ラッセル・ライトって誰

   


1940年代から50年代にかけて、アメリカ人のライフ・スタイル
に最も影響を与えた工業デザイナー、ラッセル・ライトの代表的
なディナーウエア、「アメリカン・モダン」と「カジュアル・チャイナ」
が、現在まで日本に紹介されなかったのは不思議としか言いよ
うがありませんが、この国のオピニオンリーダーである文化人た
ちが、アメリカの豊かさよりも、ヨーロッパの伝統に向かってしま
った時期が長かったことを考えれば肯けないこともありません。

ライトはまさにそのようなヨーロッパ至上主義に反旗をひるがえ
したデザイナーです。「シンプル・イズ・ビューティフル」を掲げて
伝統と装飾にあふれたヨーロッパ的なウエアを排除し、アメリカ
に、アメリカ人による、アメリカ的な食卓革命を起こしたのです。

1942年にアメリカでその年の最優秀デザイナーを獲得し、メト
ロポリタン美術館、近代美術館など、多くの作品がミュージアム
アイテムになったラッセル・ライトとは、では、どのような人なの
でしょうか?

1904年4月3日、オハイオ州レバノンで地方判事の長男として
生まれたライトは、父親の跡を継ぐべくプリンストン大学法学部
に入ったのですが、皮肉なことに法律の教授にアートの才能を
見出されて、即座に退学し、NYのアートグループに加わって、
彫刻、絵画、舞台の仮面などの創作に没入しました。しかし、ス
タジオでの仕事は決しって彼を満足はさせてくれませんでした。
「スタジオでの仕事はいつも取り残されてる感覚と、誤解されて
いる感覚しかのこらなかった」
これは後年、ライトがこの時代を振り返って述べたコメントですが
アーティストであるよりも、大量生産のビジネスの世界を選んだ
彼の資質がよく現れているといえましょう。

妻のメアリーと共に会社を設立したライトは、しかし、好調な出だ
しとはいえませんでした。アルミニウムの食器は今でこそコレク
ターが手放さないアイテムで有名ですが、当時は採算ベースに
のらず、アバンギャルドな「ライトのサーカス・アニマル」のパテン
トが売れるまでは試行錯誤があったようです。

この最初のパテント料を元に、家具やディナーウエアの世界に
入って行くのですが、それは次のページで。

                                                        

amslam.jpg (25170 バイト)

                               アメリカン・モダンの全アイテム                                          
                                                      

                                                                                                           

 

 

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