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Updated on July 24, 1998 |
Special
Column:
Getting
Away from Blues
ブルースから逃れて ―ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ
Additional
Notes (by Musashi)
ピーター・グリーンの登場、そしてフリートウッド・マックへ エリック・クラプトンがクリーム結成のために抜けたときに、メイオールはグリーンに声をかけましたが、グリーンはすぐには返事をしませんでした。というのも、グリーンは一度辞めさせられて、怒っていたからでした。実はクラプトンがギリシャに行って一時的にバンドを抜けている間に、グリーンは自分を代わりに使ってくれと積極的に売り込みに来ていました。そして実際、7回分のギグに参加したのですが、11月にクラプトンが帰ってくると席を譲らされるということがあったのです。快諾しなかったもう一つの理由は、当時エリック・バードンからアメリカに一緒に移ろうと声がかかっていたことがあったようです。説得が始まって2週間にして、やっとグリーンはブルースブレイカーズに加入することを決めました。メイオールはクラプトンとの仕事の約束はまだ2週間残っていましたが、グリーンが加入するとすぐに、クラプトンに「別のギタリストが来たから、明日から辞めていいよ」と告げました。 そのグリーンも67年春には、メイオールはすでに辞めさせてもいい気持ちになっていたようです。4月にミック・フリートウッドを追い出し、数週間後にグリーンも辞めたときには、メイオールはすでに新メンバーを探し始めていました。皮肉なことに、この2人とマクヴィーがフリートウッド・マックを組むきっかけとなったセッションは、メイオールがグリーンへの誕生日プレゼントとしてスタジオを余分に借りてあげた時に行なわれました。はじめて3人だけで行なわれたセッションからは、"Greeny"という曲が生まれています。(John Mayall, Thru The Years [Decca/1971] に収録。) 7月にフリートウッド・マックが結成されたとき、面白いことに、自分の名前がすでにバンド名に使われているにもかかわらず、ジョン・マクヴィーはすぐには加入しませんでした。これは一つには、ブルースブレイカーズにいる方が収入が安定していて、まずは新バンドがうまくいくかどうか見届けようというつもりがあったようです。フリートウッド・マックは、8月にウィンザー・ジャズ&ブルース・フェスティヴァル(後のレディング・フェスティヴァル)に出演して好スタートを切りました。ただ、マクヴィーは最初から確実にブルースブレイカーズを抜けるつもりだったというわけでもないようで、メイオールの音楽の方向性がジャズに傾いてきたことが、最終的にブルースブレーカーズを抜ける理由になりました。9月のある日、1日2回のセットの合間の休憩時間に、マクヴィーはグリーンに「ベース・プレーヤーが要らないかい?」と電話をかけ、フリートウッド・マックに移りました。 |