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Updated on July 24, 1998 |
Special
Column:
Getting
Away from Blues
ブルースから逃れて ―ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ
Additional
Notes (by Musashi)
カリフォルニアへの移住と、もう一つのブルースブレイカーズ 68年1月、ジョン・メイオールはブルースブレイカーズを率いて、はじめての米国ツアーに出掛けました。ニューヨークのCafe Au-Go-Goを皮切りに、デトロイト、ロサンジェルスを経て、サンフランシスコのフィルモアで、ジミ・ヘンドリックスやアルバート・キングとのパッケージの4日間のライヴで締めくくりました。イギリスのブルースを基調にしたバンドがアメリカでツアーを行うのは、当時はまだ稀なことで、クリームの成功で、「クリームのクラプトン」の前歴にアメリカのファンの関心が向くという形で、ブリティッシュ・ブルースも人気がやっと出てきたところでした。このツアーは4都市だけでしたが、成功裡に終わり、この結果、アルバム Crusade が全米で初のトップ200入りを果たしました。このツアーは、メイオール個人にも強い影響を与えました。アメリカを訪れるのが初めてだったメイオール、この地に強い印象を受けたようです。 メイオールはロサンジェルスで録音された69年1月の Blues From Laurel Canyon を最後に、ブルースブレイカーズというバンド名を使わず、ジョン・メイオールの個人名で作品を発表するようになりました。また、まもなく固定メンバーのバックバンドも組まなくなり、アルバムの録音毎にセッション・ミュージシャンを集めるようになりました。さらに、メイオールは、69年中にロサンジェルスのローレル・キャニオンに家を購入し移り住み、またレーベルも、(65年後半の中断を除いて)約5年間契約してきたデッカ・レコーズと分かれて、大手のポリドールに移籍しました。以来現在まで、メイオールはカリフォルニアに住んでいます。 ブルースブレイカーズの名は、82年にミック・テイラーとジョン・マクヴィーを再び迎えて米豪で20周年記念リユニオン・ツアーを行った以外はずっと、凍結されていましたが、1985年にココ・モントーヤをリード・ギタリストに据えたメンバーで、ライヴ盤
Behind The Iron Curtain
を出して、16年ぶりに「ブルースブレイカーズ」の名を復活させました。その後、メイオールはサニー・ランドレス、バディ・ホィッティントンなど、新たな人材を積極的に起用しながら、いまだブルースの道を歩み続けています。この80年代後半以降の活動からは、2作を、ご紹介しておきます。
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