linkbanner Updated on July 24, 1998

 

Special Column:
Getting Away from Blues

ブルースから逃れて ―ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ

Additional Notes (by Musashi)

 

 

メイオールとの出会いと別れ―ジョン・ハイズマンの場合

ジョン・ハイズマンのドラミングを、メイオールが初めて目にしたのは、68年3月にクラブKlook's Kleekに、グラハム・ボンドを見に行ったときでした。1回目のセットが終わった後に、ボンドに会いに行ったメイオールは、2回目のセットに飛び入りで参加することになり、ハイズマンとともに50分間に及ぶ休みなしのジャムを繰り広げました。このときにメイオールは一発で、ハイズマンをキーフ・ハートリーの後任に据えることに決めました。4月のある日、ハイズマンがライヴを終えて家に帰ってくると、外で車から降りて3時間彼を待っていたメイオールがいました。しかし、ハイズマンはすぐにはイエスとは言いませんでした。彼は自分はブルースをまったく知らないし、メイオールの音楽はあまり気にかけていないと答えました。それでも、メイオールは、あまり心配しなくても、俺は君の演奏が好きだからと説得を続け、やっと4月下旬ブルースブレイカーズに招き入れました。後にハイズマンは、「俺は、メイオールのバンドはゴミだと思ってたからね。でも入ってみると、意外によかったんだ!」と語っています。とはいえ、その年の9月には彼は、ジャズ志向を共にするディック・ヘクストール=スミストニー・リーヴズと一緒にコラッシアムを結成して、独立しました。

 

 

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