ポルトガル行きを考えながら逆方向の”グラナダ”へ



グラナダで


グラナダのバスターミナルを降りて、市内のバスに乗換え、予約していたアルハン
ブラ宮殿の近くにある宿を目指す。本にはイザベル広場で降りて、2番のバスに
乗れば宮殿まで行けると書いてあるのに、イザベル広場では2番のバス停が見当
たらない。バス乗り場で待っている人に尋ねると、その人はドイツ人。
スペイン語はわからんよーって言って英語で説明してもらえる。
その人の話だと、ちょっと歩いて気がある広場を右にまがってずっと歩くと宮殿だって。
しょうがない歩くしかないか。
その後、土産物屋のおじさんに森の中の道を教えてもらって、坂を登ること20分。
ようやく宿にたどり着いた。歩き方には”アメリカ人の利用が多い宿”と書いてある。
小さい部屋でいいと良いと伝えたので、1泊1000pts。シャワー・トイレ付き。
ここに2泊滞在。
アルハンブラ宮殿、グラナダの街、タブラオでのフラメンコショーを見てまわるに
2泊は必要だと判断。部屋は湿気が多く2日干しておいた下着がまったく乾かない。
あとシャワーの栓がゆるんで夜中にポタポタ音がして困る。
これは、シャワーの管にスーパーの袋をひっかけ、そこに水を溜める方法で解決。
部屋は値段相応ってこと。

# 後でわかったこと: アルハンブラ宮殿へ向かうバスは、看板に番号ではなく、
ずばり、”アルハンブラ”と書いてある。他のバスよりひとまわり小さい。
イサベル・ラ・カトリカ広場前のバス停がならんでいる中にも、停まる。
夜の9時ごろまで、15分おきくらいの間隔。

宿の思い出


夕飯を食べに外出しようとしたら、外は雨。ドアを出たのはいいが迷っていた
ところへ、宿のおじちゃんが、傘も持ってなくてどこへ行くんだ?、って笑い掛けてくる。
夕飯は宿の食堂で甘んじる。ワインがまずくて1口しか飲めない。
ビールにしておけばよかった・・・(;_;)
フロントと客室への階段の間にある食堂には、部屋の大きさに不釣り合いな
14インチのテレビが置いて合って、サッカー中継をうつしている。
でも画面はノイズだらけで、テレビの真正面に座ったおにいちゃんが必死に調整するが
半分しか画面が見えない。フロントにかけあって、違う14インチのTVがやってきた。
これでも良くならない。そういえば、今、スペインのサッカーリーグで注目の試合を
やっているんだっけ。おにいちゃんの努力する姿をみながら、私はカルバッチョと
ラザニアの夕飯を済ませる。フランス人の少年が一人でビリヤードの練習をしていた。
一緒に遊びたいなぁ〜と思っていた矢先、日本人の男の子2人が帰ってきて、
ビリヤードで遊ぶことになった。日本人同士で盛り上がっていたら、スペイン人
カップルが試合を申し込んできた。へたくそな私は抜けて、ダブルスの試合を観戦。
最後に玉をいれるところが決まっているところがむこうのルールらしく、その説明で
もめたりしながらも、日本側の勝利。ビリヤードを教えてくれた日本人が、夜行バスに
乗る前のわずかな時間にもかかわらず、「アルハンブラの想い出」を、持ってきた
ギターで弾いてくれた。ひさびさに日本語おもいっきり話せて、楽しい夜だった。

ヘネラリフェGeneralife(離宮)から
アルハンブラ宮殿を望む


「アルハンブラの想い出」


あのギターの音色も忘れないだろう・・・。
そしてこの曲は私の好きな曲のベスト10にずっと入っているだろう・・・。
鼻歌うたいながら、アルハンブラ宮殿に向かう。
「モメント、モメント!」宮殿のチケット売り場付近にいる靴磨きのおっちゃんに
呼び止められるが、私のはいている靴は今日にでも捨ててしまっていいようなボロ。
道を教えてくれたのはいいけど、「グラシアス」繰り返して走って逃げる。
宮殿の中はあまりにも広く、ガイドがいるわけでもないので地図を購入。
詳しいガイドブックが欲しいところだけど、店で置いてあるのはハードカバーの
大きい本しかないので荷物を増やすわけにはいかないので諦める。
人について行くようなかんじで、カルロス5世の宮殿に入る。
円形の宮殿の真ん中から空を見上げると、屋根のアーチがやさしく感じられた。
どうやら要人が来ているらしく、ものものしい警備。宮殿を後に、ベラの搭へ向かう。
入り口付近の壁は修復中。ちょっと登ったところから、グラナダの街が一望できる。
近くに学校があるらしく、子供たちの元気な声がひびきわたっている。
”歩き方”でちょっとかじった王国の興亡に、しばし思いを寄せる。


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カサ・レアル
Casa Real(宮殿)

アーチからライオンの
パティオをのぞく
ヘネラリフェ
Generalife(離宮)


糸杉とバラの迷路
ヘネラリフェ
Generalife(離宮)

「アルハンブラの想い出」
Patio de la Acequia

フラメンコショー鑑賞


夕飯を街に出て食べていたら、ショーの迎えが来る時間ぎりぎりになってしまった。
(時間にゆとりがないのは、いつものこと)
野菜入りオムレツとパエリャ、デザートのプリン2切れを慌てて口に押し込めて、
アルハンブラ行きバスに乗り込む。宮殿で降りた後、宿まで猛ダッシュ。
フロントに飛び込むと、宿のおっちゃんが、まだ来ないよ、って笑っていた。
おじちゃんに、オレンジジュースを作ってもらう。
オレンジを半分に切りその場で絞ってサーブされたジュースは、レストランで頼ん
だものより若干勝ってた。
(レストランでは最初絞ったジュースを出してこなかったので、”ズーモ”を指差し、
出し直してもらっていた)ジュースを飲み乾し、宿のおっちゃんとお赤飯のレトルト
パックでふざけていても、いっこうに迎えはこない。
スペインのこんな所で”お赤飯のレトルトパック”を見るなんて想像できる?
おっちゃんは、見せびらかしながらレンジでそれを温めている。
「買ったの?」って質問しても、「いーだろう」しか言ってくれない。
食堂で食事している日本人ご夫妻と話していたら、例のお赤飯ができあがって
彼らのお皿に盛り付けられた。なーんだ。
そのご夫妻は、旦那さんが仕事でスペインに何度か来ていて、今回はレンタカーを
借りてバルセロナからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで周遊している途中だった。
次にバルセロナへ行く話をしたら、地下鉄パスの残りを下さった。
予定の1時間遅れでフロントに呼ばれると、タクシーが停まっていた。
タブラオからのバスが手配できず、呼んでくれたらしい。宿の名前が入ったポスト
カードを握らされ、夜の街に車は向かった。アルハンブラの森の道は、ライトアップ
された宮殿が横にちらちら見えて薄気味悪い。ぜったいここは幽霊が出そう。
宮殿から坂を下り、車はアルバイシンの丘を上る。
「アルハンブラ」タクシーの運ちゃんは、ぶっきらぼうにライトアップされて
遠くに浮かび上がった宮殿を見るようにすすめてくれた。
Los Tarantos のタブラオ(洞窟住居 フラメンコショーのお店)に着くと、もう
22時からのショーは始っていて、席をかきわけながら前から2列目の席に案内される。
金髪の青年が細かいステップを刻みながら、汗だくになって舞台の中央で踊っていた。
横6列くらい、狭い洞窟の中には60人ほどの人が詰まっていて舞台の熱気も
まざって暑い。私の席からはちょうど前の人がかぶさって、膝から下が見えない。
歌も、踊っている人の表情も、もの悲しく、そして手拍子とギターにあわせて淡々と
時に激しく進行している。汗と一緒に、髪に飾った花が飛び散った。セビリアの
お祭りで見た、底抜けに楽しい表情のフラメンコとはまったく違う。何人か交代で
踊った後、舞台に客を何人か上がらせて踊ってフィナーレ。日本人2人とめちゃく
ちゃ乗りの良いおばちゃんが楽しませてくれた。
他の客が引き上げていく中ずっと座り続けていたら、入れ替わりに次の回の客が
入って飲み物の注文をとられる。今度は真ん中よりの見やすい位置へ移動。
同じ歳くらいの女の子の踊りは、とにかく素晴らしかった。
スカートの後ろ紐がほどけて、ステップのじゃまになるかと心配したけど難なく
10分くらいの長い曲を踊りきった。ひときわ大きな拍手。
緑の衣装を着た 貫禄あるおばさんの歌が、踊り以上に魅力的で引き込まれる。
”フラメンコは踊りではなく神髄は歌にある”とどこかにも書いてあった。
黒い衣装のおばさんがここの取りまとめらしく、2回とも歌いながら踊った。
そのハスキーな声が、また悲しい気分にさせてくれる。
”オーレオーレ、ヨレヨレー”歌詞だけは、どうしても笑ってしまった。
”ヨレヨレー””ヨレヨレー”
この回の締めくくりは私が舞台に上がらされて、見よう見まねでフラメンコ
もどきを踊った。”舞台でバタバタ踊ったへんな日本人”、ってとこ。
なんて恥ずかしいんだろう。
こんな機会があるなら、1度見学しに行ったフラメンコ教室にちゃんと入門して
教えてもらうんだった・・・・。
------ いつかちゃんと踊れるようになって、もう一度舞台に上がるぞっ!
苦い思い出まじりだけど、昔から興味のあったフラメンコ、その伝統的なスタイルを
目の当たりにすることができ、アンダルシアの最後の夜を締めくくった。
ショーが終わったのは午前1時近く。宿は午前1時に鍵を締めるので、おじさんを
起こして開けてもらった。フラメンコは夜遅いのが辛いところ。

Los Tarantos

宿で予約すると1割り引き。通常 3,500pts.
マイクロバスで送迎、アルバイシンの散策、1ドリンク付き
21:15、22:15ツアー出発

Telfs.:(958)22 45 22 Fax:22 82 28
Sacromonte,9 GRANADA

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