけどね・・・
前にも述べたようにブルースには その奥底に悲哀を秘めておりまして、あえてその部分を取り除く或いは置き去ると言う事は、ギターにたとえると、セブンスはやめておいて、メジャーのみで
突っ走るという・・・とりあえず微妙な1音は隠してしまう訳です。
後に素晴らしいアーティストが次々と現われる
Bluesbreakers ですが、それはよく学校にたとえられます。
学校の方針としては何よりもまず、頭の先から爪先までブルースにどっぷりと浸りきる所から始まり、その中で各アーティストは自らを昇華させていくのです。
そんな人たちのその後の活躍は目をみはるばかりであります。
はたして、本来の意味でBluesから逃れる術を模索するのか!?
"Bluesbreakers"、なんて素晴らしいネーミングなんだろう!!
こうして
このジョン・メイオール学校からは多くのミュージシャンが輩出、いや、卒業していくのですが
校長先生であるジョン・メイオールは一時ジャズ系に取り組んだ時期を除いて、遂にブルース漬けのままです。
まさしく「生きながらブルースに葬られて」ですね
(合掌)
−Bluesbreakers
の軌跡−〜イギリス編
1〜
さてさて、第一期、第二期 Bluesbreakers と激しくメンバーチェンジを繰り返し、それでも
メイオールとジョン・マクヴィ(b)
バーニー・ワトソン(g) マーティン・ハート(ds)というラインナップで
初のシングル"Crawling
Up A Hill"を発表、これが第三期。
その後、ドラマーにマンチェスター時代の旧友ヒューイ・フリントを呼び、ギターもロジャー・ディーンに交代。 この第四期 Bluesbreakers
は一年間ほど、かなり精力的な活動を行い、ロンドンでのライブを収録したアルバム 『JOHN MAYALL
PLAYS JOHN MAYALL』を残しています。
このアルバムについてジョン自身は、「"yeah"とか"alright"といった掛け声ばかりで・・・ひどいもんだ!」と後述
しています。初期において、彼らが手探り状態であった事を物語っていますね。
しかも、この失敗がもとで、折角契約していたレコード会社(Decca)からも見捨てられてしまうんです。
さて、この頃のお話・・・
ジョン・メイオールさん、どうもロジャー・ディーンのギターが今一つ気に入らない。
「まあ、いいギタリストなんだけどなぁ、奴はチェット・アトキンス(カントリー・ギタリスト)にかぶれてるもんなァ」
などということを、ヒューイに洩らしておりました。
「前に、ヤードバースってグループのレコード聞かせてやったろぉ・・・あのギタリストよかったよなぁ」
言うが早いか、ドアの向こうにはそのギタリスト、エリック・クラプトン(写真)が立っておったそうな。
よ〜し、すぐさまGIGだ!
す、素晴らしい!! さあ、ライブだ!
レコーディングだぁ!!
・・・嘘か、真実か!? 
兎にも角にも、こうして第五期のクラプトン印 Bluesbreakers
が誕生したのです。
ヤードバースのポップス的或いは商業的指向に対立しグループを飛び出したクラプトンでしたが、彼としては「もっと純粋にブルースをプレイしたい」という一念でメイオールとの接点が合致したというのは 本当のところでしょう。
メイオール自らクラプトンをグループに誘った時の決めゼリフ
・・・
「Look, we're a blues
band, you're a blues guitarist. What do you have to lose?」
この頃、クラプトンは半ば居候の如くジョンのもとへ転がりこみ、ジョンとその父の莫大なレコードコレクションの中からブルースアルバムを一日中部屋にこもって聞きふけっていた、と 後にインタヴューのなかでジョン・メイオールは語っています。
ジョン自身は1949年にブルース・レコードの収集を始め、アメリカから直接取り寄せるという熱の入れよう。
マニアというのは、何処にでもいるもんです。
で、クラプトンさん、そりゃあ
暗いぞぉ・・・そのくせ、陰気なブルースクラブでの演奏続きに嫌気がさして、 太陽を求めてギリシャに演奏旅行に出かけてしまうのですけど・・・
そんな訳で、またまた昏迷の Bluesbreakers
(第六期)。
しかしその間にはジェフ・クリベットやピーター・グリーン、ジャック・ブルースなどの面々が加わっておりました。
・・・ジャック・ブルース
すでにピンときた方も多いでしょう。
2ヵ月程してギリシャから帰ってきたクラプトンとジャック・ブルースはロンドン空港で出会いますが、なんと
その時スタッフのお膳立てでギグを始めたんです・・・
「ワァーオ、こんなのは今まで
聞いた事もねぇ!」 それはCreamへと続く道・・・。
この後、ベーシストに再びジョン・マクヴィーを加えた第七期
Bluesbreakers(写真:左からメイオール、クラプトン、マクヴィー、フリント)
は歴史的名盤 『BLUESBREAKERS
WITH ERIC CLAPTON』(1966年)を発表!
(以前からのプロデューサー、マイク・バーノンの協力で再度
デッカ・レコードと契約、このアルバムのプロデュースも彼が担当)
このアルバムは Bluesbreakers
というよりクラプトンのアルバムとしての認識が一般的なようですが、まぁ、確かに開放的で、素晴らしいプレイが聴けます。しかも"Ramblin' On My Mind"ではレコーディングされたクラプトンの初めてのソロヴォーカルと言われております。
このアルバムの成功の最中、クラプトンがグループを離れ、ヒューイ・フリントも去り、ギタリストにはピーター・グリーンを迎えたものの、この間はアルバムも出さずじまいの第八期。
果たして Bluesbreakers
の運命や如何に!
− Bluesbreakers
の軌跡−〜イギリス編
2〜
改めてここに、重要なギタリスト、ピーター・グリーン
(写真)をご紹介しましょう。私の大好きな・・・
あっ、いやそれは置いておいて
実際に紹介するのはジョン・メイオール。 それは、ドラマーにエインズリィ・ダンパー(後にJeff Beck Group)が加入した第九期 Bluesbreakers でのアルバム
『A HARD ROAD』(1967年)なのです。このプレイ、まさしく好きな者にとっては背中ゾクゾクものですね。
しかしながら、グリーンにとって Bluesbreakers は卒業すべき土台であり、のちにジェレミー・スペンサーとの出会いによって
コンポーザーとしての才能、そして素晴らしいプレイは開花されるのです。
そのグループとは Fleetwood
Mac 。
何しろリズム隊が Bluesbreakers 創立以来のジョン・マクヴィと第十期にドラムを勤めたミック・フリートウッドですから。
当然、Fleetwood Mac
はブリティッシュ・ブルースシーンの一翼を担うこととなります。
蛇足ながら、ミック・フリートウッドはお酒のせいで
Bluesbreakers をクビになったという強者です。クラプトンも「驚くべき事に・・・」と述べていますが、ジョン・メイオールは、メンバーの飲酒を認めてはいませんでした。
勿論、バンドとしての演奏に差し支えるというなかでの事でしょうけれど。

でも、イメージとしてはブルースにはバーボン・ウイスキーですけどねぇ・・・。(あれ?
イギリスはスコッチかぁ)
また、この時期に ポール・バターフィールドと共演し、シングルもリリースしておりまして、まことにもってウイスキーよりおいしい話であります。
次なる優等生は
ミック・テイラー (写真)。
Bluesbreakers に学び、後にThe Rolling
Stones のギタリストになった彼は、泥臭く、黒のイメージともいわれた初期のストーンズにぴったりフィット。第十一期
Bluesbreakers 時代の彼のいい仕事『CRUSADE』(1967年)は、そのうねりのあるサウンドで、その後の活躍を納得させるものです。この時のバンド編成はキーフ・ハートリィ(ds)に、またクリス・マーサー、リップ・カント(sax)という
ホーンセクションを正式メンバーに迎え、本格的にホーンアレンジを施しております。
それにしても
ドラマーには泣かされ続けるメイオール氏でありました。(この後もずーっと)
もう、 Bluesbreakers
も十一期を過ぎてまいりました。
私の思い入れで、ここまで書き並べてしまいましたが、その他
Bluesbreakers 学生諸君のその後の就職先なども
挙げていたらきりがない事に気づきました。
アンディ・フレイザー 、ジョン・ハイズマン 、コリン・アレン...etc、また機会がありましたら探索したいですね。
さて、ジョン・メイオール自身は1968年、ブルースから開放されたつもりで?
本場アメリカの土を踏んでしまうのですが、そうは問屋がなんとやら・・・ブルースのうねりはジョンおじさん(当時)を再び包み込む事になるのです。
尚、この時期に発売されたメイオールと Bluesbreakers の忘れ形見の様なアルバム『LOOKING BACK』(1969年) は1964年から69年にかけてのシングルを集めたものですが(ブルースのシングル盤というのは、今考えると
何やら恐ろしいものがありますね) Bluesbreakers
の歴史を振り返るという意味でもあり、重要な一枚であります。
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an e-mail to Mr. Taira! 
John Mayall 以外の The
Bluesbreakers のメンバー
第1期(1963.3.-1963.5.): Peter Ward(drms.)
and others |
メモ:Wardはマンチェスターの大学時代からの朋友。ギター、ベースは入れ替えて事実上のオーディションを行う。一時、後にフォーク界で有名になるDavy Grahamもギターを担当。
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第2期(1963.6.-1963.7.):Bernie Watson(gtr.),
John McVie(bs.), Peter Ward |
メモ:WatsonはScreaming Lord SutchのSavagesから。McVieはアマチュア・バンドから友人を通じて声を掛けられる。
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第3期(1963.8.-1964.5.):Bernie Watson, John McVie, Martin
Hart(drms.) |
作品:シングル"Crawling Up The Hill/Mr.
James" (Decca F 11900) 1964.5.8.
メモ:Wardは広告デザイナーの仕事を本業にするために脱退、まもなくHartがレギュラーに。
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第4期(1964.11.-1965.4.):Roger Dean, John
McVie, Hughie Flint (drms.) |
作品:アルバム"John Mayall
Plays John Mayall"(Decca LK 4680)
1965.3.26.
シングル"Crocodile Walk/Blues
City Shakedown" (Decca F 12120) 1965.3.26.
メモ:Watsonは、1枚録音してすぐに、クラシックギターに転向して脱退。代わりにオーディションを経て、Deanが加入。Flintは、元々Mayallがマンチェスターの青年クラブで音楽を教えるバイトをしていたときの生徒で、Mayallに電話を寄越してロンドンに上京。
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第5期(1965.4.-1965.8.):Eric Clapton(gtr.),
John McVie, Hughie Flint |
作品:シングル"I'm Your Witchdoctor/Telephone
Blues" (Immediate IM 012) 1965.6. [Jimmy
Pageがプロデュース]
メモ:Yardbirdsを脱退したClaptonをMayallが説得して獲得。
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第6期(1965.8.-1965.11.):Hughie Flint, John McVie〜Jack Bruce(bss.)
and others |
メモ:Claptonがギリシャに放浪に出た後、John Gilbey, Jeff Kribett,
Peter Greenらが一時的に代役を務める。ベースは、McVieが一時的に追い出されて、Graham Bond OrganizationからBruceが加入。
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第7期(1965.11.-1966.7.):Eric Clapton, Jack Bruce〜John McVie, Hughie Flint |
作品:シングル"Lonely Years/Bernard
Jenkins" (Purdah 45-3502) 1966 [Mike Vernonのレーベルから]
アルバム"Blues
Breakers With Eric Clapton" (Decca
LK/SKL 4804) 1966.3. [全英6位]
シングル"Parchman Farm/Key To
Love" (Decca F 12490) 1966.10.
メモ:Claptonはギリシャから帰国。Bruceは新婚生活の家計を支えるため、脱退してManfred Mannに加入。
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第8期(1966.7.-1966.9.):Peter Green(gtr.),
John McVie, Hughie Flint |
メモ:ClaptonはCream結成のため、脱退。Greenが正式に加入。
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第9期(1966.9.-1967.4.):Peter Green, John McVie, Aynsley
Dunbar(drms.) |
作品:シングル"Looking Back/So Many
Roads" (Decca F 12506) 1966.10.
シングル"Sittin' In The Rain/Out
Of Reach" (Decca F 12545) 1967.1.13.
EP"The Bluesbreakers With Paul Butterfield"
(Decca DFE 8673) 1967.1.
アルバム"Raw Blues"
(Ace Of Clubs ACL/SCL 1220) 1967.1. [Clapton/Green両時代やセッションのアウトテイク集]
アルバム"A Hard Road"
(Decca LK/SKL 4853) 1967.3. [全英10位]
Eddie Boydのアルバム"Eddie Boyd & His
Blues Band" (Decca 4872) 1967. [Tony McPheeのバンドとともに、Mayallを含まない3人が参加]
シングル"Curly/Rubber Duck"
(Decca F 12588) 1967.3.24. [Mayall抜きでBluesbreakers単独名義のインスト]
メモ:Flintはライヴ活動に疲れて脱退。DunbarがMojosから参加。
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第10期(1967.4.-1967.6.):Peter Green, John McVie, Mickey
Waller〜Mick
Fleetwood(drms.) |
作品:シングル"Double Trouble/It
Hurts Me Too" (Decca F 12621) 1967.4.
メモ:ドラミングがうるさすぎるのが主な理由で、Dunbarは解雇されJeff Beck Groupに移る。後任には、短期的にBrian Auger's TrinityのWallerが代役を務めた後、Shotgun Expressから、Fleetwoodが参加。
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第11期(1967.6.-1967.9.):Mick Taylor(gtr.),
John McVie, Keef Hartley(drms.),
Chris Mercer(sax.), Rip
Kant(sax.) |
作品:アルバム"Crusade"
(Decca LK/SKL 4890) 1967.9.1. [全英8位、全米136位]
メモ:Fleetwoodが飲酒がもとで解雇され、Greenも数週間後に脱退、Fleetwood Mac結成へ。後任のドラマーは、12月に発売されたMayallのソロ作"The Blues Alone"の収録ですでにドラマーを務めていた、元ArtwoodsのHartley。ギタリストは、最初にAttacksのDavey
O'Listに声を掛けたが断られ(O'ListはNiceに参加)、当時19歳でGodsにいたTaylorを入れる。
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第12期(1967.9.-1968.4.):Mick Taylor, Paul Williams〜Keith Tillman〜Andy Fraser(bss.),
Keef Hartley, Chris Mercer, Dick
Heckstall-Smith(sax.), Henry
Lowther(trumpet) |
作品:シングル"Suspicions Pts 1 and
2" (Decca F 12684) 1967.10.
シングル"Picture On The Wall/Jenny"
(Decca F 12732) 1968.2 [Peter Greenが一時的に戻って録音]
アルバム"Diary Of A
Band, Vols. 1 and 2" (Decca LK/SKL
4918/4919) 1968.3. [全英27・28位/ライヴ音源]
メモ:McVieはFleetwood Mac加入のため脱退、1ヶ月間Paul Williams(元Zoot
Moneyのバンド、後にJuicy Lucy)、次いで約4ヶ月間Keith Tillman、そして約6週間Andy Fraser(後にFree)がベースを担当。サックスのRip Kantは失踪。Heckstall-Smithは元Graham Bond Organization。
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第13期(1968.4.-1968.9.):Mick Taylor, Tony Reeves(bss.),
Jon Hiseman(drms.), Chris
Mercer, Dick Heckstall-Smith, Henry Lowther |
作品:アルバム"Bare Wires"
(Decca LK/SKL 4945) 1968.6.21. [全英3位、全米59位]
シングル"No Reply/She's Too
Young" (Decca F 12792) 1968.
シングル"The Bear/2401" (Decca
F 12846) 1968.
メモ:Fraserは辞めさせられ、New Jazz OrchestraからReevesが加入。Hartleyは自分のバンド結成のため脱退、Georgie Fameの元にいたHisemanが呼ばれる。
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第14期(1968.9.-1969.5.):Mick Taylor, Steve Thompson(bss.),
Colin Allen(drms.) |
作品:アルバム"Blues From
Laurel Canyon" 1969.1. (Decca LK/SKL
4972) [全英33位、全米68位]
メモ:Allenは元Zoot Moneyのバンド(後にStone The Crows)。これが、メイオールがイギリスにいた間では、ブルースブレイカーズ名義の最後のメンバーに。 |
<関連のリンク>
John Mayall.com:
ジョン・メイオールの公式ホームページ(英語)
John Mayall.net:
ジョン・メイオールの総合的なファンサイト(英語)
Eric Clapton:
The Official Site: エリック・クラプトンの公式ホームページ(英語)
Eric Clapton
Is Here: エリック・クラプトンの総合的なファンサイト(日本語)
Peter Green
Splinter Group: ピーター・グリーン・スプリンター・グループの公式ホームページ(英語)
The Penguin -
Everything That Is Fleetwood Mac: フリートウッド・マックの網羅的なファンサイト(英語)
Greeny Room: ピーター・グリーンのファンサイト(日本語)
MickTaylor.com:
ミック・テイラーの網羅的なファンサイト(英語)
Megaton Taylor:
ミック・テイラーのファンサイト(日本語)
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