ラッセル・ライトって誰



 
大恐慌から抜け出した1935年頃のアメリカには、
新しい生き方を望む空気が漂ってました。
「食器のデザインの基本コンセプトは、表面の装飾性
よりも、構造と色調」と唱えていたライトの時代が到来
したのです。
機械作りによる徹底した機能性の追求、それは伝統
を重んじ、何代にもわたって使用するヨーロッパのフォ
ーマルな食器との決別であり、安い値段で中産階級
に提供できうる大量生産への選択であり、インフォー
マル、つまり自由でシンプルなライフスタイルの提示
であったと言えましょう。

「時代がこんなに早く、しかも劇的に変化している時
代に、なぜ伝統ある食器でなければならないのか」
アメリカン・モダニズムについてライトはこのように端
的に表現し、機能性の追求、ラインと色にこだわり続
けていましたが、この信念が実現するには、1939年
にスチューデンビレ社から発売されることになるアメリ
カン・モダンまで待たなければなりませんでした。

この間、ライトはラジオ、蓄音機、家具、ストーブ、テ
ーブルアクセサリーなど多方面のデザインを手がけて
国内外で賞を獲得しただけではなく、コマーシャルベ
ースでも、成功を収めつつありました。
1938年にはライトがデザインした椅子が近代美術館
に入りました。

1939年に発売されたアメリカン・モダンは、従来の
陶器業者の嘲笑をかいましたが、しかし、新しい空気
を渇望していた消費者からは熱狂的に迎えられまし
た。そして、伝統に果敢に挑戦したライトは一躍、時代
の寵児となり、アメリカはついにヨーロッパのアールデ
コに対抗できうる自国のモダニズムを持ったのです。
1942年にライトはアメリカン・モダンのデザインに対し
て、その年の最優秀デザイナー賞を授与されました。
ホワイトハウスの住人もロックフェラーの一族も庶民も
階級を超えて、アメリカン・モダンを楽しんだ幸福な時
代が、このとき確かに存在したのです。これこそまさに
ライトが望んだライフスタイルだったと言えましょう。

1976年にライトはこの世を去りましたが、彼の生涯は
思わぬ時に、思わぬ場所で、密かに隠されたアートを
見せることで、人々に喜びを与えたことにつきるでしょ
う。と同時に、芸術が決して特殊な人たちのものでは
ないことを最後まで貫いたデザイナーであったという
ことも。

 


RUSSEL WRIGHT

 

 

 

 



RUSSEL WRIGHT

 

rwamad.gif (56194 バイト)


back
home