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自衛隊をイラクに行かせちゃだめだ!
えっ、イラク復興支援っていいことじゃないの?


 イラクで日本人外交官ふたりが殺害された翌日、ティクリートに向かう同じ幹線道路で、韓国の企業オム電気の社員ふたりが、同じように 銃撃されて亡くなりました。そのうちのひとり、キム・マンスさんの高校3年生になる娘さんが、集会で手紙を朗読しました。

 「ハラボジ」というのは「おじいさん」を意味する朝鮮語です。少女は尊敬と親しみを込めて 大統領をこう呼び、国軍を送るなと訴えています。「ノ・ムヒョン大統領ハラボジは、イラクに銃を持った国軍のおじさんたちを送ることが、 うちの家族たちを助けてくれることだと思っているようです。私たちのお父さんの死では不足なのですか? 国軍のおじさんたちの命なんかは大事ではないのですか? 」

 少女はまた、父を失ったことの耐えがたさを訴えます。母がもはや涙も枯れて我を失っていることを訴えます。 その痛ましさを隠さず伝えることで、父親の死が美化され利用されることを拒んでいるかのようです。 痛ましい死が「尊い犠牲」と言い換えられるとき、最愛の人を奪われた家族は、悲しみ嘆くことも、取り乱すこともできなくなるでしょう。 そして、責任があるはずの政府に、その死をさらに利用されてしまうのではないでしょうか。「遺志を継げ、あとに続け」と。 少女は、悲しみを隠さないことで賢明にもそれを拒み、「私たちの国軍のおじさんたちを、イラクへ追いやらないでください。 私たちのお父さんの死を無駄にしないでください」と訴えます。

 父親を失った悲しみの淵から、何が起きているのかを必死で考えたのであろう少女の洞察に満ちた手紙を、ひとりでも多くの人に伝えたいと願いここにお知らせします。
(ここまで、文責 吉田まきこ)



故キム・マンスさんの双子の娘、キム・ヨンジンさんの手紙(チョ・ホジン記者による要約)



 お父さんは、お亡くなりになる前、私ども双子の娘たちの大学登録料を用意な さるため、イラクに行かれるとおっしゃいました。私たち家族は、戦争地域だか ら危険だと止めました。お父さんは、“マスコミも安全であるという話しだし、 オム電気でも大丈夫だよ”とおっしゃり、“安全でなければ私がどうして行くの だ”とおっしゃったので、私どもはお父さんの安全を信じました。

 いらっしゃってから3日後の11月30日、お父さんの事故のことを初めて知らせてく れたのは、TVニュースでした。お父さんの会社や政府でもなかったし、うちの家族 にその誰も確認してくださらなかったのです。それで、切ない心でノ・ムヒョン 大統領ハラボジに文を書きました。そうしてやっと一日ぶりに、オム電気と外交通 商部から訪ねてきたのです。そして、遺憾を表明し、最善をつくして家族を助ける と約束してくれました。

 私が世の中で一番愛するお父さんが、イラクの砂漠でお亡くなりになってから13日 が経ちました。お父さんは、今、大田(テジョン)のある葬儀場の冷凍庫で、イラク 人たちが撃った銃弾の苦痛の中に冷たく横たわっていらっしゃいます。葬式を執り 行わない私が、喪服を着てソウルまでやって来て、この場に立つことになったのは、 高等学校3年生である私が受け入れるには、あまりにも苦しく大変だからです。

 イラクからお帰りになったオム電気の労働者のおじさんたちが、数日前に殯所に いらっしゃいました。お父さんの遺影の前で、その方たちはおっしゃいました。 イラクは、行く前に聞いていたとおり、安全な場所が全然なかったよ。おじさん たちが働く砂漠の作業場のすぐそばでは、連日ミサイル爆撃と銃撃戦が止まなか ったそうです。 比較的安全な方だというバグダッド市内も、自由に武器を持って歩き回るイラク 人たちを頻繁に見ることができたという話でした。

 私たちのお父さんを含むオム電気の労働者のおじさんたちは、そのように危険な 戦地で、会社が最初に約束した身辺保護と米軍の警護を一度もまともに受けるこ とがないままに、働かなければならなかったのです。私たちのお父さんの被撃 (被弾)は、こうした常識では納得しがたい状況の中で、もしかしたら予定された 死ではなかったのでしょうか?

 そのおじさんたちが言いました。初めてイラクに到着して会ったイラク人たちは、 韓国人たちにかなり友好的な方だったと….私が尋ねました。それなのにどうして、 その人々がうちのお父さんを殺したのですか? おじさんたちが答えました。私た ちがやる送電工事がアメリカ企業の受注を受けてする工事なのを知ってから、イ ラク人たちの態度が変わったようだと…。そして、韓国政府がアメリカの要請を 受けてイラク派兵の方針を決めてから、韓国人に対するイラク人たちの情緒が、 ますます悪化しているようだということです。

 私は、大韓民国の平凡な高等学校3年生の学生です。戦争だとか、イラク派兵だ とかいうことは、自分とは無関係だと思っていました。しかし、今、少しずつ分 かりつつあります。全世界が反対するアメリカの戦争で、イラクでたくさんの人 々が死んでいったということを…。そして、大韓民国のイラク派兵決定によって、 韓国人さえイラク人たちの怒りの標的となりつつあるということを…。その最初 の犠牲者が、私が世の中で一番愛するお父さんなのだということを…。

 ノ・ムヒョン大統領ハラボジは、イラクに銃を持った国軍のおじさんたちを送る ことが、うちの家族たちを助けてくれることだと思っているようです。私たちの お父さんの死では不足なのですか? 大統領ハラボジにとって、国軍のおじさん たちの命なんかは大事ではないのですか? その国軍のおじさんたちの家族に、 私たちの家族が経験している痛みと悲しみを抱かせようとなさるのですか?

 ノ・ムヒョンハラボジ、私たちのお父さんの死と家族たちを慰めるために最後ま で最善をつくすという、約束を守ってください。そして、私たちの国軍のおじさ んたちを、イラクへ追いやらないでください。私たちのお父さんの死を無駄にし ないでください。是非お願い致します。お母さんは、もう涙が枯れて、我を失っ ていらっしゃいます。私たち双子姉妹には、本当に耐え難いです。言葉もなく冷 凍庫で凍っていらっしゃるお父さんを思えば思うほど、あまりに胸が痛みます。 国民の皆さん、お父さんの死を記憶してください。お父さんの死が無駄にならな いために。
(翻訳 岡田有生)