linkbanner Updated on July 24, 1998

 

Special Column:
Getting Away from Blues

ブルースから逃れて ―ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ

Additional Notes (by Musashi)

 

 

60年代イギリスでのジャズとブルーズの接点

メイオールの音楽への入り口は、父親の影響を受けてジャズからでした。「父を通じていろんなスタイルの音楽に触れたんだ。主にアーリー・ジャズで、Louis Armstrong, Django Reinhardt, Eddie Langとかだった。13歳くらいでブルースとブギウギにはまりはじめたんだ。Meade Lux Lewis, Albert Ammons, Pete Johnsonとかを聞いてね。」 最近のインタビューでは、13歳のときにはじめてマンチェスターのレコード屋で買ったのが、アルバート・アモンズ(ジャズピアニスト)の"Shout For Joy"だと述べていますし、なれるものならなりたかったミュージシャンは、ホレス・シルヴァー(ジャズピアニスト)だと語っています。そんなわけで、彼が初期に担当していた楽器はギターよりも、ブギウギに惚れて独学したピアノが大半でした。

ところで、ジャズからブルースへという流れは、メイオールに限らず、50年代後半のイギリスのクラブシーンでは一般的な現象でした。トラッド・ジャズのミュージシャンたちは、ジャズのアーシーな部分とブルースはそれほど遠くないと認識していたようで、フォーク・ブルース辺りから手を出していました。イギリスにはじめてマディ・ウォーターズを呼んだトロンボーン奏者のクリス・バーバーは、当時人気のトラッド・ジャズ・バンドをやっていました。シカゴ・ブルースを中心とする、よりディープなブルースを本格的にやり出したのは、彼のバンドにいたアレクシス・コーナーシリル・デイヴィス。この2人はバーバーのところでジャズをやりながら、副業でデュオとしてブルースに取り組み、ついに62年、ディック・ヘクストール=スミスらと共にブルース・インコーポレイティッドを旗揚げしました。

こうしてイギリスでは、ブルースはいわばジャズの異端児として始まったのですが、そのつもりで聞けば、例えばブルース・インコーポレイティッドが出したイギリス産初のブルース・アルバムR&B From The Marqueeなどは、まだジャズの臭いが濃厚に残っています。60年代初頭の初期ブルース・シーンは、コーナーをはじめとする、多くのジャズ上がりのミュージシャンによって作られていきました。彼らにとって、ブルースは演奏自体は簡単で、それゆえに見向きもしないジャズマンもいましたが、ブルースのエモーションに魅せられたミュージシャンたちは、次第にブルースにはまっていきました。まもなくマーキーをはじめ、ジャズの有名クラブに次々と初期のブリティッシュ・ブルース・バンドが登場するようになりました。

付け加えれば、グラハム・ボンド・オーガニゼーションに始まって、コラッシアムベイカールーといった、ブルースとジャズの両方の流れを引く、イギリス独特のロック(後の言葉で言えばブルース系プログレ・ロック)が出てくるのは、こうしたイギリスの音楽事情の一つの自然な帰結と言えそうです。

 

 

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