山下達郎(雑誌インタビュー記事より)真ん中の列の1番右が隆,高田中学ブラスバンド部。1列目、小さな子太鼓を前にしているのが達郎さん。
─文化祭とかにも出たんですか
達郎:ていうかね、ブラスバンドの担当の音楽の先生ってのがまた変わり者で、わりとロックンロールに
寛容だったんですよね。
─当時としては珍しい大人ですね
山下:当時ロックンロールなんて不良の音楽で、世の中からはまだ全然認知されていないのにね。僕らの
バンドに音楽室を土曜日貸してくれたり、音楽の時間とかお昼の食事の時間に屋上とか中庭で
演奏させたり……。
─達郎さんたちに?いきなり人前で? 中学3年夏ドラム練習中。
達郎:ええ。ずいぶんやらされましたよ。文化祭はもちろん、豊島区の音楽会とか。小田急デパートの
屋上でやったこともある。動物愛護週間のイベントかなんかで。それって毎年ブラスバンドが
やってたんだけど、その先生が僕達のバンドで出ろって。その年の動物愛護週間のテーマ・ソング
まで歌った。
─へー。どんな歌?
達郎:「忠犬チビ公の歌」っての。これがもうマイナーコードの極致。
♪かぁわいい犬のチービ公はァ……って(笑)。御苑スタジオでアンプを借りて、バスに乗っけて
運んだり、もう大変。ドラムはうちの学校の女の子のお兄さんに借りて。僕、そのとき生まれて
はじめてドラムのフル・セットを叩いたんですよ。
中学でブラスバンドに入る 高田中学文化祭で演奏する達郎さん。67年夏(中学3年)、
達郎:中学に入ってすぐ、まずクラブを決める時間があって、希望のクラブを紙に書いてクラスで
まとめて提出するのね。そのとき、鼓笛隊やってた流れでブラスバンドにしようか、それとも
しぶとく科学部でいこうか迷ったんだけど、やっぱり科学部にしようと思って、いったんは
そう書いたんですよ。で、その紙を列の後ろから集めていったら、ぼくの列に二人もいたわけ、
ブラスバンドを希望してるやつが。それで優柔不断になっちゃってね。こんなにいるんだったら
やってみようかなと思って。急いで席に戻って、科学部を消して”ブラスバンド”って書き直した。
で、その放課後、クラブごとの会合に行ってみたら、なんと、ぼくのクラスでブラスバンドに
行ったのは僕を含めたその三人だけだった。これはもうほんとに運命の別れ道。これがキッカケで
環境がガラリと変わったんだから。僕が今こういう商売をやってる大きな要因は、小学校時代の
音楽の先生と、このブラスバンドの一件ですね。
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